第十九話 雲散霧消
闇に浮かぶ母艦の腹部へ、一筋の光が滑り込む。
アタラヨが装甲を掠め、衝撃を殺して着地した。
カエデは即座に跳び降り、アタラヨを腕にを構える。
後に続いて、シンゲンとシズメも得物を手に取った。
《敵性反応、『0』。…ですが》
「そんなはずない、よね」
アタラヨの分析にカエデが冷静に返す。
艦内は稼働しているが人の気配はおろか、呪術兵の姿もない。
「誘っているのか…?」
「…それでも進むしかありません」
最低限の会話を交わし、三人は通路を進む。
金属の床に足音が響くたび、遠くで何かが軋むような音が返ってきた。
照明が、ふっと揺れる。
「……来る」
シンゲンが足を止めた。
次の瞬間、通路の先に呪符が散った。
空間そのものが歪み、黒い影が滲み出す。
「やはり、ここまで来ましたか」
低く、擦れた声。
歪みの中心から現れたのは「呪術師・山本勘助」。
「ほう、貴方様は……いやはや……」
勘助の視線が、三人をなぞる。
呪符が床を走り、通路の左右を塞ぐ。
退路を断つ、完全な迎撃。
カエデが一歩踏み出そうとした、その前に。
「俺がやる」
シンゲンが前へ出た。
二振りを静かに構え、勘助を正面から見据える。
「シンゲン……」
「大丈夫だ。時間は作る」
シズメが一瞬、シンゲンを見る。
「……必ず、追いついてください」
カエデは歯を噛み、アタラヨを握り直す。
「……死なないでよ」
それだけ言って、二人は脇の通路へ走り出した。
残された通路に、二人。
勘助が、ゆっくりと腕を上げる。
「では……参りましょうか」
呪符が宙を舞い、空間が歪む。
シンゲンは一歩、踏み出した。
二刀が、静かに鳴る。
⸻
母艦の通路が、ゆっくりと呪いに沈んでいく。
床に貼られた呪符が脈打ち、壁の陰から黒い影が滲み出す。
勘助は一歩も動かない。
だが、その場に立っているだけで、空間すべてが彼の陣だった。
シンゲンは息を整え、踏み込む。
雷・国永が閃き、呪符を斬り裂く。
断ち切ったはずの呪いが、床を這って再び形を成す。
「……しつこいな」
呟いた瞬間、視界が揺れた。
距離感がずれる。
踏み込んだはずの床が、一瞬だけ遠くなる。
その隙へと、鋭い金属音が響く。
法衣の奥から、絡繰仕掛けの蠍の尾が跳ね上がった。
節が連なり、毒針が冷たい光を放つ。
蠍の尾による横薙ぎ。
雷・国永で弾く。
衝撃が腕に走る。
尾は止まらない。
しなり、角度を変え、喉元を狙って突き込まれる。
クニムネで受け止め、尾を地面へ叩きつける。
「……なるほど」
勘助の声は淡々としている。
「やはり、近接は分が悪いですなぁ」
尾が引かれ、同時に呪符が炸裂する。
視界の端が黒く染まり、逃げ道が削られる。
シンゲンは半身をずらし、踏み込む。
呪いと尾の合間を縫い、距離を詰める。
その最中、不意に、言葉が脳裏に浮かんだ。
――ユキの声。
「ご存知ですかぁ?」
刃を振るいながら、思い出す。
「山本勘助。かつての武田筆頭軍師」
勘助の動きが、視界に入る。
呪いを前に出し、自身は一歩も引かない。
近づかせないが、逃げもしない。
「今は呪術師、って言った方がいいですかねぇ?頭の回るヤツでしたぁ」
雷・国永が呪いを断つ。
クニムネが尾を弾き返す。
「武田への忠誠も見上げたものがありましたぁ」
蠍の尾が再び迫る。
呪術兵と連動し、左右両側から攻め立てる。
シンゲンは二刀を交差させ、受け止める。
火花が散る。
「…何故こんな話をするかって?間違いなく今のアイツは許されざれる悪党ですぅ。
ただ、もしもの時は…望んだように介錯してやってください。
アイツは人間の割にはマシでしたし……
同期のよしみってヤツですぅ」
刃越しに、勘助の目を見る。
そこにあるのは、狂気ではない。
虚な、執念。
「……そうか」
シンゲンは低く息を吐いた。
この男は、呪いになり、呪われながらも、武田から離れなかった。
剣を構え直す。
呪いと絡繰が、再び動く。
迷いはなかった。
(――ならば)
⸻
呪符が一斉に浮かび上がる。
勘助が腕を振り、空間を歪めた。
床が沈み、天井が迫る。
視界の端で、黒い影が喉元を狙う。
だが、シンゲンは止まらない。
雷・国永で呪符を断ち、
クニムネで影を押し潰す。
踏み込む。
一歩、さらに一歩。
蠍の尾が跳ね上がった。
節が軋み、毒針が一直線に突き出される。
呪術と絡繰が完全に噛み合った一撃。
シンゲンは半身を捻り、雷・国永で逸らす。
だが、尾はしなる。
角度を変え、腹を狙って突き込まれる。
「……ッ」
クニムネを叩き下ろす。
刃が、尾の根元を正確に捉えた。
火花が散り、金属が裂ける音。
蠍の尾が床に落ち、力なく跳ねた。
「……お見事!」
勘助の声が、初めて揺れた。
呪符が、浮かばない。
空間の歪みが、急速にほどけていく。
その一瞬を、シンゲンは逃さない。
雷・国永が走る。
勘助の肩を裂く。
続けて、クニムネで腹部を、深く貫いた。
勘助の体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
法衣が崩れ、呪紋が剥がれ落ちた。
床に膝をつき、崩れ落ちる。
開いた目は既に焦点が合っておらず
視線は、シンゲンを捉えてはいない。
「……殿……」
かすれた声。
「……坊ちゃん……」
その言葉を聞いた瞬間、
シンゲンは、剣を収めた。
勘助の呼吸は浅い。
呪いも、憎しみも、もう残っていない。
そこにあるのは、ただ――
「……私は……」
勘助の唇が震える。
「武田のために……
お役に、立てましたでしょうか……」
その問いは、
敵に向けられたものではなかった。
シンゲンは一瞬、目を伏せる。
そして、顔を上げた。
声を変える。
低く、穏やかに。
まるで、
かつて武田を率いた男が、そこにいるかのように。
「……ああ」
「よくやった、勘助」
勘助の目が、ゆっくりと見開かれる。
「……ああ……」
頬に、一筋、雫が落ちた。
「……ありがたき…し…」
言葉は、そこで途切れた。
体が、霧のように崩れていく。
やがて、何も残らなくなった。
「……忘れはせん」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
二刀を収め、踵を返す。
この先で、
カエデとシズメが待っている。
そして、
武田の“消された歴史”は、
確かにここで、ひとつ弔われた。




