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緑川ユウカは『ごくふつう』の少女だった。
アイドルのように可愛らしいわけでもなく、成績がすごくいいわけでもない。運動だって一位になれるほど足が速いわけでもなく……すべてにおいて中の中というのが緑川ユウカという少女である。
もちろん、ユウカがそれを気にしていたということはない。容姿に悩むほど不細工なわけでも、親に怒られるほど成績が悪いわけでもなく、良くも悪くも全てが『ごくふつう』である彼女の人生は安定しているものだったはずだ。
だから彼女が団地の高層棟の屋上から飛び降りた理由がわからない。
そう、誰にもわからないのだ……
◇◇◇
淳子との待ち合わせに駅前の居酒屋を指定したのは、電車通勤であるという彼女の帰りに配慮してのことである。名前の良く知れたチェーン店の店内は明るく、どこかに不快な闇が潜んでいる気配もない。
大樹は安心して暖簾をくぐり、待ち合わせであることを店員に告げた。やたらと声のでかい店員が「もしかして」と通してくれたテーブル席にはすでに淳子が座って、ひとりで瓶ビールを飲んでいる最中だった。
「あら、もうそんな時間ですか」
慌てて椅子から腰を浮かす淳子を押しとどめて、大樹は彼女の向かいに座る。
「いや、俺もちょっと早く来すぎたみたいで」
軽い挨拶のついでに淳子をみれば、通勤用に着替えたらしく彼女はピンク色のワンピースを着ていた。それだけならば学校で見た教師風の衣装よりも子供っぽいくらいだが、化粧も少し濃くした白い頬にピンクが映えて色っぽい。
大樹は少し落ち着かない気分になって、厨房に戻ろうとする店員をつかまえて、まずはビールを注文した。
「とりあえず乾杯を……ってか、先に飲んでるんですね」
「ごめんなさい、あなたが来る前に少しだけ気を落ち着けようと思って」
「いや、責めてるわけじゃありませんよ。酔っていないと話せない話もある、そうでしょう?」
大樹は空になった彼女のグラスにビールを注いでやる。
学校でのおびえぶりからは、彼女が鬼頭ヤヨイをひどく恐れていることがうかがえた。ここに来るまでにも、きっと何度も逡巡したはずだ。
そう思えば彼女の飲酒をとがめる気になれない。
「どうです、話せそう?」
大樹の言葉に淳子はうなづいて、ビールのグラスを両手で抱えた。
「何から話せば……」
「まずは鬼頭ヤヨイのことですかね。俺は以前、彼女が夜中に出歩いているところに出くわしたことがある。親はあれに何も言わないんですか?」
「彼女にご両親はいません。小さいころからおじいちゃんとおばあちゃんに育てられているそうです」
「ああ、それで。年寄りでは行き届かないところがあるんでしょうね」
「そういうわけではないでしょう。おじいちゃんおばあちゃんに育てられても、しっかりしている子はしっかりしていますよ。鬼頭さんのお家が少し特殊なんです」
「特殊、というと?」
「私も市外出身なので詳しくは知らないんですけど、小輪谷の鬼頭というのは、『関わってはいけない』存在なんだそうです」
「そんなことはないでしょう!」
大樹が大きな声を出したのは、かつて小輪谷小学校で机を並べた懐かしい友人の姿を思い出したからだ。
「俺の友人にも鬼頭って名前のやつがいたけれど、彼女は別に『関わってはいけない』存在なんかじゃなかった。本人も社交的だったし、優しかったし、友人の多い可愛い子でしたよ」
「そりゃあ、鬼頭なんてよくある名前ですし……私が言っているのは『小輪谷の鬼頭』に限り、ですよ」
「よくわかりませんが、鬼頭ヤヨイはその『小輪谷の鬼頭』というやつなんですね」
「そうです。そのことを知っていたら、私はあの子に関わったりしなかった。そうすれば緑川さんも死ぬことなどなかったかもしれない」
「いったい、何をやらかしたんですか」
「そうですね、少し順を追ってお話しますね、『ユウちゃん』が団地から飛び降りた『あの日』までのことを」
そう言って淳子は、目を閉じて、間違って飲み込んだ毒物を吐き出そうとしているような苦しい顔でグラスの中のビールを一気に煽った。空になったグラスの中には代わりに、ため息を落とす。
「聞いてください、あれは私が4年3組の副担任になってすぐのことでした」
そうして、長い長い懺悔が始まった……




