駅前猫
八月の三連休。学生なら夏休みの始まりにあたる、海の日を含んだ連休の出来事だ。
最寄り駅の入り口には、キリスト教や震災ボランティア、動物愛護の団体が、交代制かのように毎日代わる代わる、募金のために立っている。うだるような暑さの今日、立っているのは動物愛護の団体だった。
大きめのケージが三つ路上に置かれ、横には「里親募集」と筆で書かれた看板。上に小さな募金箱と補給用の水が置かれたケージの中で、人の握り拳ほどの大きさの子猫が、ニイニイとよく鳴いている。
駅前の屋根下ではあるものの、炎天下だ。真っ昼間からよくやるものである。ケージの中で、よたよたと覚束ない足取りで歩く子猫が、哀れに見える。
言っておくが、俺は募金をしない主義だ。まず、募金自体が、人の同情を煽ってお金を得る手段のように思えるのである。そしてそんな手段を利用する彼らは、一体どのような人種なのか。考えるだけで吐き気がする。もちろん、そうでない人もいると存じているが、そうである人種に金を与えることになったら悔しすぎるし、どちらにせよ俺一人の募金で何が変わるわけではないので、関わらないようにしているのである。
ただ、この日はあまりにヒマだった。いつもなら一目で目を逸らすケージから、目を逸らす理由がなかったのである。体もケージに向く。覗いてみると、小さな子猫が無邪気に眠っているところだった。暑いのか、若干息が荒い。
「募金お願いします」
団体のおばちゃんは言った。「やらねーよ」と心の中で返事する。
改めて見ると、その団体は全員がおばちゃんで構成されていた。それぞれ、水を替えたりしている。猫好きもあろうが、ヒマというのが一番の理由なのであろう。旦那の世話もしてほしいものである。
ふと思った。
女性が子猫などの小動物に惹かれるのは「母性本能」があるからで、男は本来そういったものに対して関心を示さない。男が小さな動物に惹かれる場合は、その無邪気さや奔放さに対して「癒し」を感じているからであって、女性が抱く感情とは別のものなのである。よく言われる、「女性が小動物に対して『カワイイ』と言っている時は、『カワイイと言っている自分カワイイ』って思われたいだけ」という説は、多分、間違いなのである。6~8割くらいは。
ともすれば、ここにこうして座っているバbご婦人方も、もしかしたら俺が感じえない感情に突き動かされて活動をしているのかもしれない。はっきり言ってどっちでもいいが、そう考えると、活動されている彼女らが、そんなにタチの悪い者ではない気がしてきた。そういった考えに至るとこの空間にいる事が苦ではなくなってきて、俺はしばらく、膝に手を当てた中腰の体勢のまま、猫の様子をじっと見るに至ったのである。
そしてそれは、猫の観察だけに留まらなかったので、以後は経過を述べていこうと思う。
二分後。
30代くらいの小太りの女性が現れた。
祝日だが仕事帰りか、ビジネススーツに身を包んでいる。
彼女は猫の団体を見るなり進行方向を変え、カツカツとヒールを鳴らして早歩きに、一直線に猫のケージまで歩み寄ってきた。そして財布から取り出して握り締めた千円札を、募金箱にためらいなく突っ込んだ。そのまま、大して猫を見る事もなくすぐに立ち去っていく。
一瞬の出来事だった。呆気に取られた俺は、しばらく彼女の事を見ていた。
おそらくだが、彼女は猫好きに加え、こうした募金を「あったらする」と自分の中で決めているに違いない。迷いが無い行動は、自分のポリシーを貫いているのだ。わずかにハの字に曲げられた眉から、そういった決意を感じた。
そしておそらく独身だろう。
五分後。
「うっわ、猫、ちょーかわいい」という軽薄なセリフ。
横を見ると、二十歳前後の若い男がケータイを片手にケージを覗き込んでいた。金髪、日焼けした肌、黒のランニングシャツ、白いショートパンツという予想通りの風体。マンガで描かれるようなチャラい大学生がそこにいた。見た目のチャラさに、反射的に不快感が湧いた。ちなみにマンガであればこの手の人間は、ヒロインをナンパしようとして主人公に助けに入られ、物語の成立に一役買うのだが、どうでもいい。
男は振り向くと仲間に「ちょっと先に行っててー!」と叫ぶ。街中で何ヘルツで叫んでんだよ、という感じだが、溢れる人ごみが声を薄めた。人ごみのせいで「仲間」は確認できなかったが、おそらく同じタイプの人間が二、三人いるのかと思われる。
仲間がよしと言ったのか、男は集中してケージの中を覗き込んだ。「うーわ、かわいい」口から漏れるセリフは、中学生のようだ。
ケージの中の猫を覗く男の目は、子供のようにキラキラと輝いていた。
夢中になっていた。本気でカワイイと思っている目だ。そんな悪い奴じゃないのかもしれない。先ほど「男が猫とかをカワイイと思う感情は偽り」説が早くもひび割れだした。
まあ、バカそうであることに変わりはないが。男は一分くらいで、去っていった。
十分後。
男二人組が、猫を見る俺の視界を横切り、前に立った。
男達の風体は、どちらもアロハシャツ、に短パン、サンダル。一人は帽子を被ってアゴ髭を生やし、もう一人はモヒカンでグラサン、といういで立ちだった。似ている芸能人から、仮に「どぶろっく(ハゲの方)」と「若旦那」と名付ける。
「どぶろっく(ハゲの方)」と「若旦那」は猫の方をじろじろと見つめた。おばちゃん達も彼らからは完全に目を逸らし、募金など促さない。
やがて猫のケージの前で、どぶろっくが呟いた。
「俺、猫飼いてえなぁ」
そんなどぶろっくを、若旦那がジロリと睨む。
「ああ?この前も言ったなお前、そんな事」
俺が息を呑む中、若旦那は叫んだ。
「だからこの前LINEで送ってやったじゃねえかよ!猫の画像をよお!」
「す、すいませんアニキ」
「そん時選んでおきゃあよかったじゃねえか!また悩んでねえでよお!」
前々からどぶろっくは猫を飼いたかったらしい。そしてアニキである若旦那はそんな彼のために猫探しを手伝い、LINEで猫画像を送ったらしい。つーか今時アニキって。
「若旦那」が「どぶろっく」に猫画像。しかもLINE。そして猫飼いたかった「どぶろっく」……。
その二人は、結局帰らなかった。というよりも、その前に俺が帰路についた。あの二人が結局、猫を飼ったのかどうかは知らないし、正直どっちでもいい。
帰り際だった。俺は財布から小銭を取り出し、募金箱に入れた。カランとして小気味よい音を立てて、小銭は吸い込まれていった。「ありがとうございます」という声が背中から聞こえたが、それもどうでもいい。
なんとなく、そんな気分になったのだった。少し涼しくなった道を悠々と帰る。途中、やはり猫一匹に対して一円とかにしておくべきかなどと思ったが、人も多いので、立ち止まることはなかった。途中に水でも買って、さっさと帰ろう。そう思った。このくらいなら、たまにならやってもいい気がする。
ちなみにさっきの募金金額は二円だ。にゃん。
という他愛の無い話。