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「まず、キミが初恋の君と出会ったのはいくつのときだい?」
「三年生のとき、俺がこの団地に引っ越してきてすぐのことだ」
「付き合うようになったのは?」
「六年生のころ……大人に内緒で飼っていた猫が死んで、彼女が不登校になったことがある。反魂ごっこはそんな彼女を慰めるために考えたものだったんだが、それに彼女がほだされたんだろうな」
「なるほどなるほど。で、初体験はいつ?」
「なっ! 彼女と付き合っていたのは小学生のときだぞ、そんなこと……」
「なあ、落ち着いて考えてみろよ、キミが反魂ごっこを捧げた初恋の君はたしか『鬼頭』さんだよな、そして今回の反魂ごっこの中心に居るのも『鬼頭』さん。この二者をまったく切り離して考えることのほうが不自然なんだよ」
「それは……俺だって考えなかったわけじゃない」
「お、じゃあやっぱり、清いだけの付き合いじゃなかったってことだね」
「中学一年の冬……俺の転校が決まったときに……」
「うんうん、離れてても繋がっていたい系の話だね、別に悪いことじゃないよ」
「でも、関係ないぞ、計算があわないんだ」
「なんでよ、そのころ仕込んだ子供なら、ちょうどあの年だろ」
「彼女が死んだのは中学二年生の六月だった。葬式には参列できなかったが、夏休みになってすぐに線香をあげに行ったから覚えている」
「あ~、そうか……たしか人間って生まれるまでに十月十日かかるんだっけ」
「それに、鬼頭ヤヨイの家は二街区の18棟だ。サヤカは一街区に住んでいた」
「そうか、関係ないのか、困ったな、ボクの推論が根底から覆されてしまったよ」
敷島はテーブルに片肘を落として頬杖をついた。もう片方の手ではせわしなくトントンと天板を叩いて、何かを考え込んでいるようだ。
ときおり「うむ」とか「ふむ」とか唸るだけの彼の言葉を待って、大樹と淳子は長く黙り込んでいた。
テーブルの上に置かれたコーヒーカップはどれも湯気さえ上がらぬほど冷めて、黒い液体も残り一口というところだろうか。この手持ち無沙汰の隙にこれを飲み干してしまおうと大樹は手を伸ばす。
そのときだった、敷島が急に顔を上げたのだ。
「そういえば君は、反魂ごっこを作るのに何か資料をあたったのかい?」
「ああ、図書室に和とじの本が一冊だけあって、それを下敷きにした」
「『小輪谷禍事録』か……」
「ああ、そんな名前だったかも。それがどうかしたのか?」
「ボクはこの調査中、その書物の存在については何度か聞いた。だが、それは現存しないことになっている」
「現存しないと思われていた資料が思わぬところから見つかる、よくある話じゃないか」「そうだね、普通の書物ならそうかもしれない。しかし歴史的価値も分からぬ子供たちが手に取るような図書室に、そんなものが無造作に置かれているというのは、あまりにも特異なんじゃないか?」
「そんなに特殊なものじゃなかったぞ。俺の記憶が確かなら紙は新しいものだったし、製本こそキレイに和とじにされていたけれど、歴史的資料って感じじゃなくて……」
大樹がわずかな記憶を引っ張り出そうとするように眉間を強く揉む。
「内容も小学生だった俺が絶対読めないような古語じゃなくて、小輪谷に古くから伝わる伝承をまとめたような……そう、誰かが趣味で作って寄贈した本みたいだった」
とつぜん、敷島がテーブルを叩いて立ち上がった。手の下に敷きこまれている伝票をそのままつかみ、もう片方の手は財布を出そうと自分の尻ポケットをまさぐる。
まるで一分一秒が惜しくてたまらないといった行動であった。
「お嬢さん、高坂、行こう」
「どこへ」
「学校の図書室だ。その本を探す」
「何のために?」
「怪異をハナっから否定するキミには分からないだろうがな、その本を仕込んだ呪者がいる」
「呪者……」
淳子もかばんを引き寄せ、素早く立ち上がった。
「つまり、こういう恐ろしいことになると知っていて、わざとその本を図書室に置いた人物が居るわけですね」
「察しがいいね、お嬢さん。小学生なんて素直の塊だ、おまけに純粋無垢でこれ以上ない良質の術者が生まれる可能性が存分にある。つまり、それは民話集に見せかけた呪術書だったのさ!」
大樹はいまだ椅子から腰を上げず、口頭のみで難色を示す。
「そんな、いくらなんでも荒唐無稽だろ。呪術なんてこの世に存在するわけがない」
「いいかげんに『真実』を見ろ、高坂!」
「みているよ、キミよりもずっとみている。だからこそ、呪術なんて非科学的なものはこの世に存在しないと言い切れるんだ」
「違う。キミがみているのは自分の主観というフィルターを通した『現実』だ。そうじゃなくてありのままを受け入れろ、でないと……大事な物を失うはめになるぞ」
敷島がチラリと淳子に視線を向けたのは、それが大樹の『大事な物』であることを強く意識させようという人心操作の一環だろう。わかってはいても、大樹はその視線に屈服するしかなかった。
淳子は大樹にとって大事な人である、これは曲げようのない事実だ。遠く思い出の中にしか存在しない初恋の君などよりも強く、濃厚に、いまは彼女を愛しているのだと言い切れるほどには。
「わかったよ、その本を確認しに行こう」
やっと腰を上げた大樹を尻目に、敷島はすでに会計を済ませようというところだ。
「あ、俺と淳子の分……」
財布を出そうとする大樹の鼻先に掌を突きつけて、敷島は首を振った。
「このくらい、取材費で落ちるから気にするな」
「でも……」
「いいから君は、一度家に帰って母親に会っておくといい。もしもボクの推論が正しければ、過酷な戦いになるだろうからね」
「君はどうするんだ?」
「確認したいことがいくつかある。パソコンの繋がる場所に行ってくるから、一時間後に小学校の前で落ち合おう」
「わかったよ」
「いいか、高坂、しっかりと目を見開いて『真実』を見ろ」
「それも、わかったよ」
うなづきながら去ってゆく敷島を喫茶店の前で見送って、大樹はふと、自分の隣に立つ淳子を見やった。ここからは小柄な彼女のつむじばかりが目立って、その表情までをうかがい知ることはできない。
ただ、小さな肩が……恐怖に震えていた。
「大丈夫だよ」
大樹はその肩を引き寄せ、そっと囁く。
ぴゅうっと、ひときわ強く風が吹いた。まるで二人を引き裂こうとするかのように、強く、冷たく。しかし所詮は小さな空気の流れ、強く身を寄せ合った恋人たちの間に割り込むことすらままならぬ。
カサカサと音をたてる落ち葉を巻き上げて、その風は団地の高い建物の壁をなめるように吹き上がり、空へと消えた。




