謁見と越権
「僕に浄化の魔導書を渡してくれるかな?」
九鬼原は特に考えがある様子では無さそうで、ただ単刀直入に氷坂にそう言い放った。
「そ、それは……」
「僕もちょっとばかり試したいことがあって、ぜひその本を読みたいんだけど」
これもまた彼の狂言なのだろうか。それとも――
「……九鬼原」
「ん? ああ先生、僕に何か御用で?」
「どうしてお前は、人を殺してそう平然としていられるんだ? 俺は、お前の目的が分からない。お前は一体どうして――」
「ハァー、分かってないなあ」
九鬼原はやれやれと言った様子で首を横に振り、見下すような視線を千景に向ける。
「先生さあ、何かをしようとする度に理由を作っているのですか? 僕は面倒だからそんな事はしないんだけど」
九鬼原はそう言って氷坂のすぐ目の前まで無防備に近づき、再びお願いを繰り返す。
「改めてお願いするけど、僕に、浄化の魔導書、ちょうだいな?」
「…………できません」
「えぇーっ!?」
氷坂の当然の返答に対し、九鬼原は予想外といった様子でその場に膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「あれはヴァレンタイン家が預かりを受けている大切なもの。たとえ千垣先生の様な方であろうと、渡す訳には参りません」
その場にうずくまる九鬼原に対し、氷坂は申し訳なさそうにそう答えた。
しかし――
「僕としては氷坂さんが快諾して、これ以上死人を出すことも無く平和に事が進むと思っていたのになー」
その言葉と同時に、九鬼原の足元の影から、黒い荊が立ち上り始める。
「半殺しにしたら、その腐った考えも変わるのかなぁ?」
荊は生き物のようにうねり、無機質な部屋を侵食していく。
「――吐き出る混沌の骸、緋色に染まる煉獄よ――」
九鬼原は呪文の詠唱を始める。
相手をなぶり、痛めつけ、苦しめるための呪文を。
「――沁みだすは我が血潮。生み出すは我が憎しみ。絶えず自殖し植え増える。波及する痛みとともに、その心に傷を刻みこめ!! 祖禁呪第二十七番――血業針天拷牢陣!!」
部屋の壁に沿って、猛毒の荊が職員室を包み込む。天井を覆い、地を這って支配する。
それはまさに、捉えるための籠の様であった。
「これで誰も、僕の邪魔をすることができない」
猛毒の荊に一同は退路を断たれ、九鬼原とまともに向き合うしかない。
「さて、これで最後のお願いだよ。浄化の魔導書を、僕によこせ。さもなくばここにいる人を一人ずつ、荊の肥料にするよ?」
どうすればいいのか、氷坂は心を痛めながらこの場を切り抜ける方法を考えていた。
「くっ、このままでは…………!」
「どっちにしろ、てめぇはアタシ達を見逃すつもりはねぇだろ……」
「いや、魔導書さえもらえるならきみ達は素直に出すつもりだけど?」
九鬼原のすんなりとした答えに対し、サラは疑惑の目を向け続ける。
「そ、惣ちゃん……?」
「ん? あぁ、あの時の」
九鬼原は自分の名を呼ぶ少女の方を向いた。斑鳩はおそるおそる、市来と対峙していたときにどうして初対面の様な反応をしたのかを尋ねた。
「わ、私を覚えて――」
「あぁ、確か斑鳩だっけ? そいつを知っている“九鬼原惣治郎”ならぶっ壊したよ」
斑鳩は言葉を失った。
目の前にいる九鬼原惣治郎は、以前の九鬼原惣治郎ではない。また別の、九鬼原惣治郎なのだ。
「なんか僕のペースも崩されるし、僕を残す必要性は無いからね。完膚なきまで潰してやったよ」
「じゃ、じゃあ元の惣ちゃんも――」
「それはまだできてないね。流石に長年この身体を支配していたものだからね、そう簡単には破壊できないよ」
「てめぇ等一体何の話をしているんだ?」
「さあ? そこの人が意味不明な事言ってるからさぁ」
サラが間に割って入った所で、話は中断された。だが斑鳩が一つ言えることは、今目の前にいる存在は、自分の知る九鬼原惣治郎ではないという事。
「だったら貴方は一体――」
「――ダレでしょう?」
創られた何かのように、九鬼原は不自然な笑みを浮かべ、最後の警告をする。
「……質問タイムは終わり。魔導書を、渡して貰おうか――」
荊が絡みつくドアが、叩きつけるような音を響かせる。
九鬼原が最後まで言い終える前に、職員室のドアがこじ開けられる。
「――執行対象、九鬼原惣治郎。罪状、魔導書の解読、及び魔導書の強奪」
光の盾が、鋼鉄のドアを荊ごと切り裂く。
「よって対象の断罪を決定……九鬼原、お前もここで終わりだ」
「やあやあ、来ると思っていたよ」
――エドワード=ヴィクター。




