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反魂ごっこ  作者: アザとー
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 団地の間にしつらえられた小さな公園で、小学校低学年ぐらいだろうかという子供たちが手をつないで輪になっている。ひときわ小柄な少女が中心に座らされ、両手で目をふさいでいるのが可愛らしい。

 耳の奥まで響くような明るい声が団地の間に響き渡る。

「こ~わや、こわや、こ~わや団地の鬼ぃは……」

 階段の一段目に足をかけようとしていた大樹は、その声に足を下ろして目を細めた。

「へえ、懐かしいな、『鬼呼び歌』か」

 この男――高坂(こうさか) 大樹(たいき)は今年で23歳になる。小学校時代をこの団地で過ごし、中学一年の終わりに父親の転勤に伴って他県へと引っ越した。

 だから、大樹がこの歌で遊ぶ子供たちを見るのは十年ぶりだ。

 他見にうつったあとも、普通のカゴメ歌なら聞くことはあった。しかし小輪谷団地の中だけで歌われている独特の歌詞は、県をまたいだ先で聞いたことは一度もない。

 子供たちの声は少し舌っ足らずで、リズムも安定しない。だからこそ遊び歌は無邪気で楽しげに響く。

「い~つ、い~つ来ぃやぁる……」

 それに続く一節を、大樹はつい口ずさんだ。

「カガチをたどり、つるべの下にかぁくれた」

 それに答えたかのように、子供たちの声がひときわ大きく。

「後ろの正面だぁれ」

 階段を上りはじめながら、大樹は思わずつぶやいた。

「ああ、あまりにも懐かしい光景だ」

 大樹がこの団地に再び住居を求めて引っ越してきたのは二週間前、他県でせっかくついた職も半年で辞めてのことである。というのも、彼は二年前に父親を亡くした。もちろん、それだけなら彼が職を辞めてまでここに越してくる理由にはならない。

 父が死んだあと、母が心を病んだ。ここに越してきたのは全て母のためである。

 あちらの家は両親が苦労の末に手に入れた『マイホーム』というやつではあったが、父という大黒柱をすでに失っているのだから未練などない。もっとも大樹は父親が転勤の多い仕事だったせいで引越し慣れしており、定住するための『家』というものに執着する思想がなかったのだ。

 母の狂態はすでに近所にも知れ渡っており、白い目を向けられることも多かった。だから父が遺した家を手放すことにためらいはなかった。

 仕事のことだって、しばらくは家を売った金で食っていけるのだし、大樹の年を考えれば決して転職に不利ではない。それに近所にまで知れ渡っている母の狂態が会社に知れるのも時間の問題だろうと。

 はたして、大樹は幸運であった。急に退職した教師の穴埋めにと、小輪谷小学校での教職を得ることができたのだ。小輪谷小学校は団地の一街区にあって、大樹の住む二街区からは車道をまたぐ遊歩道一本程度の通勤距離である。

 ここに越してきてから母の病状は回復しつつあるが、それでもまだ完全とはいえない。そんな母の面倒をみるには職場が近いというのはなによりもありがたい。

 それに『小学校に行く』といえば、母親も納得するだろう。

 何しろ彼の母親は……

「ただいま」

 大樹がそっけない灰色のペンキで塗られた冷たい鉄のドアを開くと、件の母は怒りの形相で上がり框に仁王立ちしていた。

「まあまあまあ、こんなに遅くなって!」

 ヒステリックな甲高い声は二十歳をすぎた男を怒るそれではない。まるで小学生くらいの子供をしかりつけるように厳しい。

「こんなに暗くなるまで帰ってこないで、鬼に連れて行かれたらどうするの!」

「いいかげんにしてくれよ、母さん。俺はもう大人だよ」

 苦笑いしながら言ったが、大樹はこの母親に真っ当な言葉が通じるとは欠片も思っていない。数年前に夫を急な病で亡くしてしまった彼女の心は、もはや現実と夢想の区別もつかぬほど壊れきってしまっている。

 彼の母親は、自分の息子がまだ小学生であるという夢想の中に生きているのだ。ちょうど団地に住んで大樹が小学生だったころといえば、彼女の夫は単身赴任で市外のアパートを借りていた。つまり、夫は死んだのではなく、仕事で家に帰ってこないだけだという悲しい妄想のなかで彼女は暮らしている。

 これでも以前よりはずいぶんと良くなったものだ。この小輪谷に越してくる前の彼女はすっかり正気をなくしていたのだから。

 大樹が母の異常に気づいたのは父の一周忌を過ぎてすぐのことだった。なじみの魚屋が帰宅途中の大樹に声をかけたのだ。

「アンタのお母さん、魚を三匹買っていったんだが、来客かね」

 それは来客に出すにはあまりに質素な秋刀魚で、魚屋は少し値の張るほかの魚をすすめたのだという。そのときに母親がトンチンカンなことを言ったのだとも。

「いいの、秋刀魚はお父さんの好物だから」

 墓前に上げるのだろうと魚屋は納得して秋刀魚を包んだ。しかし、そのやり取りに何がしかの違和感を感じたからこそ、これを大樹に伝えたのだろう。

 帰宅した大樹は、その違和感の正体にすぐに気づいた。

「あれ? 親父のパジャマなんか洗濯して、虫干し?」

 リビングの隅で母がたたんでいる洗濯物の中に、しばらくタンスに入れっぱなしだった紺色のスウェットスーツを見つけて大樹は声を上げた。

 それは父親が毎日のように着てくたびれきった代物で、裾のゴムはのびきってほつれはじめている。だから形見として残しておくにも少し見栄えが悪いのだが、母にとっては夫の体臭を感じる名残なのだろうと捨て置いていたものだ。それがキレイに洗われて母の手の中で引き出しにおさまる大きさに畳まれようとしている。

 もはや着る人の体を失ったものを畳むあたりまえ過ぎる所作が、大樹の心に小さな不安を埋め込んだ。母は、そんな不安をさらに逆なでするような、これまたひどくありきたりな仕草で振り向き、不思議そうに首をかしげる。

「洗っておかないと、お父さんが帰ってきたときに困るでしょう?」

 夫が死んだことをまるきり忘れきっている顔だった。

 その証拠に食卓に並んだ秋刀魚の皿は三枚、そのひとつにはぴっちりとラップが張られている。他の副菜も一人分だけ小鉢に取り分けられてラップで覆ってあるのだから、これは遅く帰ってくる夫に対する彼女への配慮だろう。


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