思い出と後悔
春である。
受験が終わって、進学先を決めた高校三年生は、一人の時間が増える時期だ。引っ越しの準備などもあるが、親は平日仕事のため、基本的には、何もすることがないのだ。せいぜいできることといえば、部屋を片付けることくらいだろうか。
山積みになったプリントや参考書を何処にしまうか悩みながらふと思う。自分は受験生で、その役割を最後まで完遂したということに。心残りは少しある。もくもくと本棚を整理していると、一つの大きな冊子に気づいた。手に取るまでその存在を完全に忘れていたが、それは卒業アルバムだった。パラパラとめくっているうちに、見開き二ページほど、白紙のページが出てきた。白紙の理由はすぐに分かった。ボクは卒業式当日、これをもっていくのを忘れたのだ。ボクの高校では卒業アルバムは卒業式の前日に配布される。それを式当日に持っていくことは暗黙の了解だったようだ。そんなことも分からないボクの卒業アルバムは、少し虚しいものとなってしまった。
何かの気まぐれだろう。何故か、アルバムを読みたいと思ってしまった。思い出は大切だ。だからこそ、アルバムというものが嫌いだった。もっと言えば、写真というものが嫌いだった。頭の中にある思い出が最も美しい。このことをボクは知っていたからだ。しかし、開いた以上、このアルバムを読み進める義務が生じた。ゆっくり読んでいくとしよう。本当の思い出に苦しめられながら。
読み進める。思い出す。腕を見る。傷がある。手の甲を見る。やけどみたいな傷がある。
これは、キサントプロテイン反応の実験によるものだと想起する。読み進める。思い出す。
記念日を祝わなかったことで喧嘩して、別れたこと、部活帰りにココ壱番屋の二十辛を食べた友人。くだらない思い出だけが此処にはある。
「お前は何がしたかったんだ?」
「お前は何をしたいんだ?」
「お前は何に為りたいんだ?」
ああ。
こういったことも思い出すのか。
その顔に出会う度に
忘れたかった、最も忘れたかった思い出だけは、どのページからでも思い出せる。皮肉なことに、ヒトという生き物は良い思い出よりも悪い思い出のほうが、覚えていられるらしい。
読み進める。カーテンが揺れる。季節外れの風鈴がゆっくりと音を奏でる。夏は部活ばかりをしていた。着替えがいくらあっても足りないことだけ覚えている。足も臭かったなあ。体育館は異臭騒ぎだった。部活は楽しかった。学校へ行く理由なんて、それだけだった。勉強なんて、自分一人でもできる。部活は学校とボクを繋ぐ、唯一の鎖だったのだ。
読み進める。ページをめくる。知らない顔と目が合う。少し、はねている髪が気になる。ひきつっている笑顔が気になる。この子は笑うのが上手くないようだ。少しだけ、顔に笑みを作って、頁をめくる。みんなの赤ちゃんの頃の写真が散りばめられていた。たしかに、クラス委員(正式な名前は忘れた)が集めていた気がする。何の意味があるのかは、全くわからない。
読み進める。思い出す。修学旅行のページのようだ。朝食に二回遅れた、少し笑った。沖縄というありふれすぎた場所での修学旅行だったが、楽しかった思い出がある。思い出は美しいのに、写真には現実しか映っていない。そこには事実しかない。少し、苦しい。
最後のページをめくる。といっても、白紙のページだ。それをめくる躊躇などある筈がない。あっていい筈がない。
めくる。
閉じる。
ああ。
これが。
ボクの三年間の断片か。
悲しくはない。きっといつかゴミになるだけだ。その証拠に、今までのアルバムの行方をボクは知らない。
ただ。
もっとこうできたんじゃないかと思ってしまう。
ボク達は、全力を出さないと、後で、公開すると教えられてきた。今、ボクの心の中にあるのは、どれだけ全力を尽くしたって、達成感を得たって、結果を残したって、何かしらの後悔が残る。それを知る3年間だったのだろう。
春である。
新しい舞台の幕が上がる。
次はどんな後悔がボクを待っているのだろう。いつか思い出すために、今日も後悔を積み重ねていく。
青春って何でしょうね




