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泣き虫な君の手をとって
どこか遠くに逃げてしまおうか
大切な友人も大事な家族にも
邪魔されないどこか遠くに
それはきっと平和で優しい時間になるだろう
自分がなんなのか
君がなんなのか
忘れて、消し去っていく時間になるだろう
それで確かに自分は幸せだけど君は幸せになれるだろうか
自分にはきっとわからない君の気持ち
それをあいつはすぐに知ることができるんだろうね
‐アヤトリ‐
「それじゃあ、行ってくるね」
そう言って門番の方へ歩いていく琥珀さん。
歩くたびに何故か手のひらの上にある鈴も音をたてていた。
りん。りん。と音がなり、それをしばらく聞いていると頭の中をシェイクされているかのような気持ちになってきた。
気持ち悪い。それ以外の言葉では伝わらないような気分だ。
「右手には白き扇。紅に染まれば灯をともし、蒼に染まれば水を生む。
左手には汚れる事なき銀狐の瞳。この音を聞きしものを惑わし、この眼を見しもの闇の世界に引きずらん」
鈴の音が響くなかでも、なぜか一番よく聞こえてくる琥珀さんの声。
言っている意味はわかんないけど多分、大切なことなんだろう。そんな事を考えている事すら意味ないことのように思えてくるから、いらない事を考えるのはやめよう。
「失敗したら許さないんだから」
強がりのように呟いた言葉に琥珀さんが笑ったような気がした。
気のせいだと思うけど。
琥珀さんが失敗するとは思わないけど、待っている方はいらない事を考えてしまう。
私は何も考えないように昔のお城の城壁のような壁を眺め続けた。
どれくらいたったのか、多分それほど時間はたってないと思うが
「さすが黒狐殿」
そう呟きながら蛟が私の腕をつかんで引っ張った。
ずっと城壁のような壁を眺め続けていたせいか、文句を言うよりもびっくりして口を閉じてしまった。
「大蛇、おいで。おいていかれるよ」
蛟がにやにやと見てていい気分にはならない笑みを浮かべながら大蛇に言う。
私はされるがままに蛟に引っ張られていた。
「……うん」
大きく欠伸をしてから大蛇はゆったりとした足取りでついてきた。
若干、どうでもよくなっている気がしてならない。
そのまま、無言で門番の横を通りすぎる。
本当に通れたから、どんな幻覚を門番に見せたのか気になる。
聞くきはないけど。
門をくぐって少しした所にある玄関のような所に琥珀さんは待っていた。
琥珀さんの近くまで来ると蛟は引っ張っていた手を離す。
急に手を離した反動で少しよろけてしまった。
急に手を離すな、と言う思いを込めて蛟を睨んだが蛟は素知らぬふりをしたから意味がない行為に終わる。
私達の行動を黙ってみていた琥珀さんだったが笑みを浮かべてから手を一回叩いて注意を自分に向けた。
ぱん、と乾いた音が静寂を作る。
私達は何故かなにも言えなくなっていたのだ。
理由はわからないが、誰もが口を閉じていた。
そのなかで口を開いたのは当たり前だが静寂を作った琥珀さんだった。
琥珀さんが淡々と言葉を紡いでいく。
「それじゃあ、見つかる前に動こか」
いまだに顔には笑みが浮かんでいるのに、私にはそれが何故か作り物のように思えた。
笑っていると言うより、笑おうとして失敗しているみたい。
そう、作り物のように思えたのは目が笑ってなかったからだろう。
いったい琥珀さんはどうしたんだろうか。
そこまで彼を知らないからわからないけど心配だ。
助けてくれたからとか、優しいからとかいろいろあるけど、そんなの関係なくてもきっと心配するだろう。
琥珀さんは蛇我羅や白梅さん、大蛇、蛟とはなにかが違う。
始めてあった気がしないんだ……多分。
私がそんな風に考えているなんて知らずに琥珀さんは感情を込めていない声で話を続ける。
「動くって言ってもここからは結構、簡単。
白梅は昔から部下を多く持とうとしないから数はいないし、見つからなかったら平気だよ」
かくれんぼみたいだね、とくすくすと笑う琥珀さんに私は普段の私の笑みで笑い返せただろうか。
きっと、普段の私がその場にいたら呆れているくらいぎこちない笑みになっていたに違いない。
そんな私を横目で見ながら大蛇が口を開く。
どうでもよさげに。ひどく面倒だと言うように大蛇は言った。
「みつかったらどうするの? ころす?」
普段、聞きなれていない言葉に私は言葉を失った。
思考がショート仕掛けたと言っても間違いではないと思う。
殺すなんて簡単に言ってしまうあたり、住んでいる世界が違うんだなと思わされる。
当たり前だと笑う自分もいないわけじゃない。
何て今更なことなのか。
だって、私は蛇我羅に会いたくないと思ったことはない。
それでいいじゃないか。
住む世界が違う?
そんなの当たり前だ。どれ程の時間そばにいなくて、どれ程の時間を共有した?
わかりきったことだろ?
そう言って怒る私もいる。
住む世界が違う。
きっと琥珀さんも大蛇も蛟も簡単に人を殺す。人でないものも殺す。
私が何を言おうと変わることはないのだから、気にしない方がいい。
私はそうやって自分を誤魔化して、なかったことにした。
それが良かったのか、悪かったのか私はいずれ知ることになるだろう。
それでも、今は琥珀さんや大蛇、蛟を信じることにしようか。
私は今、助けてもらっているんだから。
そう考え込んで一人の世界を作っているうちに話は進んでいたようで
「…………ってこと?」
「そう。多分、それが一番いい選択だと思うよ」
琥珀さんと蛟、大蛇の間で話がまとまっていた。
しまった、と言うように舌打ちしかけたのをすんでのところで自分を止める。
いったいどういう結論にたどり着いたのか気になるのは仕方ないことだろうが話を聞いてなかった私も悪いのだから。
だが、やっぱり話の内容は気になる。後で大蛇にでも聞こうかな。
そう思いながらぼー、と皆の姿を見ていると琥珀さんが私に優しく言った。
「娘っこ、ぼーっとしてたらだめだよ。ここは危ないんだから」
子供に教えるような声音だったけど、私が知っている琥珀さんの優しい声に少し安心する。
だからかな。いつも通りに意地をはって
「それくらいわかってる。あんたに言われるまでもない」
そんな風に言ってしまっても嬉しさで笑みが隠しきれなかった。
「…………君は、かわらないね」
そんな私を見て何を思ったのか、どこか懐かしそうに琥珀さんがそう呟く。
どういう意味なのかよくわからなくて、琥珀さんを見るが彼は私に訪ねる時間を与えようとはせずに
「それじゃあ、さっさと行こうか」
と、笑いながら言って歩き始めてしまった。
たくさん、聞きたいことはあったけど私は黙って琥珀さんの後を追いかけることにする。
きっと、いつかは教えてくれると信じながら。
×××
白梅さんの屋敷は静かだった。
誰もそこにいないような、静かさに私は少し戸惑う。
琥珀さんや大蛇、蛟はそれが当たり前のような顔だからなんとか自分を納得させようとしたが、やっぱり戸惑いは消えることはなかった。
「……すくなすぎる?」
誰に言うわけでもなく、大蛇がそう呟きながら首を傾げた。
何か思う事があるのだろうか。
琥珀さんも蛟も特に何も言わない。
この場合、琥珀さんが説明したことを忘れてしまった大蛇が悪いのだから仕方ないってことになるのだろうか。
「……どうでもいいか」
私がなにも言わなくても大蛇の中ですぐに結論がでたようだ。
こればかりは、私には何も言えなかったから少しばかり安堵する。
そんな風に大蛇が何回か呟く言葉を聞きながら私たちは歩いていった。
木でできた廊下を歩きながら大きかったり、小さかったりと様々な襖の扉を通りすぎて行くたびにそのすべてに白い花の絵が描かれているのに気づいた。
白梅、と言う名字なんだから梅の花なのだろうと考える。
小さく、きれいな白い花は白梅さんにはあってないような気がした。
白梅さんには赤い花の方が似合うイメージしかない。それも毒花の。
ぼー、と白い花を見ていたせいでだんだんと足が止まりそうになった私を心配してか
「ここ真っ直ぐ行って、右に曲がったら白梅の部屋にたどり着くから」
琥珀さんが苦笑いしながら言ってくれた。
わかった。そう返事しかけた私の言葉を遮るように鈍い音が聞こえた。
それはなんの音か、一瞬わからなくなったけど琥珀さんが殴られた音だと理解する。
逃げないと。
そう思ったが琥珀さんを殴った紺の着物を着た男がすでに私の目の前にたっていて逃げ出せる気がしない。
大蛇と蛟は私の目の前にいる男より小柄な男と睨みあっているから助けを求めても助けてもらえないことがわかった。
ああ、やっぱりそんな簡単にたどり着けるわけがないか。
白梅さんのばーか。
私はそう心の中で言いながら、この状況をどうするか考え始める事にした。