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反魂ごっこ  作者: アザとー
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 案の定、大樹は空腹で真夜中に目を覚ました。

 母親は夕食後の薬をちゃんと飲んだらしく、鼻先を揺らすような浅いいびきが隣の部屋から聞こえてくる。

 大樹は布団の上に身を起こしてしばし逡巡した。

 このままもう一度寝てしまうにはあまりにも空腹が過ぎる、かといって、母親が寝ている夜中に台所でガサガサと食物を漁ってこの眠りを妨げるのは嫌だ。

 彼女に処方されているのは精神安定剤と睡眠薬で、これを飲んだ日の夜に目を覚ましたことはない。だが、『たぶん起きてこないだろう』という推論ではなく、『もしかしたら目を覚ますかもしれない』という万が一の不測を思考の柱にすえるのが大樹という男である。

(ちょっとコンビニにでも行ってくるか)

 暗い中で小銭入れを探り当て、スウェットのポケットに突っ込んだその時、実にバカバカしいことが大樹の思考の隅をかすめた。

(鬼、か……)

 この小輪谷団地には鬼がいるのだと訴えていた母の姿が思い出される。それが見えないのかと詰め寄る声が耳に蘇る。

(いや、全くバカバカしい)

 件の母は襖の向こうで深く眠っている。今だけは彼女に気を使って話を合わせる必要もないのだから。

(俺だって、もう子供じゃない)

 ひとりの時間までを狂人の戯言に捧げて人生を棒にふるつもりはない、そんな壮大な反抗心もある。

 大樹はスウェットのズボンを軽く引き上げて裾を整え、そのまま表へと出た。

 団地の中というのは、夜中でも明るいものだ。道の両脇には等間隔に街灯が並び、夜の闇を払いのけるように白銀色の光を振りまいている。

 階段を降りると昼間は子供達の遊んでいた児童公園が、水銀灯の光に煌々と照らされて白んで見えた。

 そもそも遊ぶ子供どころか人さえいない深夜、ここに灯をつけておく意味などあるのだろうか。もしも闇を払う為だとしたら……どれほど細心の注意をもって照らしても、すべての闇をここから追い出すことなどできないのに。

 公園の隅にはようやく四つん這いのパンダだとわかるほどの不恰好な像が飾られていて、水銀灯はちょうどその真上から照らしているのだから、何度も塗り直されたペンキの跡が盛り上がった筋まで数えられるほどに照らされている。

 だが、上から照らす光は同時に影を作り出す。パンダの腹の下には逃げ遅れた夜が切り取られたかのように黒々とした闇がうずくまっている。

「鬼だって? バカバカしい」

 ワザと吐き捨てるように言ったのは、その闇の中に何者かの気配を感じたからに他ならない。

 ねっとりと張り付くような夜の気配、その奥からありもしない目玉が二つ、ギョロリと動いてこちらを伺っているかのような……

「本当にバカバカしい! 子供じゃあるまいし!」

 大樹はわざわざそのパンダの真横を横切って、公園の向こう側へと渡った。

 目指すコンビニは団地をぐるりと取り囲む車道の向こう側にある。ひょいとガードレールをまたいで渡ればすぐのところだ。

 道路を渡り、コンビニの前に立った瞬間、後頭部に小さな何かがコツリとぶつけられた。

「痛っ」

 そんなに痛かったわけじゃないのに大げさに声をあげたのは、ここが人すらいない暗闇の中だと油断してのことだ。現に大樹の足元の暗がりに転がっている小さなものは、まだ熟しきっていないどんぐりの一果なのだから、こんなものが当たったところで怪我さえするわけがない。

 大樹が後頭部をさすりながらしきりに気にしているのは、これがどこから飛んできたのかということだ。

 上を見上げるが、そこには月の光に似てはかない水銀灯が空に向かって手を伸べているだけだ。それに、このどんぐりはまるでまっすぐに飛んできたかのように後頭部のど真ん中にポコリと当たったのだ。

 恐る恐る振り向くが、もちろん背後には誰もいない。薄暗い歩道が静かに横たわっているだけだ。

 どんぐりがここにある理由を考えあぐねて、それを思考と共に道路に向かって投げ捨てようとしたそのとき、すぐ近くでクスクスと笑いを含んだ女の子の声が聞こえた。

「あー、いっけないんだー、大人なのに、ちゃんと信号渡らないなんていっけないんだー」

 ギョッとして顔を向ければ、おかっぱ頭の少女がすぐ隣に立っている。

 建物の角、灯を透かす大きな窓から外れたわずかな壁の陰に隠れるようにして立っているようすは、まるで影の中に潜む『モノ』のような……

 ゾッと全身を凍られるような怯えを振り払おうと、大樹はゆっくり頭を振る。これが幻影ならば目の疲れのせいだろうと、指先で軽く瞼を押しながら軽く深呼吸をして目を開く。

 しかし少女は消えたりせず、むしろ数歩を歩いて明るい光の中に進み出てきた。

「ねえ、おじさん、道路を渡るときは横断歩道を渡りなさいって、教わらなかったの?」

 大人びた口のきき方をしているが背は小さい。おかっぱ頭が大樹の胸のあたりまでしか届かないのだから、明らかに子供だ。手足なども華奢で、胸周りの発達具合からも小学生であろうと容易に予測できた。

 大樹がこれから受け持つことになるのもこのくらいの、四年生の学童だ。だから彼が急に教師としての使命感に目覚めたとしてもなんの不思議もない。

 大樹は少女を見下ろし、詰問するような少し厳しい口調で声をかけた。

「こんな夜中に、何をしてるの?」

 叱りつけるような口調にも少女が怯むことはない。飄々と鼻先をあげ、得意そうに胸を張る。

「何って、こんな夜中にすることといったら月浴みでしょ」

「月浴み?」

「そう、ユウちゃんには、たっぷりと月を浴びさせてあげなくちゃ」

 少女は下げていた手をあげ、右手に握りこんでいた『なにか』を大事そうに胸の前で両手に握り込み直した。それから、とても大事な……命あるものを愛でるように両手の中にふうっと息を吹き込む。

「なあに、ユウちゃんもおじさんにご挨拶したいの?」

 この年頃の子供特有の、無遠慮に甲高い声が耳に障る。大樹は背筋を寒気がゾクリと撫で上げる不快感に震えた。


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