表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
反魂ごっこ  作者: アザとー
34/39

   ◇◇◇


「ねえ、勝手に学校に入っちゃいけないんだよ」

 幼い大樹の問いかけにも、前を歩く大きな背中が立ち止まることはなかった。ただ静かな声で『鬼呼び歌』を歌いながら、中庭に向かって歩いてゆく。

 時間は夜、月明かりが頼りなく照らす校舎は黒い壁のように濃い影色に染められて恐ろしい。

「ねえ、おじさん!」

 大樹が精一杯に叫ぶと、その男はやっと足を止めて振り向いた。

 幼馴染のサヤカの父親である。この男は人嫌いなのか学校行事などへ顔を出すこともなく、サヤカが友人と遊ぶことさえ快くは思っていないような節があった。

 サヤカと遊び友達であった大樹は、彼女の家の前でこの男と何度か行き会ったことがある。いつも不機嫌そうな顔で、無遠慮に睨み付けるだけだったのだから、あまり良い心象はなかったが。

 いまもその男はひどく不機嫌で、ペッとつばを吐いて低い声で唸った。

「勝手にじゃねえよ、ここはもともとは俺の土地だ。自分の土地に入るのに許可が要るのかよ」

「要りません……」

「良い子だ。賢いな」

 男のごつごつした手が上から降ってきて、手馴れない様子で大樹の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。力が強すぎる掌は、どこか敵意を含んでいるようで、大樹は首をすくめる。

「俺は賢くないガキは嫌いだ。だからお前のことは、他の連中よりは、ほんの少しだけマシだと思っている」

「はあ、どうも」

 首をちぎるような手つきが自分の頭から離れた瞬間、大樹は心底から安堵してほっとため息を漏らした。この男についてきてしまったことをわずかに後悔もするが、仕方ない、彼は自分の探究心に打ち勝つことができなかったのだ。

 サヤカの父親が突然現れたのは下校の最中、他の友人と別れて階段を上っているときだった。

「おい、正解を教えてやろうか」

 階段の踊り場で大樹を待ち構えていた男はそう言った。それだけならば意味など分からないし、大樹も夜中に親を欺いてまで家を抜け出そうとは思わなかっただろう。

 しかし、男は続けてこうも言った。

「お前がやった反魂の術の正解をな」

 大樹はまだ小学生だ、むずかしいことを考えるわけがない。その正解さえ分かれば子猫は生き返る、きっとサヤカは笑って……大樹に対する感謝を捧げて一生を寄り添ってくれるのだろうと、淡くいやらしい夢想を抱いただけだ。

 それに、これは本来の気質だろうか、単に『正解』が知りたかったというのも理由ではある。

 だからいま、大樹はこうしてサヤカの父親と夜の学校に忍び込んでいるのだ。

「おい、ガキ、あれをみろ」

 男が指差すほうに目をやれば、フェンス越しに小輪谷団地が見えた。

「知ってるか、あれはみんな俺の土地だった。鬼尻のクズが小輪谷を出て行ったりしなければ、あれはみんな俺のモンだったんだ」

「おじさんはお金持ちなんですね」

「バカ、金があったのは俺の先祖の代までだよ。でなきゃ、あんなマッチ箱みたいな家に住むかよ」

 男は中庭の隅へと進む。大樹は慌ててその背中を追った。

「この学校も、おじさんのものだったんでしょ」

「そうだよ、ぜ~んぶ俺のもんなんだ」

 男は中庭の隅、古井戸のまえで立ち止まる。

「なあ、ガキ、お前は良くやったよ。お前がいてくれたから鬼頭家の悲願は達される」

「悲願?」

「その昔、この小輪谷には鬼がいた。っても、鬼を操る鬼頭家、鬼を作る鬼首家、鬼を滅する鬼尻家があって、この鬼をがっちりと管理していたんだがな。だから鬼の力を好きに使って、この辺は他よりもずいぶんと豊かな土地だったんだよ」

「おじさんのおうちは鬼頭」

「おう、そうだ」

「じゃあ、鬼首さんと鬼尻さんは?」

「そうだな、昭和のはじめごろかな、鬼尻が鬼と戦うなんて危険な仕事に嫌気がさして、自分の持っていた土地を売っぱらって東京に逃げ出した。そのときに家伝の書でも置いていってくれりゃあ俺たちもここまで没落しなかっただろうがな、鬼を屠る術を書き記した書を全部燃やして行きやがったんだ」

「でも、鬼首さんがいたんでしょ」

「いや、鬼が暴れた時に、これを斃す手立てもないままじゃヤバイと思ったんだろ。鬼首のやつらも秘法を蔵の奥に隠して、土地を切り売りしはじめやがった。そのせいで鬼を作る秘法は失われ、いまじゃ鬼首って苗字まで絶え果てた」

 男が井戸の蓋をこぶしで叩く。ゴイーンと重く響く音が空虚な井戸の中でゆがめられて、胃に沁み込むような音色が響いた。

「俺ら鬼頭の人間も、次第に窮するようになってな、田畑や家屋敷を売りにだして、いまじゃこのざまよ」

 男はもうひとつ蓋を叩き鳴らして、大樹の顔をまっすぐに見た。

「だから……俺はもう一度、鬼が欲しい」

 月明かりが無駄に照らすせいで、男の表情はうかがえない。うかがえないからこそ恐ろしい。

 大樹が少し後ろへ体を引きかけたそのとき、男が大声で叫んだ。

「逃げるな!」

「ひ!」

「お前が図書室で見た本な、あれは俺が手に入れた鬼首の秘法だ。だが、俺にはあれが読み解けなかった。ところがお前は、うまい具合にあれを解釈して、鬼を作ってくれた、そこには本当に感謝しているよ」

「うそだ、タマは生き返らなかったじゃないか!」

「ふ、しょせんはガキ、そこまでか。あのなあ、鬼に姿があるもんだって、誰が決めた?」

「だって、絵本とか……」

「絵本なんか、昔からのイメージを元にいまどきの絵描きが描いてるもんじゃないか。じゃあ、それ以前は、鬼が角の生えたトラ模様のパンツをはいたおっさんだなんてイメージが固定化される前は、どんな姿をしていたと思う?」

 男がじりっと足を出す。大樹はじりっとかかとを下げながら、それでも言い抗おうとしていた。

「鬼はもう、いるんでしょ、タマの鬼が……じゃあ、もういいじゃん」

「いや、まだだ、もっともっとだ。それに、お前が中途半端な術を行ったせいで、この鬼はずいぶんと不完全なんだ」

 男の手は大樹の首根っこを捉え、その体をやすやすと持ち上げた。大樹は体をよじり、首にかけられた手を引っ掻き回すが、男の力はいささかもゆるまない。

「ちゃんとつるべの下に入ってくれなくちゃな」

 重いはずの井戸の蓋が、するりと音もなくずれて開いた。どこかで猫の泣き声がしたような気がした。

「い……や……だ……」

「嫌がっても遅いよ、俺がしかけた術はすでに動き出した。鬼を操る鬼、鬼を作る鬼、鬼を斃す鬼、これら全てを手に入れて初めて、鬼頭の悲願は果たされるんだよ」

「鬼……」

「ああ、そうそう、鬼が本来どんな姿をしているか、しっかりとみて来るがいい」

 大樹は井戸に投げこまれた。落下が始まる。

「鬼……」

 井戸の底の、底知れぬ暗さを孕んだ水面に、月明かりに照らされた自分の顔が映っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ