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水流の擲弾


■水流の擲弾


 水流の操作では、静止した水に波を立てる程度のことがようやくできましたが、本章では大幅にステップアップして、空中から水流を呼び起こす魔法を習得します。


 水流の操作では、慈愛衝動を使いました。さらにそれを強くするために、あなたの慈愛を受けた人がこの上ない幸福に包まれる様を想像しなければなりません。


 あなたが飢餓に苦しむ子供に食物を施したところを想像したとき、その子供が喜んで笑顔になるところを想像すればいいでしょうか? いいえ、そんなものでは次のステップにはつながりません。


 その子供はあなたの施しで生をつなぎ、意味のある人生を送れるでしょうか? そこにまで思いをはせなければならないのです。仮にひと時の空腹を癒したとしても、その子供が無為に生をむさぼり、意味もなく死んでいくのでは、慈愛を為したとは言えません。その子供が生き、感じ、意味ある生だったと納得して死んでいく――それこそが本当の慈愛であり、慈愛を為すものはそこまでの責任を負わねばならないのです。


 準備するものはありません。部屋を水浸しにしたくなければ、受け皿くらいはあってもよいでしょう。また、まったく水が存在しないところから呼び出すのは非常に困難です。ある程度湿度の高い日、雨の季節や、雨上がりの日が適しています。もちろん、訓練次第では、空気が乾ききっていても魔界から水を呼ぶことさえできるようになりますが、それはまだ先の話です。


 空中に意識を集中し、何もないところに慈愛の意味を見出しましょう。そこに、本来あるべきだった幸福をもたらすイメージです。それを魔力に乗せ、宙の一点から浸みだすところを想像するのです。やがて、小さな水滴が、落ちるはずです。イメージが上手にできるようになれば、水滴は小さな水流になるでしょう。


 最後に、その水流を魔力の操作で空中に留め、慈愛衝動の力で投擲します。慈愛衝動で投擲すると、物体の移動の魔法とは比べ物にならないほどの速さで水弾は発射されます。十分な水量があれば魔界の竜でさえ一撃で倒せるほどの最強の攻撃魔法になり得ます。慈愛衝動を揺らがせずに、攻撃する意思を固める、あるいは、相手の悪意を認めて防御することは、とても難しいことです。多くの魔物や兵士は、戦闘中に慈愛衝動を呼び起こすことさえできません。だからこそ、単なる水弾の投擲に過ぎなくても、これが最強の攻撃魔法となり得るのです。たかが水をぶつけるだけと侮らず、最後の投擲の練習は、周囲に十分注意して、水は最小限の量で試すようにしてください。


 それでは学習メモにお進みください。


●学習メモ


 思いがけずこのページを開くことができて、少し自信がついてきているのを感じる。


 もちろん、あの時、白昼夢の中で見たおぞましい感触はなかなか僕の手を離れてくれないけれど、それも含めて、僕の魔法の能力の一つなのだと自分を慰めた。


 今回は、水の上級魔法。何もないところから水を呼び出す、というのは、常識から考えてもかなり難しそうだ。もしそれがいくらでもできるのなら、砂漠のオアシスに人が集まらなきゃならない理由はない。


 実のところ、魔法というのは、集中力だのなんだのさえ続くなら、いくらでも使えるということに気が付いた。今更だけれど。もともと魔法は世界の間の法則の壁を破るときにおこる変異なのだから、僕自身の魔力だか何だかを消費しなければならない理由はない。ちょっとしたイメージを集中力をもって持続できれば、いくらでも魔法は使い続けられる。だから、この水を呼び出す魔法を延々と使い続けられる魔法使いが一人いれば、干ばつで苦しむ年なんて起こるはずがないのだ。逆説的に、この魔法が相当に難しいことが証明されている。


 先日と同じ、近くの川の取水口の近くの河原に向かった。もし水の魔法が暴走しても、川の中に落とせば惨事は免れる。思えば、最初から魔法の練習はここでやればよかった、と思ったものだ。

 強い日差しが落ち着き始めた夕刻、丈の長い雑草をかき分けて河原に降りる。たった数日でこれだけ草が伸びることに、生命の力強さを感じる。


 ――生命に、いったい、意味なんてあるんだろうか。


 この教本の、意味ある生、という言葉を目にしてから、何度も考えている。

 人は何のために生きているのだろうか。

 人生を終えればそれまで。生まれた時からそう決まっているのに、なぜ生きているのか。


 例えば、家名を後代につなぐ、という目的で生きているとする。だとすると、では、家名などゆかりもない小作人や行商の子に生まれたものは生きる意味がないということになってしまう。神の国に召されて平安平穏に永遠に暮らすためなのだというのなら、生まれてすぐに死ぬのが一番いいことになってしまう。


 僧正様は、よりよく生きることがより良き神の国への道と説くが、では、よく生きる、とは何だろうか。慎み深く嫉妬に狂わず色や欲に惑わされない人生が、本当に幸福なのだろうか。彼女のように、ずっと病に苦しめられて生きることと、健康な体と無尽の財宝に恵まれて暮らすのと、どちらが幸せだろう。神の国に行って戻ってきた者はいない。現世で苦しみながらも正しく生きたものが、神の国で救われたかどうか、確かめることはできないのだ。


 無意識に、魔力の風を起こしていた。

 ほかの誰にも見えない速さで、それはびゅうびゅうと水面を走っている。ほの白いさざ波だけがその存在を知らせている。


 生きている理由がないのなら、意味ある生を送れるものなどいない。誰もが等しく、無為に死にゆく。


 死こそが、唯一だ。

 その瞬間の幸福について、誰も知りえない。逝ってしまったものは何も語らないのだから。


 可能ならば、幸福だったと思いながら、死にたいものだと思う。きっと誰もがそうだろう。死を前にしたとき、恐怖に顔を引きつらせるのではなく、この死に意味があったのだと思えるような、人生。それが、きっと本当の幸せなのだろうと思う。誰かの人生をそんな風に変えられるのなら、それこそが本当の慈愛。


 意味あるのは、死の瞬間だけなのだ。


 僕のすべての意識が、人が死にゆくその瞬間、機械時計の一番小さな針が刻む最も短いその時間よりもさらに短い時間の中に集中していく。その瞬間に幸福をもたらすことができるだろうか、と。

 もし彼女の病気が癒えず、ゆっくりと死にゆくとするなら、そこに何か安らぎを与えられるだろうか。彼女が死んだ後、きっと彼女の両親は悲嘆に暮れ――それでも、彼女の死を乗り越えて強く生きていくだろうと、そして、彼女の死に触れて悲しんだ誰もが、それでも幸せのためにめいいっぱい人生を暮らすに違いないと、彼女にそう確信させてあげられれば――きっと彼女は、心安らかに、幸福を感じながら死にゆけるのではないだろうか。


 それこそが永遠の慈しみ。


 そんな風に思った時、川面に異変があった。


 静かに持ち上がった水面から真球の美しい水晶が生まれた。


 それは水晶ではなく、水だ。あまりに寂としたたたずまいが、それを透き通った輝石のように見せていた。


 それは静かに膨らんでいった。周囲の空気中から――あるいは異世界から、見えない流れで水を集め、自らを肥大させていた。

 この世のすべてを潤す存在として。


 風にも光にも揺らがぬ水球は、長い長い間、その空間を占め続けた。


 最後の一投は、――僕がその水のあまりの静けさに恐れを抱いた結果――魔界に向けて投擲された。この世界から掻き消えた恐るべき水球は、魔界にいかほどの破壊をもたらしただろう。



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