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大樹がその話を考え付いたのはクラスのマドンナである鬼頭サヤカを励ますためだった。
いや、特別な関係になるために彼女の気を引きたいという下心も多分にあった。なにしろあれは初恋だった……
サヤカは目鼻立ちのハッキリとした人形のように可愛らしい容姿をしており、成績も間違いなくクラスでトップにいた。ところが彼女は友人関係というものに無頓着で、女友達というものを作ろうとしなかったのだ。
大樹と悪友数人がつるむ男子グループと行動を共にすることが多く、これが逆に「男子に媚びている」とクラス中の女子から総スカンを食らう原因にもなっていた。
大樹がこれを心配して注意したことがある、女子とも遊ぶようにしたほうがいいのではないかと。
しかしサヤカはつまらなさそうに指をひねりながら答えた。
「だって、女の子の遊びっておしゃべりばっかりなんだもん」
確かにサヤカは女の子の喜ぶような話題に疎い。家ではテレビを禁止されているということでドラマや芸能人の話などまったく知らないのだし、女の子が好んで読むような少女向けのマンガなども読まない。
ましてや賢いわりに奥手でコイバナというのも好まないのだから、およそ話の輪になど入れぬだろうと容易に予想がついた。
おまけに、大樹はこの少女に好意を寄せているのだ。
「それよりさあ、今日も秘密基地、行くんでしょ!」
好奇心にキラキラと瞳を輝かせる愛くるしい顔をみてしまっては、それ以上何かを言うことなどできない。
こうして大樹は、学校の自由時間のほとんどを彼女と過ごすことになったのだ。彼女をもっと独占したいという欲が出ても不思議はない。
もちろん学校の行き帰りや放課後もサヤカは大樹と行動を共にした。運動神経のよい彼女は男子の一団の中に在っても一目置かれるような信用を勝ち得ていて、三角ベースのときはどっちのチームが彼女を獲得するかを決める『ドラフトじゃんけん』なんていう特別ルールまで作られていたぐらいだ。
そんな彼女を深く悲しみの底まで落としたもの、それはたった一匹の小さな猫だった。
いつものように公園で悪友たちと三角ベースに興じていたときのことだ。大きく打ち上げられたボールを拾いに植え込みの陰に入った友人が、みんなを手招きした。
「なんだよ」
肩をぶつけ合うようにして覗き込んだ小さな植え込みの足元に子猫が倒れこんでいる。本来ならふわふわしているはずの毛並みは汚れきって見るからにバサバサしているし、目やにがひどくて両目がふさがっている。助けを求めるように弱弱しい泣き声をあげてはいるが、もはや半分死んでいるような有様だ。
「どうするんだよ、これ」
子猫がどれほど哀れっぽく鳴いても、団地暮らしの子供たちではこれを拾うわけにいかない。連れて帰ったとしても親に怒られて再びここに戻しに来るハメになるに決まっている。
それに、手を触れることさえためらうほど、子猫は汚れきっていた。
「とりあえず、ほっとくしかないんじゃないかなあ」
こういうときに男は無責任だ。計算高いというべきかも知れない。
親に怒られるという予想と、汚らしい猫に触れるというリスクを恐れて、男子連中は誰一人手をだそうとはしなかった。
ところがサヤカだけは、何のためらいもなく両手を差し出して子猫の体をそっと抱き上げたのである。
「こんなに小さな子をこんなところに置いておこうなんて、ひどすぎるんじゃない?」
汚らしい子猫を胸元に抱えこんで男子連中の顔を見回すサヤカの強さを、大樹は美しいと思った。小さかった恋情が一気に燃え上がり、胸のうちを焦がされるような気がする。
それをごまかすようにためらいがちに手を伸べて、大樹は小猫の頭をなでた。
「あたたかい」
ともすればもげてしまいそうなほど頼りない首の柔らかさ、脆弱な生き物の、しかし確かに生きようとする生命のぬくもり。
これをここに置いておくのは確かに非情な気もするが……そんな大樹の気持ちを代弁するように、一番後ろに控えていた大柄な一人が声をあげる。
「けどよぉ、サッちん、団地じゃ猫は飼えないんだぜ?」
「団地じゃなきゃいいんでしょ」
子供の行動範囲などタカが知れている。団地のほかに世界があるとすれば、毎日を過ごす学校の中くらいしか思いつくわけがない。
サヤカの先導でダンボールを集め、飼育小屋の後ろに小屋らしきものを作った。持ち寄った小遣いを握り締めて駅前まで猫のミルクを買いにも行った。
別に大樹だって本気でこの猫が生きながらえるとか、快復すると思っていたわけではない。ただ、死ぬまでのほんのひと時を孤独ではなく過ごせるのなら、それだけでもサヤカの気持ちは救われるのではないだろうかと考えてのことである。
ほかの男子連中にいたってはこれが親に内緒の作業なのであるという、秘密基地を作るときのようなワクワク感だけで動いていることは明らかであった。
それでも親に内緒で古タオルを持ってくる者、親に内緒で水飲み用の食器を持ってくる者など、子猫を飼うための体裁は整った。
この小屋で子猫は実に三日ほど生きたのである。最初の衰弱ぶりを思えば長くもったものである。
子猫が死んだと聞かされたとき、急いで猫小屋に向かったのは悲しかったからじゃない。子猫の死そのものについては予想の範囲内であり、「ああ、ついにか」くらいの感慨しかなかった。ただ、子猫にひどく想いをかけていたサヤカのことが心配だっただけだ。
小屋の前で、彼女は小さな死体を抱いて泣いていた。まだ小学生だった大樹は彼女を慰める言葉すら思いつかず、ただマヌケに立ち尽くしていることしかできずにいた。
翌日、サヤカは学校を休んだ。




