もみじ
紅葉も深まる秋の夕暮れ。私は日光を向かい一人坂道を登っていた。
「もう少しで頂上か」
少し立ち止まり、ふうと、息を吐いた。足元には頂上から風で飛んできたであろう椛の葉がちらほらと見え始めた。私はお弁当と水筒の入った小さなリュックサックを背負いなおすと再び歩き出した。
「先輩も先に来ればよかったのに。私だけなんて寂しいじゃないか」
私は空を見上げそう呟く。
私には一つ年上の先輩がいる。同じ天文部所属の二年生。一見淡泊な性格の持ち主だが私だけはそれが純粋な好奇心を持つ素敵な人間だと知っている。今日は日が落ちてから天体観測をする予定だ。私は日が落ちる前に綺麗な椛を楽しもうと一足先に公園へ向かった。
椛の木だ。公園の隅に植えられた椛が見え始めた。風に揺らされた椛の葉は時折その足元から飛び立ち遠くへ消えていった。
「綺麗……」
思わず声が漏れた。それは私がもみじという名前だからかもしれない。この季節になると少し感慨深くなってしまうのだ。
私が公園の入り口にたどり着くと一人の小さな女の子が見えた。幼稚園生だろうか。地面に落ちたもみじをまじまじと見つめていた。そして一つのもみじを拾うと私に気づいた。
「綺麗でしょ!こっちにおいで!」
公園の中から彼女は私を呼んだ。彼女は一人だった。周りに誰か人がいる気配はない。私はこんな誰もいない公園で一人の彼女を少し心配になりながら近づいた。
「こんにちは」
「こんにちは!」
私が声をかけると彼女は笑顔のまま嬉しそうに真っ赤に染まったもみじを私に差し出した。私はしゃがんでそれを受け取った。私はありがとうと言い、彼女の名前を尋ねた。
「このは!」
「このはちゃんね。このはちゃんはここで何してるのかな?」
「おかあさんを探してるの!」
「はぐれちゃったのかな。お母さんはどこにいるのか分かる?」
「ここ!」
そういいその子は私の受け取ったもみじを指さした。
「わたしのおかあさんはもみじなんだって!」
彼女の母親の名前がもみじだから、落ち葉のもみじを探しているのか。子供らしいかわいい考えで私は少し笑った。
「そっか、私と同じだね」
「お姉ちゃんももみじなの?」
「そうだよ、わたしももみじ。このはちゃんのお母さんと一緒」
そう答えるとこのはちゃんは一層の笑顔になった。
「じゃあさ!じゃあさ!私のおかあさんと会える!?」
難しい質問だ。私は少し困った。
「じゃあ一緒に探しに行こうか」
「うん!」
そういって私は彼女の手を握った。
「このはー!帰るよー!」
私の入ってきた公園の入り口から声が聞こえた。このはちゃんは私と繋いでいた手を解き、彼女を呼んだ女性のもとへ走っていった。
見つかって良かった。私はすこしほっとした。
「じゃあねーお姉ちゃん!今度はお母さんの所へ連れて行ってね!」
どうやら少し生意気な子のようだ。女性は私に会釈し、私もそれを返した。このはちゃんは女性と手をつなぎ公園を後にした。
*
「クソガキは帰ったか?」
日もすっかり落ちた頃、先輩が公園へ着いた。手元には電池式のランタンが一つあるのみで公園は真っ暗だった。
「先輩遅いですよ!」
「秋になるとあのガキがうるさいからな」
「クソガキって、このはちゃんですか?」
「ああ」
「そんな言い方しなくても!」
「いいやクソガキだ、俺の論理的説明を理解しない。著しく気分を害する」
どうやら先輩とこのはちゃんは面識があるようだ。
「よくこのはちゃんがこの公園にいるって分かりましたね?」
「彼女は椛が赤く染まると毎日この公園に来る。母親を探しにな」
私は先輩の説明があまり良く理解できなかった。毎日この公園に来て迷子になっているのだろうか。それにしても毎日は言い過ぎだと思った。
「母親ってもみじさん?」
「なんだ、知ってるのか」
「このはちゃんに聞きましたから」
「そう、彼女は見つかりもしない死んでしまった自分の母親を毎日探しているんだ。自分のおかあさんはもみじなんだってね」
「亡くなった?」
「そう、もみじさんは彼女を出産する際に大量出血で亡くなっている。もみじさんは離婚して独り身だっだため今は妹、このはの叔母に引き取られた」
この時このはちゃんを迎えに来た女性が叔母さんであることを私は理解した。
「詳しい……、ですね」
「そりゃもう。彼女の叔母にこっぴどく叱られた時に散々聞いたからな」
先輩はバックパックから様々道具を取り出す手を止め、こちらにニヤリと笑った顔を見せた。私はあきれながら尋ねた。
「何したんですか……?」
「ああ、彼女に言った、お前の母さんはそんなことしても見つからないってな。そしたら彼女がわんわん泣くもんだから彼女の叔母が俺に突っかかってきた。それが一回目。そこで彼女の母親が既に亡くなっていることを知った」
「一回目って、何度も言ったんですか!?」
「当然だ。母親とはもう会えないことは早く理解した方がいい」
私は、先輩がこのはちゃんと自らの境遇を重ねていることをすぐに理解した。
「それに……」
「それに、なんですか?」
私は問いかけた。
「このはが下ばっか見てるんだ。上を見れば真っ赤に染まった美しい椛の葉が一杯見れるのに、もったいないだろ?」
*
私は芝生の上に敷いたビニールシートの上に座り、先輩は公園のベンチの上に寝そべっていた。星空を見ている先輩は何を考えているのだろう。
「先輩も頑固ですね。三回も叱られてやめなかったんですか?」
「俺が三回でやめるとでも?」
「じゃあなんでやめたんですか?」
「叔母さんに止められたからな」
ああなるほどと私は呟いた。先輩の叔母さんは先輩に似て行動が読めない怖い人だ。
「君はこのはに母親の所へ連れて行って欲しいと頼まれたのだろう?」
「はい。同じもみじだからって」
「そうか……。ところで、明日の天気は晴れだよな?」
「はい、今週一週間は快晴です。それがどうかしましたか?」
先輩は少し黙った。それは肌寒い秋の夜の中では、とても長く感じた。それから先輩は呟くように言った。
「明日はこのはもここにいるといいな」
*
「もみじが星になるわけないだろう」
先輩が少し嫌味っぽく私に言った。
「それ以外思いつかなかったんだからいいじゃないですか。それに今は少なくとも上を向いていますよ」
私はビニールシートの上で熱心に星を見上げるこのはちゃんに目線を向けた。
「このはの説得に三日、その叔母の説得に四日か。君も大概頑固だな」
先輩は気にいらない表情をしていたが嬉しそうなのが私にも分かった。
あれから一週間たった。私は毎日公園に通った。それがこのはちゃんのためなのか、先輩のためなのか、自分のためなのか分からなかったが今ここでこのはちゃんが星を見上げていることが嬉しかった。
「まあでも、ありがとう」
先輩は私にそう言ってからこのはちゃんの隣に座った。
「私もそろそろ星になるかな……」
私はそう呟き二人に気づかれないように公園を後にした。
この季節になると少し感慨深くなってしまうのだ。