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長い話を終えてため息をつく淳子のグラスに、大樹はビールを注いでやった。彼女はそれには口をつけず、悔悟のため息で泡の表面を吹き揺らしている。
「あのころの私は、それでもまだ鬼頭ヤヨイがふつうの生徒であると信じて……いえ、信じようとしていたんでしょうね、緑川さんのお葬式が終わったあとで面談を行ったんです。鬼頭さんの心が傷ついているようならスクールカウンセラーを手配する、そのための面談でした。でも……」
ぶるぶると小刻みに震える肩にあわせて、グラスの中で泡が揺れた。
「鬼頭さんはあの時、緑川さんの自殺の理由を教えてくれました」
「理由?」
「誰にも引き離されないように……」
「そりゃあ理屈が通じないでしょう。心中だっていうならともかく、片方だけが死んだら永遠のお別れってやつじゃないですか」
「鬼頭さんが言うには、緑川さんは死んでいないそうです」
「は?」
「人間のままで一緒にいると、あの……私……のように口うるさいことをいう大人がいるから、人間の姿を捨てるために一度リセットしたんだと……」
「そんなことがあるわけがない、非科学的だ!」
大樹の声は力強くて、ちょうど瓶ビールを掲げて入ってきた店員が驚いて立ち止まる。
「あ、す、スイマセン」
ぺこぺこと頭を下げる大樹の姿に、淳子の頬がゆるむ。
「もう、何やってるんですか~」
その声に、今度は大樹のほうがにやりと微笑んだ。
「やっと笑った」
「え?」
「いやあ、もしかしたら笑うための筋肉がないんじゃないかと思ってましたよ」
淳子がプッとふきだす。
「ひどい言われようですね」
「で、落ち着きましたか?」
「はい、ずいぶんと落ち着きました」
「それは良かった。ところで、さっき俺が非科学的だといったことなんですけどね、誤解しないでいただきたいのは、まず、俺は死んだ者をけなすつもりはないということです」
「はい」
「その上でやっぱり、非科学的すぎますよ、それは」
大樹は自分のグラスを一気に煽った。
敷島ほどではないが彼も弁は立つ。両手を広げ、まるで演説でもするような調子で。
「人間は死んだらどうなるか、霊魂という存在がこの世に残るのだ、つまり人の姿を失っても存在そのものは残るのだという考え方が一般的ですが、そもそも霊魂という物質の存在自体が化学的に立証されていません。むしろそんなものは存在しないというのが常識です。そうでしょう?」
「そ、そうですよね!」
「ああいった年頃の子供が、そういった科学的な裏づけのない世界に没頭する気持ちもわかります。なぜなら未熟であり、夢想と現実の敷居というものが我々大人よりもずっと低いのですから。だからといって、その夢想に大人であるあなたまでもが振り回されてはいけない、わかりますね?」
「はい」
大樹はふっと小さく息を吐き、淳子の頭に手を置いた。
「あなたは何も悪くない、わかりますね」
淳子の目の端に、ふっくらと涙の粒が盛り上がる。
「私、わたし……」
その涙は白い頬をついと伝って流れ、安っぽい合板張りのテーブルの上で砕けた。
大樹はさらに掌に力をこめ、そのぬくもりを擦り付けるようにして淳子の頭を撫でる。
「ここまで、ひとりでよくがんばりましたね」
こうなっては、もはや流れる涙の押しとどめ方などわからない。淳子は嗚咽を漏らして散々に泣いた。
ひとしきり泣き終えたところで顔を上げれば、大樹がニコニコと笑っている。ふくれっつらを作って唇を尖らせたのは、そんな彼の笑顔がまぶしかったから。
「なにをまた、ヘラヘラしてるんですか」
「いやあ、ずいぶんと泣き虫だな、と思ってさ、俺よりも年上のクセに」
「悪かったですね、年上なのに頼りなくて」
「いいや、年上なのにかわいいよね」
「んな! かわいいとか、バカにしてるんですか!」
柔らかく握ったこぶしで大樹にじゃれ付きながら、淳子は心が少しだけ軽くなったような気がしていた。
こんなに油断した顔を誰かに見せるのは久しぶりだ。そう、緑川ユウカが死んだあの日以来だ……こんなに泣いたのも。
涙のあとを掌でぬぐいあげながら、淳子はとある予感を感じていた。
――恋に落ちるかもしれない……




