迅雷の転移
■迅雷の転移
迅雷の操作では、すでに起こった稲妻を操作することを学びました。この章でも基本的には同じことを行いますが、操作する範囲を格段に広くします。この世界のどこかで起こっている雷を目の前に呼び起こし、操作するのです。これにより、晴天でも迅雷を目の前に転移させて応用魔法とすることができます。
あなたは迅雷の操作で、自らの栄誉栄華を想像したのではないでしょうか? しかし、世界はまだ広いのです。あなた個人が届くよりもはるかに広い世界が広がっています。普通の人は、その世界のすべてを見尽くすことはきっと不可能でしょう。それでも、その広がりすべてに、あなたの栄華を拡散していくことを想像しなければなりません。これは大変難しいことです。
人はそれぞれ、身の丈というものがあります。器、と言い換えてもいいでしょう。器の小さな人が、あまりに大きな功績や栄誉を成し遂げたとしても、いずれはそれがその人自身を滅ぼしていきます。もしあなたがより大きな栄誉を得るのであれば、自らの器を広げていかなければなりません。例えば、あなたが地域の貴族組合の長に収まるのであれば、その地域すべての貴族たちの要望や不平不満を聞き入れて可能ならばかなえなければならないでしょう。器とは、それを実現する能力ではなく、それを受け入れる覚悟です。その覚悟があるとき、それに見合っただけあなたの在り方は世界に広がっていくのです。
用意するものは何もありません。嵐の日を待つ必要もありません。世界のどこかで必ず嵐が起こっているからです。世界のどこにも嵐が起こってなく、雷も鳴っていない――そんなことはありえないほどに世界が広いということを強く意識してください。
雷を呼び起こしたい場所と、それから世界のどこか、この二点に、あなた自身を拡散させてください。もちろん物理的な意味ではありません。そんなことができたら悪魔です。あなたの向上心、自己拡散欲求の赴くままに、その二点をあなたの支配下に置いたと想像するのです。時にあなたの存在は希薄になっていくでしょう。あなたが在るべきところが広がれば、あなたは薄くなるのは道理です。それでも、いまあなたが立っている場所と同じように、あなたの在り方を二点に遍在させるのです。
世界のどこで嵐が起こっているのか、あなたは知りません。ですから、二か所のあなたの存在のうちもう一か所は、あなたが想像しなかったような速さで世界を飛び回り、嵐を探すことになるでしょう。たとえそれを想像したとしても、そこに嵐が起こっているかどうかを知る方法はありません。もしその場所にあなたの仮の存在が行き当たったとき、偶然にも迅雷は召喚されるのです。
もし迅雷が呼び出されたら、間をおかずに、迅雷の操作の要領でそれを好きなほうに飛ばすことで、迅雷による攻撃魔法が完成します。このように、迅雷を呼び出すのには、とても長い時間と精神的な疲労を伴います。その分、あらゆるものを貫き焼き焦がす迅雷の威力には比類するものがありません。この魔法を身に着ければ、あなたにひれ伏さないものはないでしょう。
それでは学習メモにお進みください。
●学習メモ
身の丈、と言われてしまうと、最初に迅雷の操作の訓練をしたときにはすでに魔界まで手中に収める妄想をしてしまっていたことを思い出す。あれは身の丈に見合わない妄想だったのだと思い知る。だから、ただ引き寄せるかはねのけるかしかしないはずの雷が、おかしな動きをしたのだろう。それでも操作できたことには変わりはなく、ページをめくることができた、というわけなのだと思う。
そして、あの妄想をしていた時の僕に足りなかったのは、確かに、覚悟、器、そういうものだ。仮に人間界も魔界も手中に収めたとして、そこに住むすべての人や魔物たちの生活や幸福を請け合うことが、果たして僕に可能なものだろうか? とてもそんな器じゃない。僕の想像が及ぶのは、せいぜいのところ、この近在の村々程度のことだ。
だから、僕はもっともっと世界のことを知らなくちゃならない。ただ地図の上の境界線の数を知るのではなく、そこにどんな人々がどんな息遣いで暮らしているのかを想像できるようにならなくちゃならない。
僕は、きちんと勉強をすることにした。たとえば、はるか海の向こうのジポニ国では、自らの腹部を鋭利な剣で串刺しにする儀式が行われているのだという。要するに自殺なのだけれど、それに何の意味があるのか、考えたこともなかった。奇怪な儀式、理解不能な文化、そこで考えは止まっていた。けれども、彼らが、自らの命――それに残された家族たち――を賭けてまでその儀式に臨むのはいったいなぜなのか、そんな風に考えると、とても『奇怪な儀式だ』では済まされないものだと知る。
彼らは、自分の不手際の始末をつけるためにその儀式を行うのだと知った。例えば剣を抜いた喧嘩を行い相手を刺し殺してしまった時、最も苦しい腹刺しの儀式で自らを始末することで相手の一族に対するお詫びの気持ちを表すのだ。そして、そうすることで、彼らの王は、罪を犯した者を赦す。逆に、もしそうしなければ、王は罪を犯した者を罰しなければならない。その時、彼らの『法』が求めているのは、罪を犯した者のみならず、その一族――血族のみならず姻族まで含めた一族のすべての領土を奪い職を解き、あるいは、成人男性は処刑となる。成人男性の多くは処される前に自ら腹刺しの儀式で果てる。彼らが不思議な儀式で自らの始末をつけるのは、残された家族を守るためなのだ。家族を深く深く愛しているからこそ、彼らは、勇気をもって自らの腹を刺し、筆舌に尽くせぬ痛みとゆっくりと迫りくる死に正面から向き合えるのだ。
世界は広い。まだまだ不思議な風習はいくらでもある。魔界となればまたさらに理解の及ばない文化だのなんだのがあるだろう。
そんなすべてを請け合う器が僕にあるのだろうか。あるわけがない。
けれど、そうありたいと思う気持ちもある。
身の丈を超えた妄想をしたいということじゃなく、この世に生を受けたからには、この世のすべてを修める可能性を持っているはずなんだ。僧正様の言うように、よりよい世界に生まれ変わるための生だとしても、その時は、この世界とお別れだ。その時が来るまで、ほんのひと時、この世界にいる間だけでも、この世界のすべてを知る努力を続けたっていいんじゃないか、と思う。
僕は、嵐の日を選んで、あの河原に来ていた。もしうまく雷を呼び出せたとしても、あまり目立ちたくないからだ。
土手の草花はごうごうと吹く風になびいて地面を撫で、いつも下りていく河原には、増水し茶色く濁った水面が激しくのたうっている。とても下りていくのは無理だ。僕は、土手から二歩だけ下りたところに腰を下ろして、目を閉じた。
もう一人の僕の旅が始まる。スタート地点は、今僕がいるこの場所。瞼ごしに、閃光が網膜を打つ。近くに雷が落ちたのだろう。今ここで雷を呼び出すイメージをすれば、簡単に雷を呼び出せるだろうが、この魔法の本質はそこじゃない。もっと遠くから。世界の果てから。はるかな時空を飛び越えて、自在に雷を呼び起こさなくちゃならない。
次の瞬間、僕の意識は、ジポニ国に飛んだ。南北に細長い列島。貴重な冒険書で見ただけの知識だが、僕はそのイメージをもっと鮮明にしていく。ジポニ国にだって同じように山や川がある。人々はどんな服装をしているだろうか。きっと僕には想像もできない服装なのに違いない。けれど、どんな服装だって、僕は受け入れる。その覚悟をする。僕自身の器を計るために。彼らは、僕らと同じように白いパンを食べているだろうか。あるいは真っ黒のどろどろとした気色悪いものを食べているかもしれない。僕は、彼らにそれを勧められるなら、臆せず口にする。そうしなければならない。それが、僕自身を拡げるということ。
僕の意識はさらに広がり、世界中を飛び続ける。酷暑の砂漠、極寒の極地。朽ちた大木が森の一角を吹き飛ばしながら倒れる瞬間。穏やかな湖畔で虫や鳥の声がふと途切れるひととき。吹きすさぶ暴風の中、青白い稲妻が弾ける刹那。
――その時、僕の目の前の荒れ狂う水面を、雷公の大槌がひと薙ぎしていった。
耳をつんざく轟音とともに川面は球状に凹み、続く猛熱の奔流が濁流を湯気に変え川底をあらわにする。
土手の草木が爆風になぎ倒される中、僕は平然と立って、自ら呼び出した迅雷のすさまじさを、ただぼうっと見つめていた。