欠損の補遺
■欠損の補遺
さて、このページを無事に開くことができたあなたは、もう理解されていますね。
生命とは、時間です。
人の傷や病気を治すのは、時間を操るのと同じことなのです。ですからあなたは、時間の秘奥にもすでにたどり着いてしまったのです。
おそらく、一般の世間では、傷をいやす魔法は、神に仕える特別な人たちだけのものでした。それは、時間というものが神という偶像を通してしか理解できないものだったからです。
あなたはそこに、独力でたどり着いたのです。
ここでは、一般の教会などでも教えられていない、さらなる秘奥に進みます。
一般的に、治癒の魔法は、病気やけがを治すことはできても、欠損した身体を元に戻すことはできません。無理に戻すと、断たれたむき出しの四肢が戻ってきて、失血死してしまいます。
治癒とは時間を遡ることだと知っているあなたには、もはやたやすい理論ですね。世の教会では、この理屈を知らず、欠損部位に治癒魔法を使うことは禁忌として理屈を知らずにいます。
しかし、理屈を知ったあなたになら、きっとその先に進む道が見えているはずです。
断たれた手足は、時間を戻しても帰ってきません。
そこには、断絶があるのです。
そう、断絶こそが、次にあなたが想うべきこと。
過去を振り返って、そこに、懐かしい顔、嫌悪する敵、様々なものを思い出すことができるでしょう。あの時に戻りたいという気持ちこそが、時間を戻すきっかけになる衝動でした。
次にあなたが想わなければならないのは、断絶です。
あの時間とこの時間はつながっていない、という確信です。
あの時間は決して自分に影響を及ぼすことはできない、という自信です。
すべての事物が滑らかにつながり、因果が連綿と紡がれたあなたの記憶の中でそれを想うことは、想像を絶するほどの困難でしょう。ただ、過去を見ない、過去を捨てて未来に進む、ということではありません。熱した蝋の中を泳ぐほどの熱さと重さで、過去に焦がれながらも、それは断絶したという深い絶望を味わうことに意味があります。だからこそ、いかなるものにもその断絶は揺るがされない、と信じることができるのです。
誰もがどこかに持つ美しい過去を恋う気持ちを呼び起こし、絶壁と谷と大河で切り離す。
その想いの強さに比例して、莫大な魔力が流れ、時間をつかさどる精霊は、その四肢を断たれてのたうつでしょう。それこそが、断絶の衝動。
この魔法の成功を確かめるためには、四肢の欠損を負った生き物が必要です。それも、このためだけに四肢を切り落としても意味がありません。今切り落としたばかりの四肢は、傷病の治癒で治ってしまいます。四肢が切り落とされ、苦しみに苦しみ、絶望と背中合わせで必死でふさいだ傷口、それが必要なのです。そうした人や動物を都合よく見つけられるとは限りません。しかし、焦る必要はありません。時間の秘奥を修めたあなたには、事実上、無限の時間があるのですから。
それでは学習メモにお進みください。
●学習メモ
僕はこの章を読んで、高笑いしていた。
なんてことだ。
必要なものは、すべてそろってるじゃないか。
僕は、戻りたいと恋焦がれた過去と、それを失った断絶を、もう持っている。
僕は、戦場で足を失い泥をすするような努力をしながら立ち直ろうしている親友を、もう持っている。
この魔法をマスターする必要があるかどうかなんて、考えるまでもなかった。
僕はもう、この魔法をマスターしている。
彼女の記憶の混乱事件は、結局は回復魔法の副作用ということでかたがついていた。あの時、衝撃と混乱の中僕をたたき出した彼女の父は、その後、丁寧な謝罪の手紙を送ってきた。副作用はどうあれ、彼女の病気を癒し、少なくとも、当面心配はいらないほどに病状を遅らせたのは、事実だったから。その後、この半年の出来事を彼女に教え込んで、彼女自身も記憶の混乱から回復しつつあるようだった。
だから、僕には実績ができてしまった。
親友の家に、久しぶりに遊びに行った。
彼は相変わらず、士官としての夢をあきらめておらず、体力が戻ってからはまた何度か前線に出て、指揮官としての活躍を見せ始めていた。
そんなことは、最初から分かっていた。
彼は、有能だし、勤勉だし、純粋だ。
誰が何と言おうと、彼は、やると決めたことを必ずやり遂げる。それだけの覚悟と実直さを持っている。
僕には及びもつかない人格者で、きっとこんな僕のことも蔑まず憐れまず、僕のあるがままを理解し、寄り添ってくれようとしている。
僕が彼女の記憶を消してしまったことは、彼も知っていたが、失敗は誰にでもある、なんていうあたりさわりのない慰めを言うような彼ではなかった。君は俺にはまねのできない偉業をやってのけた、うらやましい、と。ちまちまと薬草をこねていた自分が恥ずかしい、と。だから胸を張れ、と。彼は、そう言った。
だから僕は胸を張って、彼の足を診させてほしい、と告げた。
彼は喜んでと中身のないズボンのすそをめくりあげた。
知っている。
この消えた足こそ、断絶。
彼は努力に努力を重ね、同年代の誰よりも早く前線指揮官となり、戦場で活躍し、負傷を得た。
その失った足のことを聞いて、彼女が泣き崩れたことも知っている。
どうして、と問う彼女に、いつか君の友人にふさわしい大人になりたかったから、と答えたのだという。
それはもうほとんど愛の告白だった。
それこそが、僕の時間の断絶だった。
知っていたのに、見ようとしなかった。
いつも少し前に聞こえていたはずの、彼の靴の足音が、いつの間にか聞こえなくなっていたのに、それを聞こうとしなかった。
いつも少し後ろで光っていたはずの、彼女の温もりが、いつの間にか感じられなくなっていたのに、それを感じようとしなかった。
その断絶が起こった時が、そこだった。
だから、もういいんだ。
もういい。
あの温もりは、もう、僕に何ももたらさない。
僕には、過去なんてない。
僕は、これから僕の未来を、光の無い絵の具で塗っていくんだ。
思いながら、彼の膝に手をかざす。
ぐああ、という声が聞こえたが、気にせず、魔法の使用を続ける。
膝から下が、徐々に生えてくる。
それは、真っ黒で、まがまがしい皮膚を持っている。
――そうか、きっとそれは、彼の、魔界にある半身。
それが、こちらの世界の彼に同期して、彼を塗りつぶしていくのだ。
冷や汗をかきながら、それでも動く足を確かめ、ありがとう、と彼は言った。
どういたしまして、と、いずれ魔族になってしまうであろう彼に、返した。
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