火炎の発生
■火炎の発生
ここまでで各属性の基本を学びました。ここからの章では、それぞれの属性の上位概念を学んでいきます。
火炎の操作では、すでにある火炎を操作することを学びましたが、これでは魔法としてはいまいちです。本当に破壊をもたらすものとして、何もないところに火炎を発生させなければなりません。
この訓練では、火炎の操作と同じように破壊衝動を呼び起こしますが、ただ、衝動に身を任せてはなりません。それでは動物と同じです。人間は、その破壊衝動をコントロールできます。つまり、『攻撃するという強い意志』です。攻撃すべき相手を具体的に思い浮かべ、破壊のより完全なイメージを形作らなければなりません。より明確な動機を伴う破壊、それこそが攻撃と闘争であり、知恵を持つ人類にのみ許された破壊衝動の発露なのです。
まず、燃えやすいものを用意しましょう。よく乾いた藁や薄い紙が適しています。そして、火炎の操作と同じように、破壊衝動を燃料に向けてぶつけます。おそらくその段階ではまだ火は起こりません。
続けて、より具体的な破壊を思い浮かべます。目の前の燃料を炎で燃やす、というような衝動ではうまくいきません。それはただ単に現実の中に妄想を重ねているだけです。あなたが破壊を為すのには、魔界の力を使うのですから、現実にはあり得ないような破壊を想像しなければならないのです。これはとても難しいことですが、もし、魔族と戦ったことのある人間がいたら、魔族の破壊の有様をよく聞いてみてください。文献や伝聞を頼りにするのもよいでしょう。
うまくいけば、炎が起こり、燃料に着火するはずです。
より強力に破壊衝動をコントロールできれば、短時間ではあるものの、燃料のないところに炎を起こすことさえできるようになります。本章の目標は、燃料のないところにしばらく炎を起こしておくことです。あとは、火炎の操作でそれを自在に飛ばし、目標を焼き尽くすことができます。炎の大きさ、強さは、あなたのイメージ次第です。火炎がもたらす破壊の力は文句なしに最強です。しかも、とっさの破壊衝動に身を任せることでより強力な火炎を呼び出せますから、攻撃魔法としてこの上なく使い勝手が良いものとなるでしょう。
それでは学習メモにお進みください。
●学習メモ
今度は何もない場所に火を起こすのだというから、危なくないように郊外の川辺に向かった。
僕の家は小作人が二世帯だけの小さな貴族だから、川辺に領地は持っていない。でも灌漑のための水は必要だから、川辺の領地を持っている近くの伯爵家に導水路を借りている。将来家督を継ぐ可能性のある男子は、そのあたりには何度も足を運んで、伯爵に挨拶をするものだ。だから、僕は練習のための場所をその導水路の近くの河原に決めた。
治水のために整備された土手には高い植物が生い茂っていて火が出たらいかにも危なそうだが、そこから河原に下りると、雨季の水嵩に洗われてごつごつとした岩がむき出しになった荒地だ。雨季が終わって間もないため、ある高さから上が緑、下が灰色にきれいに塗り分けられている。僕はその灰色の中に溶け込む。没個性が主張する。
少し水際を歩いて、座れそうな大岩を見つけ、腰を下ろした。
まず僕はここで、強く具体的な攻撃性とやらについて内省しなければならないらしい。
初歩の練習の時は――そう、彼女が優しい笑顔を向ける、あの親友のことを思い浮かべたんだった。
消えてしまえ、と。
あいつさえ消えてしまえばあの笑顔を受け取るのは僕一人だけになるのに――、と。
これをもっと具体的なイメージにする、ということなのだろうか。
まずは、基礎練習のやり直しをするために、持ってきたろうそくに火種から火を移す。
ぽうっ、と燃え上がるが、それはすぐに涼しい風に吹き消されてしまった。
改めてろうそくに火をともし、すぐに魔力を呼び出すとともに、あの思いを反芻する。
ろうそくの火は強く燃え盛り、河原を駆け抜けていく風にもなびかない。
これが魔法の炎の本来の姿なのだろう。
このろうそくの火を消さない練習をしばらく続けて、それから僕は、いよいよ、破壊の衝動の具体化に取り掛かる。
人一人が消えてしまう――そんなことは本来あり得ない。
人が消える。物質としての人間が消えてしまう、なんてことは、そうそう起こらない。
人が消えるというのは、その人が、死ぬ、ということだ。心臓が止まるということだ。
作物についた害虫さえ、棒切れで地面にたたき起こして自然に死ぬのを待つことしかできないくらいの意気地なしの僕だ。
彼が死ぬことの具体的な描写――それは、例えば彼が、前線で魔族の軍団に対峙し、討ち死にする、そのくらいのものだ。
そんな気持ちを、からからに乾いた流木に向けたが、何も起こらなかった。
違う。この考えは違う。わかりきっている。
破壊衝動。攻撃したいという気持ち。僕の心の奥底に、それはある。
彼に死んでほしい――違う。彼を、こ・ろ・し・た・い。
殺したい。
ずっとずっとひそかな想いを寄せてきた僕を横目に、家柄だの才能だので出し抜いて彼女の気持ちをさらっていこうとするあいつを、殺したい。
僕の小さな机の中には、ナイフが一本、入っている。
護身用だと自らにうそぶいているけれど、違う。今、違うと分かった。
よく研いだ切っ先は、彼の胸の皮膚を破るためにある。
刃筋は、手向かう彼の指をことごとく切り飛ばすためにある。
柄に施された重々しい装飾さえ、彼の側頭部を打つためにあるのだ。
僕は彼を前にして、こう言うだろう。君は邪魔なのだ、死んでくれたまえ、と。
驚いた彼は、それでも、ナイフを手にする僕を認めるや、その腰のショートソードを抜こうとする。
それを制するように、僕はナイフを突き出し、剣に伸ばしかけた彼の右手首を薙ぐ。血潮が噴出し、僕の右足が真っ赤に染まる。
反撃の手段を奪われたと知った彼は、殺さないでくれ、と後ずさる。僕は構わず一歩を踏み出し、胸に向かってナイフを突き出す。彼はかろうじてそれをかわし、左の上腕でナイフの切っ先を受ける。
僕は、こざかしい奴だ、と鼻を鳴らしてナイフを引き抜き、こぶしを返して柄で彼の即答を殴った。あまりに重い一撃に、彼は足をもつれさせ、片膝をつき、首をうなだれた。
そして僕はそこに最後の一撃を加えるのだ。素早くナイフを逆手に持ち替えると同時に、背中の中央にたたきつけるように振り下ろす。刃が皮を貫くのと、ナイフの重量が肋骨を叩き割る感触がほぼ同時に僕の手に伝わり、最後に、ドクン、と一つ、鼓動が僕の手首を通って脳髄に駆け上がってきて、それっきりになった。
突然の閃光に、僕は我に返った。
白昼夢が霧散し、同時に、強烈な青白い光を放つ流木が網膜に飛び込んできた。
数瞬後、焦げのにおいが鼻を突き、それで僕は、閃光の正体が激しい燃焼なのだと知った。そう思った時にはすでに、流木はかろうじて形をとどめているだけの炭に変わっていた。
恐るべき鮮明さで破壊――殺害のイメージを作れてしまった自分に驚きながらも、後は簡単に進んだ。一度作れたイメージだから、後はそれを何度も繰り返すだけなのだ。
やがて僕は、何もない中空に灼熱を放つ青白い炎を喚び起こすことができるようになっていた。