迅雷の破陣
■迅雷の破陣
前章で慈愛の衝動を精霊たちにまで広げる訓練をしました。この章では、拡げる衝動そのものさえも精霊たちに邪魔されず行使することを目指します。
あなたは、あなた自身の存在を世界中に拡げていくことが、もう簡単にできるようになっています。
世界は、あなたが思っていずよりずっと狭い。そう、この世界の裏側には、この世界と同じ大きさの魔界が広がっています。そして、この世界と魔界それぞれに、世界そのものを覆う果て無き空があります。拡げることに果てはありません。あなたは、どこまでも自己を拡げることができます。
しかしそれと同時に、あなたはどんどん希薄になっていきます。いずれあなたは空と土と海の中を漂う塵芥にも及ばない存在となり果ててしまうでしょう。
すなわち、あなたはここで、自己拡散の衝動の『質』を変えなければならないのです。
もうヒントはすっかりそろったかと思います。次の一文を読む前に、あなた自身で、何をすべきかしっかり考えてみてください。準備はいいですか?
……そう。あなたは、あなたの在り方を、空間的に拡げるのではなく、異質の存在としての在り方にまで拡げることになります。
あなたは、ヒトでありながら、犬や猫かもしれません。家畜の豚や野に咲く花、かなたを運行する星々、雨と土くれ。
あなた自身がそうしたものとして在る、在りたい、そう強く願う気持ちこそが、自己拡散衝動の最終形とも言えます。
もしあなたが天翔けるドラゴンであったなら。
もしあなたが地を支えるレヴィアタンであったなら。
そして、もしあなたが、この世の理を統べる精霊であったなら。
ヒトの身でありながら神をも超える精霊として在ると考えること自体が僭越に過ぎると思わないでください。むしろ、それを僭越と感じる心が少しでもあるのであれば、あなたの訓練はこの章でおしまいです。あなたの身の安全のためにも、これ以降の章は、そのページを固く閉じるでしょう。
もしあなたが、あなた自身を人であると同時に精霊である、あまつさえ精霊の王であるとさえ信じることができるほどの強い栄華への欲望があるのであれば、きっとそれは、精霊たちさえ頭を垂れて道を開ける最強の雷魔法を生むはずです。
それでは学習メモにお進みください。
●学習メモ
後始末?
何のことだか分からないなあ。
水の最上位魔法は僕が思っていたのとまるで別物だった。あの後起きたことは思い出したくもない。
簡単に記しておくと、何でも溶かす魔法の水が周り中を押し流しながら溶かし込み、大きな湖ができた。
ここまで来ると笑えてくる。どんだけあるんだよ、僕の魔力。
僕は一体何者だ?
と思ってこのページを開くと、そう、僕は何者でも在ることができる、というわけだ。
僕は僕があるべき姿を僕自身で決められる。
……いや、そうじゃない。
決められる、のではなく、決めなくちゃならない。
それを言ってしまえば、この世に生きているすべてのヒトが、自分が何者なのかを決めなくちゃ生きていけない。
誰かの部下だったり誰かの父親だったり誰かの頂点に立つものだったり。
自分は一体何者なのか、それを決めなくちゃならない。
だけど、僕は、誰の部下でもないし誰の父親でもないし誰の上に立つものでもない。あえて言うなら冴えない下級貴族の夫婦の子、ってだけだ。だから僕は下級貴族として生きて行くことが決まっている。
――と、思っていた。
だけど、大地を赤熱の荒野に変えあるいは山並を静謐たたえる湖に変える。それが、下級貴族だろうか。
僕が僕を何者かと問うとき、僕は『他の誰か』に依らずにそれを決められるだろうか。
二つの極大魔法を自ら放ったその後、そんなことを思うようになった。
これで、この才能を生かして宮廷魔術師にでもなるというのなら、それが僕というものになるのだろうけれど、不思議と、僕は、そうは思わなかった。なぜなら、僕はこの力で国を救いたいとか誰かを導きたいとか、ちっとも思わないから。僕はこの才能を誰かのために使うなんて思いもよらないばかりか、自分のために使おうとさえ思えなかった。
だったら僕は一体何者なんだろう。
魔法の理を統べる精霊の王?
……なんだかそれも違うような気がする。
僕は誰にも依りかからず誰からも頼られず誰をも拝せず誰からも崇められない。
僕は、ただ独りだ。
孤高でさえ、ない。
在るべきモノとしてあるべきトコロにただ在るだけだ。
誰にも邪魔されずに、ただ在るだけだ。
だから余計に、僕は何者なのだろう、という疑問だけが心の中で何度も反響する。
なぜって、僕がここに在ることを邪魔できる存在なんて、何一つ思い当たらないから。
僕はこの世でももっとも目立たないちっぽけで薄くて特徴のない灰色の魂でこの世界全てを俯瞰できるなら僕の存在なんて文末の『点』よりももっともっと小さくて、なのに、はるか空の彼方からでも見えるような荒野や大地を作ってしまうんだから、これはもう、誰にも邪魔されずに在るだけのモノ、と思うしかない。誰にも邪魔されないってことだけなら、確信するしかない。
そしてそれは、誰の心の中にでもあるものかもしれない。
彼女の心の中にも。
憧れや愛情の対象かもしれないし、恐怖や憎悪の対象かもしれない。
どんな形でも、誰かの心の中に僕という存在を広げ、すべての人の思考の最後の『点』であることができる。
僕から逃げられるものなんて、この世にいない。
そう、たとえ、魔法を統べる精霊たちでさえ、その思考の終着点に、僕が在る。
――ふと、何かがつながる感覚があり、ゆっくりと右手を持ち上げ、空に向けて掲げる。
その日、国中を覆いつくすほどの稲妻が荒れ狂ったことを、後に知った。
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