4.背後霊のシズさん
ペットショップを出てからしばらくの間、おれはじんわりとした幸福感に浸りながら帰り道を歩いていたが、夜の風に吹かれているうちに、次第に冷静さを取り戻してきた。よく考えてみると、ペットショップで背後霊を商品として売っているなんて、どう考えてもおかしい。おれは騙されたんじゃないか。店の中ではすっかりその気になってしまったが、あれは催眠商法で、一種の詐欺だったんじゃないか。ちきしょう、おれの全財産、おれの今月分の生活費を返せ!
おれは足を止めて、さっきのペットショップへ金を取り戻すために引き返そうとした。するとその瞬間、左の耳元で女のささやく声が聞こえた。
「いいえ、詐欺ではございません。わたくし、ここにちゃんとおりますわよ」
おれは驚いて後ろを振り返ったが、だれもいなかった。そこでふと店員の説明を思い出し、近くで鏡を探すと、ちょうどカーブミラーがあったので近づいてみた。すると、ちょっと見えにくくはあったが、おれの左肩の上にはうっすらとながら、たしかに女の顔が映っていた。おれは本当に背後霊を買ったんだな、と納得した。
「背後霊さん、っていうのもなんか変だな。あんたのことを何て呼べばいい?」
おれは背後霊に訊いてみた。といっても、独り言を呟いているようで、なんだか変な感じがする。するとまた左の耳元で女の声が答えた。
「幽霊には名前はございませんから、あなたのお好きな名前で呼んでくださってかまいませんよ。ヨウコというのはいかがですか。つい数時間前までお付き合いなさっていた方のお名前でしょ」
「がああああっ。何で知ってんだよっ。せっかく忘れようとしていたところだったのにィ」
おれはだれもいない後ろを振り返って、ついつい大声で叫んでしまった。だが背後霊の方は冷静だった。
「あら、わたくしはあなたの背後霊ですもの。あなたのことなら、何でも存じておりますわ。初体験は十九歳の夏で、お相手はハルナちゃんとおっしゃる方で、あ、本名ではなく、源氏名というんでしょうか、お店でだけ使う芸名ですね。場所は○○町のソープランド△△……」
「わっ、わっ、わっ、た、頼むからやめてくれえええええっ」
おれは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。こ、この女は、本当におれのことを、何でも知っている。おれは空恐ろしくなった。
「あら、恥ずかしがることはございませんわ。男の方ですもの、たまには遊郭でお遊びになっても、よろしいのではありませんか」
あまり慰めにはなっていないような気がしたが、おれはなんとか気を取り直して、話を戻した。
「えっ、ま、まあ、それはともかくとして、あんたの名前なんだけど、おれにはなかなかいいのが思いつかないなあ」
「そうですか。では……シズ……とでも呼んでいただけますか」
少し古風な名前ではあるが、この女の雰囲気に何となくぴったり合っているような気がした。おれは彼女のことを、シズさんと呼ぶことにした。