怪話篇 第十七話 酒場にて
1
「マスター、水割頼む」
「いらっしゃい、水島さん。久し振りだねぇ」
「ああ、……最近は忙しくてねぇ」
「ほい。じゃあ、今夜はゆっくりしてくといい」
「そうだな。夜は長い」
☆ ☆ ☆
「やあ、また逢ったな」
「水島、元気ないな。どうした、お前らしくないぞ」
「らしくない? ふっ、これが本当のオレさ。夢を追う事も世間に合わせる事も出来ない。ドブネズミのように追い立てられるしかないのさ」
「違う、……違うだろう。昔はあんなに輝いていたのに……」
「輝いていた? オレがか? ……っはは。ありぁ、浮かれてただけさ。オレもお前も……。いや、お前は違ってたかも知れないな」
「夢をだけを喰って生きてはゆけん……か?」
「いいや。確かに夢だけを喰っても生きていけるさ。でもな、喰ったら夢は無くなるんだ。人は喰う夢が無くなっちまうから、夢を追えなくなるのさ」
「……かも知れん」
「飲むか? オレがおごる」
「いや、よしとこう」
「ん? そうだったな。有難うよ、オレなんかに付き合ってくれて」
2
「水島さん、最近毎日だねぇ。大丈夫なのかい?」
「払いかい? なら心配いらん。ちゃあんと……」
「そうじゃなくって、身体がだよ。奥さんだって……」
「うるさい! ほっといてくれ!」
「……そうかい。やれやれ」
「ふん! オレには酒があればいいのさ~」
「なら飲むか? オレがおごろう」
「……お前か。最近しょっちゅうだな」
「いらんのか?」
「いらん! 自分の酒くらい自分で払える」
「ふっ、相変わらず頑固だな。変わってない」
「そうさ。変わったりするもんか。変わったのは……」
「その先は口にしない方がいい。……立花、いや奥さんは元気か?」
「濃子か? 元気さ。そう、元気元気。判るだろう、お前なら」
「そうか。つまらん事を訊いたな。でも水島、お前がいつまでもそんなだと、先の事は判らんぞ」
「その方がいい。世の為人の為! っとくらぁ」
「何か……何て言ったらいいのか……」
「言うな。判らんのなら黙ってろ。オレは一人で飲みたい」
「判るよ、判る。判るけどなぁ。水島、どうしてオレがココに居るのか、少しは考えてくれよ。オレは……」
「御忠告、感謝! 水島は幸せ者です! はは、幸せ者です。幸せ……」
「水島、お前はオレのようになっちゃあいけないんだ。お前は!」
「もう遅い。なあ、オレはあの時本当に勝ったのか? 濃子はオレのモンになったよ、確かに。オレもあの時は沢山の夢を持っていたよ。何でも出来ると思っていた。濃子と一緒なら何でも。だが、見てみろ。その結果がこのざまぁだ。女は男を駄目にするのかも知れん。それでお前は……」
「オレは逃げ出したんだ。弱虫だ。でもお前なら……お前なら出来るはずだ。頼む、お前なら」
「い・や・だ! オレに出来るのは、これが勢いっぱいさ。限界なんだ。もう限界……限界……限
3
「なあ、水島。俺達は何をしてきたのかなぁ」
「ぼやくな。生意気だぞ。それが、昔の恋敵に言う台詞か」
「そうだな。でも水島、二人分はきついぞ。いい加減に終わりにせんか」
「もう終わりさ。そう終わり。うん、終わり、終わりなんだ」
「オレも、もう帰りたいな。お前も早く帰れよ。奥さんが待ってるんだろう。もう家に帰って、……そうしたら、……判ってるな、水島」
☆ ☆ ☆
「水島さん、起きなよ。風邪ひくよ」
「起きてるよ、マスター」
「負け惜しみを。寝言を言ってたぞ」
「ふふ、昔話さ。……昔々、ある処に男が二人、女が一人いました」
「お爺さんとお婆さんじゃないのかい」
「二人の男達は女を取り合って、……取り合って、女は真っ二つになりました。男達は半分になった女をそれぞれの想いで練り直して、二人の女が出来ました。男達はそれぞれの女を、自分の妻にしましたとさ。めでたし、めでたし」
「ふうん。それで、半分になった女は幸せだったのかい?」
「幸せ? 知るかい、そんな事! えーと、それから男達は、自分の作り直した女の方が良い事を競い合って、益々想いを注いだ。想いを注いで注いで、注ぎ続けて、一方の男は想い疲れて死んで仕舞った。もう一人は、女の残り半分を手に入れた」
「それで、女は元に戻ったのかい?」
「ん? 男は、二人の女を一人にしようと、もっともっと想いを注いだんだ。だが、女は一人にならずに、一方がもう一人を殺して喰って仕舞った。その時になって、男はやっと気が付いた。男が女を作ったんではなくって、女が男の想いを喰っていたんだとね」
「……本当の話かい、それ」
「嘘だよ。嘘、嘘。決まってるだろう。マスター、お代わり」
「まだ飲むのかい。仕方がないなあ。ほれ」
「サンキュー。きっと払うから、きっと」
「いらんよ。その代わり、わしの昔話も聞いてもらおうか。いいだろう?」
「知らんな。勝手にすればいいさ」
「はは。……昔々、二人の男と一人の女がいました」
「おいおい、同じような話ならもう結構だ」
「黙って聞いてなさいよ。男達は女を愛していた。女も男達を愛した。だが、女は二人のうちのどちらにも決められなかったんだ。競い合う男達を見て哀しんだ女は、考えた末に自分をもう一人作り出した」
「ふむ」
「ところが、……その女も、どちらの男も選べなかった。何せ、全く同じだったからね。当然、男の方もそっくりな二人のどちらを選んで良いか判らない。で、どうする事も出来ない男女が四人になって仕舞ったんだ。水島さんならどうするね」
「どうしたもんかな。ジャンケンでもしたのかい、マスター」
「はは。男達は、決着を付けに山へ行って戦ったんだ。戦って、戦って、……結局一人が残った。山から男が帰って来た時、一方がいなくなればいいと思った女達はそれぞれに命を絶っていた。一人残された男は、三人の血で酒を作って、酒場を開いた。人々がそこでその酒を飲む時に、もういない親しい人と逢える酒場をね」
「……マスター、その話……その話、本当かい」
「嘘だよ。さあさ、帰った帰った。もう閉店だよ」
「そうだな。女房が待ってる。……帰るか」
「飲みたくなったら、いつでもおいで。でも、その時は自分の酒を持っておいで。そうして、わしと一杯やろうじゃないか。お互い、一人暮らしは淋しいもんだから」
eof.
初出:こむ 9号(1988年11月6日)