10.シズさんが失踪した
トイレから戻ると、他のみんなは盛り上がっていた。おれはシズさんのことが頭から離れず、その場の空気に溶け込めなくなっていた。なんとなく居心地の悪さを感じ、残りの時間は適当に相づちを打ちながら酒ばかり飲んでいた。それでもルナちゃんのメアドは聞き出せたのだから、一応の収穫はあったのだと自分に言い聞かせた。
アパートに帰り着くと、おれはすぐに灯りをつけて鏡の前に座った。シズさんは怖い顔をしておれを睨みながら言った。
「あの女と関わってはいけません」
「どうしていけないんだい。訳を話してくれよ」
「どうしてもです。わたくしの霊感です」
これでは話にならない。おれはすっかり困り果て、シズさんの顔を見た。シズさんは相変わらず黙ったまま怖い顔で睨んでいる。そのときだった。メールの着信音が鳴った。なんとあのルナちゃんからのメールだった。メールにはこう書かれていた。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです。またお会いして、一緒にお話しできたらうれしいな。わたし、土曜日の午後三時頃にいつも○○駅前のスターバックスにコーヒーを飲みに行くんです。よかったら、いらっしゃいませんか」
土曜日といえば明日だ。おれはすっかり舞い上がってしまい、すぐに了解と返信した。ふと顔を上げて鏡を見ると、シズさんはとても悲しそうな顔をしていた。そのあとおれはシズさんとは一言も話さないまま、その日は布団に入って寝た。
翌朝洗面台の鏡を見ると、シズさんは悲しそうな顔で黙ったままおれを睨んでいた。おれはあえて何も話しかけなかった。カップ麺で昼食を済ませ、出かける準備をしていると、とうとうシズさんの方から声をかけてきた。
「どうしても会いに行かれるのですか」
「ただ一緒にコーヒーを飲んで話をするだけだよ。それくらいなら問題ないだろ」
「いけません。お願いですから、お行きにならないで下さい」
シズさんは懇願するように言った。おれは困ってしまったが、気を取り直して答えた。
「なあ、シズさん。おれはシズさんのことは好きだし、いつも守ってもらって感謝もしている。だけどシズさんは幽霊なんだ。おれは生身の人間のガールフレンドがほしいんだよ」
「あなたに本当にふさわしいお相手が、きっとどこかにいらっしゃいます。ですから、あの女とだけはお会いにならないでください。お願いします」
シズさんは泣きそうな声だった。もしかしてシズさんはルナちゃんに嫉妬しているのだろうか。おれを独占したくて、ルナちゃんに会わせないようにしているのではないだろうか。だがシズさんは幽霊だから、手も握れないしキスもできないし、恋人同士らしいことは何もできないんだ。
「シズさん、ごめん」
おれはそう言って、部屋のドアを開けて外へ出た。
駅の改札を出てスターバックスに向かいかけたとき、シズさんが悲しげな声で話しかけてきた。
「どうしてもお行きになるのですか」
「ただコーヒーを飲みながら世間話をするだけだよ。そのくらいのことで嫉妬しなくてもいいじゃないか」
「いいえ、あの女と関われば、あなたは必ず不幸になります。ですから……」
「もういいかげんにしてくれ!」
おれはあまりのしつこさに腹が立ち、ついつい大声を出してしまった。周りの通行人がいっせいにこちらを振り返った。おれは気まずくなり、周囲の人たちに向かって何度か軽く頭を下げた。するとシズさんの震えるような声が聞こえてきた。
「わかりました。それではもう、わたくしは何も申しません。もう、本当に、何も……」
おれはさすがにちょっと気がとがめて、シズさんに謝った。
「大声出してごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
しかし返事はなかった。おれは気になって近くのトイレに入り、洗面所の鏡を見た。おれは目を凝らして鏡の中を何度も見回したが、シズさんの顔はどこにも映っていなかった。おれは走って外に出て、ほかの鏡を探し回り、ようやく近くの店の壁に掛かった鏡を見つけた。しかしその中にもやはり、おれの左肩の上のいつものところにも、他のどこにもシズさんの姿は見えなかった。




