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季節はいつの間にか冬の入り口に差し掛かり、冷たい風が団地の間を駆け抜けては電線を吹き鳴らす。その男――敷島 涼が小輪谷団地を訪れたのはそんな11月半ばの土曜日の昼をすぎたころだった。
団地内の商店街には一軒だけ古い喫茶店があって、そこで昼食のために落ち合おうというのが大樹との約束だった。
表面が毛羽立つほど古びた木製のドアを押して敷島が店内に入ると、すでに大樹は薄暗い店内の一番奥の席に陣取っていた。その隣には淳子が、どこか居心地悪そうに小刻みに体をゆすりながら座っている。
今風の淡いピンクのワンピースが華やかで、すりきれた赤いビロードのソファとニスのはげたテーブルにはあまりにも不釣合いだ。そこだけに花が咲いているように明るい。
大樹の真向かいの席に腰を下ろしながら、敷島は「ひゅーっ」と口笛を吹き鳴らした。
「なになに、もう彼女とか作ってんの? 相変わらずモテるね~」
「モテたことなんか、一度もないし!」
「そうそう、あんなにモテるのに、何ちゃんだっけ? 幼きころの淡い初恋の君に操立てして、片っ端から女をふって歩いてたんだよね。ねえねえ、どうやってこのカタブツを落としたの?」
とつぜんに話をふられた淳子は戸惑ったようすで、さらに落ち着きなく体をゆすった。
「え、あの、私は……」
戸惑う声に、大樹が腰を浮かす。
「淳子、真面目に答えなくていいから。からかわれているだけだよ!」
「あ、そうなの?」
そんな二人の距離感を聡く汲んで、敷島はにっこりと笑った。
「そ、からかっただけ。なのに、真面目なお嬢さんだねえ、高坂には似合いだよ」
大樹が憤慨したように鼻を鳴らした。
「お嬢さんとか言うなよ、これでも俺たちよりセンパイなんだぞ」
「いや、この年になっちゃったら年の差とかあんま関係ないっしょ。それより、初恋の君のことは……乗り越えたんだな」
このチャラチャラした男のからかいの言葉、全てがウソというわけではない。実際に大学時代の大樹は女性から告白されることも多かった。その全てを断っていたのが初恋の――鬼頭サヤカへの思いを忘れられないからだというのもウソじゃない。敷島を本当に心許せる友人だと認めていた大樹は、この話を彼にだけ聞かせていたのだ。
だからこそ、力強くうなづいてみせる。
「ああ、もう大丈夫」
「愛の傷を癒すのもまた愛の力なり、かあ、いいね、そういうの」
「茶化してばかりいないで、真面目にやってくれよ。俺以外にも『鬼』の話ができる人が欲しいって言ったから、わざわざ彼女を連れてきたんだぞ」
「おっと、これは失礼。貴重なデートの時間をお邪魔しちゃったかな?」
慣れた様子でウインクを向けてくる男を、淳子は不快に思った。彼は大樹と比べてもあまりに不真面目すぎる。
それでも愛する男の大事な友人だと思うと邪険にもできず、淳子は曖昧に笑って首を振った。
「いいえ、べつに」
「あ、ボク相手にそういう社交辞令は要らないんで、邪魔なら邪魔だって言ってくれて大丈夫よ」
そう言いながら敷島が懐から取り出したのは、小型のテレコだった。
「特にここからの話は記録させてもらうから、本音でどうぞ」
「まさか、この話を記事にする気か?」
いきり立つ大樹にも、敷島はいささかも取り乱さぬ柔らかい笑顔を向ける。
「当たり前でしょ、ここに来る分のアシ代、取材費って名目で出してもらってるんだから」
「それはちょっと……」
「何でよ、俺はプロよ? ここの具体的な地名や学校名は出さないって」
「いや、そこは信用してるけどさ」
「それに、取材ってことにしておくとあっちこっちに入り込めて便利なのよね」
彼は上着のポケットをあさって、一本のメモリースティックを引っ張り出した。特に変わったところのない安っぽいプラスチック製のものだが、そこにつめこまれた情報がどれほどのものなのかを考えただけで、大樹の喉が鳴る。
「調べてくれたのか」
「ま、親友のためだからね」
メモリースティックを大樹に差し出しながら、敷島は急に真面目な顔をした。
「ぼくの信念は脚色することはあっても虚構を書かないこと、だから、欲しいのは『真実』だ。もちろん、キミたちの主観でかまわないから、『真実』を話してくれ」
「ああ、分かってるさ」
「じゃあ、まずはこっちのお嬢さんの話から聞こうか、レディファーストってやつだね」
そこからポツポツと語られた淳子の話はおよそ大樹の知っている通りの内容で、目新しいものはなにもない。名前こそ出さないように気を使ってはいたが、鬼頭ヤヨイの普段の様子と、彼女の周りで起きる怪異に言及したものである。
その一通りを聞いた後で、敷島は「なるほど」とつぶやいた。深く腕を組み、今聞いたばかりの情報を整理しようというのか、テーブルの上を睨み付けている。
「う~ん、つまり」
顔を上げた彼の表情にチャラさはない。ひどく真剣に、まっすぐに淳子を見つめる。
「お嬢さんは、その生徒さんが超能力者的なものだと思っているんですね。それが『鬼』の正体だとも考えている」
「だって、この前も校庭で見えない力に首を絞められて……あとも残っていますよ、見ますか?」
「いやいや、けっこう。別にあなたの話を疑っているわけじゃありませんよ」
「じゃあやっぱり、あの子は『鬼』なんですね」
「それもどうかなあ」
「やっぱり、あなたも私がどこか精神を病んでいるから幻覚を見たとか、そういう風に考えているクチですか!」
ヒステリックな叫びからは、彼女が今までに受けたであろう無理解の一端がうかがえた。
思えば金魚が死んでいたあの日も、夕方遅くなってから報告のために小輪谷小学校に戻ってきた彼女は不機嫌だった。あれは県の教育委員会でも自分の言い分など何一つ通らず、うかつなことを言えば狂人扱いされるという不条理からのものだったのだろうと、大樹はいまさらながら彼女に同情した。




