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反魂ごっこ  作者: アザとー
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 そのとき、来賓用玄関のエントランスに、ふわりと風が吹いた。

「ん?」

 こんなに大きな建物であればどこかの窓が開いていてもおかしくはないのだし、風が頬を撫で通ったからといって珍しいことではない。

 だが大樹が不快そうに眉をしかめて顔を上げたのは、その風が余りに生ぬるかったからだ。まるで獣の呼気のように湿気をたっぷりと含んだ温かい風が吹いている。

 顔を上げた先にはヤヨイが立っていて、風はどうやら彼女の背後から吹いてくるらしい。

「ねえ、新人先生?」

 微笑む少女を大樹は叱りつける。

「何をしてるんだ、授業中だろ!」

「大丈夫、すぐ戻るつもりだから」

「そういう問題じゃなくてね……そうか、不良娘じゃなくて問題児だな、キミは」

 ヤヨイがぷうっと頬を膨らませた。

「問題児ってあれでしょ、授業中に騒いでみんなに迷惑をかけたり、給食を床にばら撒いてみんなを困らせたりするやつ。そんなこと、私はしないもん」

「授業を抜け出してこんなところをふらふらしているのも、十分に問題児だと思うぞ」

「抜け出したわけじゃないよ、ちょっと借りてるだけだもん」

「借りてる?」

「そう、借りてるの。だから私は教室にちゃんといるよ」

「何を言っているのかわからない。一体、何を借りてるんだ」

「体」

 熱い風が、ざあっとひときわ強く吹いた。

「ねえ、先生、さっき朝の授業が始まる前、八重樫先生と何のお話していたの?」

「話なんかしていない」

「うそ、一階の端っこの教室で、缶コーヒーを飲んでいたよね、黒い缶のやつ」

「なんで知ってるんだ、見てたのか?」

「ううん、見てたのはユウちゃん。でもね、ユウちゃんが見たものはぜ~んぶ、私に伝わっちゃうんだよ」

「そういうお化けごっこはやめなさい。どこかから覗いていたんだろ」

「信じてくれないんだね、植草先生みたい」

 このとき、大樹は自分の頬に当たる風が一定のリズムを刻んでいることに気が付いた。

 ふうっと吹き付けるように強く、長く。それがすうっと吸い込むようにしばらく休む。そして再び、ふうっと……まるきり呼吸のリズムだ。

 その呼吸を背に、ヤヨイがゆらりと揺れた。

「私、そろそろ教室に戻るけど、先生、おかしな気を起こしちゃだめよ」

「おかしな気って?」

「私を倒そうとか、やっつけようとか。ま、どうせできっこないけどね」

 ゆらりと大きく揺れて、ヤヨイの姿が床に崩れ落ちる。

「あぶない!」

 思わず差し伸べた大樹の腕の中に落ちてきた体重は、子供のそれではない。重力にぐいと引かれてよろけた大樹の腕の中には校長がいた。

「うう、す、すみません」

 少し意識が朦朧としているのだろうか、彼はうめくような声をあげながら額を押さえている。大樹はその身体をまっすぐに引き立たせてやりながら辺りをうかがったが、ヤヨイの姿はどこにもなかった。

 風は……やんでいた。

「いったい、これは?」

 狼狽から漏れただけの呟きを自分への質問だと思ったのだろう、校長はこめかみを軽く揉みながら大樹に答える。

「いや、歩いていたら、急にくらっときましてね、年かなあ……」

 そのあと、身体を気遣う言葉を交わした気がするが覚えていない。大樹はただ、一刻も早く校舎から出てしまいたいと、そればかりに気が向いていたのだ。

 もつれる足元を叱りながら校門まで転がり出て、ふと背後を見上げる。そこには小輪谷小学校の白い校舎が校庭に寝そべるように張り出していた。

 朝日に照らされた校内にいるときは気づかなかったが、ここには確かに闇が溢れている。くっきりと白い光を拒むように、下駄箱の入り口は薄暗く影を孕んで口を開けているのだし、校舎のちょっとした出っ張りや日差しが陽光を遮って描く影が白い壁の上にくっきりと黒く染み込んでいる。

 その黒さが、ウゾっと音立てて蠢いた気がして、大樹は大慌てで校舎から目をそらした。

 頭の片隅に、あの恐ろしい少女の姿に震えながら授業を行う淳子の姿がよぎったが、それさえも大樹の足を止めるにはなんの役にも立たなかった。

 ほとんど這うような足取りで校門を抜け、彼が最初にしたことは電話である。ポケットから取り出したスマホをスイスイと繰って耳に押し当てたのだ。

 電話の相手は、大学時代からの友人である敷島 涼だった。

「はいはいなー、敷島です」

 数度のコール音の後で電話口に出た声はあまりに浮かれきっていて、たった今、恐怖に震え上がったばかりの大樹の気持ちを逆なでする。

 それでも今のこの恐怖に理路整然とした解析を加えてくれる相手など彼しか思いつかない。だから大樹はすがるような声を出す。

「敷島、俺だ」

「あら、高坂くん? どうしたんよ、そんな死にそうな声を出して」

「敷島、君はお化けを信じるんだったな?」

 電話の向こうから長い沈黙が聞こえた。大樹の真意を測りかねて小首を傾げているような、そんな沈黙が。

 堪りかねて大樹が悲鳴をあげる。

「敷島、助けてくれ、敷島ぁ!」

「まあまあ、落ち着きたまえ、ね。こっちは君が何を言いたいのかさっぱりんごだよ。まずは深呼吸~」

 彼の言い分ももっともだ。大樹は電話を握り直して呼吸を大きく吸い込む。肺が広がると同時に、今まで滞っていた思考が脳に流れ込むような気がした。


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