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死に戻り悪役令嬢ですが、ループの度にすぐ死ぬ護衛騎士が今回だけはピンピンしています。~確定死仲間の私も生き長らえているのですが、一体何が起きているんでしょう?~

作者: 千秋 颯

「リヴィア・ルアルディ! 貴女との婚約を破棄する!」


 これを聞くのは何度目だろう。恐らく三十は超えている。

 聞き飽きたその言葉にはとっくに心が動かなくなっていた。


 私にそう言い放ったのは婚約者のレオニダ王太子殿下。

 彼の傍にはスザンナ・ディ・カンピージ男爵令嬢が立っている。

 彼女は下位貴族でありながらも聖女という世界に一人しかいない聖なる力を秘めた存在。国が特別視する存在だ。


「お前は国の宝である聖女スザンナ・ディ・カンピージを学園で虐め、社会的に孤立させようとしただけでなく――彼女の殺害を企てた!」


 謂れのない罪。

 けれどいくら否定しようとも無駄だという事を私は知っている。


「国の存続をも揺るがす存在を我が国から奪おうとした貴女には――極刑を言い渡す!」


 王宮で開かれた夜会。

 この場には国王陛下もいらっしゃる。

 彼がこの宣言に名にも口出しをしないということは、既にこれは陛下の中でも決定事項だという事。


今回は(・・・)第二王子殿下とも仲良くなれたと思うのだけれど。それでもこの場に助言をくれる程ではないのね)


 王立学園で親しい関係を築いた第二王子殿下へ視線を移すも、彼は大勢の人混みの中、難しい顔をして私達を見守っているだけだ。

 少々失望しながら、私は視線を落とす。


 婚約破棄と死刑の宣告。

 最早儀式のような断罪を私は三十回以上繰り返している。


 スザンナ様の企てによって、無実の罪を被せられた私。

 婚約者のレオニダ殿下は何度弁明しても耳を傾けてはくれず、私に死を宣告する。

 大人しくしていれば民衆の前で石を投げられながら首を刎ねられる。

 逃げたとしても捕まって殺されるか……仮に逃げ切ったとしても、公爵令嬢という高貴な身分で育った私は市井で生きる術を持ち合わせている訳もなく。

 ならず者に襲われて暴行の末に殺されるか、奴隷として売り飛ばされて衰弱死するか。

 ろくな未来は待っていない。


 いっそ、死んで終わる人生ならばよかったのだろう。

 けれど現実は非情な死を遂げるという結末以上に残酷で、私が死を迎える度に時間は巻き戻り、断罪の一年前から人生をやり直させられている、という状況だ。


 おかしくでもなれたらいいのに、それすら叶わない。

 仕方なく一年かけて味方を作ろうとしても、この場で助けてくれる程の関係は上手く築けなかった。


(そういえば、唯一私の味方で居続けてくれる人はいたわね)


 断罪の半年前、聖女を害したという悪評が広まってからというもの、家族ですら私を信じてはくれなくなった。

 その中で唯一、私に手を差し伸べ続けてくれた者がいた。


 且つて武勲を上げ、騎士爵を拝借した騎士。

 その後公爵家の騎士団に属した彼は私の護衛騎士として日々付き従ってくれた。

 公爵家で孤立した私を外へ連れ出しては見た事のない景色を見せてくれたり、冗談で笑わせてくれたりした。

 学園で孤立したり、嫌がらせを受ける私を馬車で迎えに来てくれるのだって彼だ。

 彼は学園での生活については一切触れず、寧ろ嫌な記憶を忘れさせてくれるような話を沢山してくれた。


 彼の存在に救われていた時期も、確かにあった。


 ただ、最近のループでは随分ご無沙汰だ。

 というのも……


(――彼、すぐ死ぬのよね……)


 そう。私の護衛騎士は私の肩を持ったばっかりに不運の死を遂げる。

 私が何もしなければ、私が死ぬよりも先に彼は不慮の事故(・・・・・)で死んでしまう。

 公には事故として処理されるが、その後の学園生活で、決まってスザンナ様が勝ち誇った嘲笑を浴びせてきたことを考えると、彼女の差し金だったのだろう。

 そして私が行動を起こし、運命を変えれば――その先で私を庇って死ぬ。


 極刑が決まった私を逃がそうとして、追手に殺されるのだ。

 私一人が逃げたところで、その先に希望などあるはずもないのに。


 彼に頼っては幸せにはなれない。彼の死も私の死を避ける事も出来ない。

 そう悟った私は彼が生きる道を諦め、自分の生存の為だけに動こうと決めた。


 もう十回は前のループの話だ。


 彼の事は気にしないようにしようと彼を避け始め、自分の目的のために動き続けてきた結果、私の知らない場所で彼は本来の運命通りの不慮の事故(・・・・・)に遭って亡くなり続けている。

 けれどもうそれも何度も繰り返されるイベントの一つでしかなかったから、私の傍からいつの間にか彼が消えていても、心は動かなくなっていた。


(彼にしても……もうどこが好きだったのかはわからないわね)


 目の前の婚約者へ注意を戻しながら私は内心で溜息を吐く。

 死に戻りが始まって何度目かまでは恋心が残っていたはずだ。


 けれどその気持ちも今となっては皆無だ。

 当然である。彼のこの言葉のせいで私は死に至るのだから。

 彼に殺されたと思ってしまうのも仕方のない話だ。


「言い残したことはあるか、リヴィア・ルアルディ」


 王宮の騎士に捕らえられる私を見てレオニダ殿下が言う。

 私は淡々と答える。


「……私は無実です。私に罪を被せようとしている悪しき者が居ります」

「ハッ、何を今更」

「この言葉を信じてくださらなければ――いずれ滅びゆく国を眺めながら後悔する事でしょう」

「っ、不敬な!!」


 嘘や出鱈目を話しているつもりはないのだが。

 そう思いながらも、この場で出来る事をやり切った私は大人しく口を閉ざす。

 その時だ。


 ふと、視線の端に見覚えのある姿を捉えた私はハッとそちらに顔を向けた。


「……は?」


 目が合った彼は人懐っこい顔に微笑を湛えてひらひらと手を振る。

 茶色の髪に黄緑の瞳が特徴的な、整った顔立ち。


 ――護衛騎士、エラルド・ディ・ヴァレーゼ。


 既に死んでいる運命にあるはずの彼が何故かパーティー会場に潜り込んでいたのだ。


(な、なんで……?)


 困惑している私の正面立つレオニダ殿下がカッと、顔に憤りを浮かべたが、最早そんな事はどうでもよかった。

 彼は声を荒げながら、私を地下の牢屋へ閉じ込めるよう騎士達に命じる。


(何で生きてるの……っ!?)


 王宮の騎士に連れられながらも、私の目はエラルドから離すことが出来ずにいた。




 その晩。

 私は何度も繰り返される時間の中で磨いた魔法によって、王宮地下の牢屋から抜け出そうとする。

 魔法によって牢屋の鉄格子の耐久は跳ね上がっていたが、私の腕であれば簡単に壊すことが出来た。

 音は出るだろうし、すぐに脱獄はバレてしまうだろうが、仕方がない。

 そう思って人差し指を立てたその時。


「リヴィア様」


 鉄格子の向こう側から、突然人影が姿を見せる。

 驚いて肩を跳ね上げるも、視線の先にあるのが敵意のない笑顔であることに気付き、私の心は落ち着いていった。


「……エラルド」

「すみません、遅くなりました」


 目の前に立つ護衛騎士の姿に、やはり先程彼を見つけたのは気のせいではなかったと悟る。

 エラルドはどこからか盗み出して来たのだろう鍵を使って、牢屋の扉を開けた。


「どうして……」

「それは助けに来た事についてですか? それとも、俺が生きている事についてですか?」


 一瞬、自分の運命に勘付いているのかと息を呑んだが、次いで話される言葉によってどうやらそういう訳ではないらしいと私は考えた。


「どうやら俺が死んだ方が都合がいいと思った人がいたみたいなんで、死んだフリをして息を潜めてみたんですよ。お仕事を放棄したのは、すみませんでした」

「い、いいえ」

(どういう事? これまではこんな展開はなかった)


 困惑する私の前に、エラルドは手を差し出す。

 屈託ない笑みも迷いなく伸ばされる手も、酷く懐かしく感じた。


「逃げましょう、リヴィア様。どこまでもついていきますから」


 それが嬉しいと思う気持ちに背を押され、手を取りそうになる。

 けれど彼の言葉で我に返った。


「……嘘よ」


 何の因果か、今回はここまで生き長らえたエラルド。

 けれど一度目の死を乗り越え、私の元へ現れた彼に待っているのは結局、私を庇って死ぬ運命だけだ。

 『どこまでもついていく』この約束が守られる事はない。


 そんな考えが過ってしまった私は彼の手を掴めずにいた。

 けれどエラルドは、そんなのはお構いなしに私の手を勝手に掴んだ。


「大丈夫です、リヴィア様」


 エラルドは私を牢屋の外へと引っ張り出した。


「もう二度と死にませんから」


 それが、一度死んだフリをした事に因んで言っているのか、それとも自分の死という運命を把握した上で話しているのか、そこまではわからなかった。

 けれど彼がこんな事を言うのは初めての事だったから、私はそれを信じたいと思った。


 また死に戻りに於いて大切なのは『初めて』の事をするという事なのだ。

 初めて見る展開があれば率先して首を突っ込んでいかなければならない。

 それと今回の『初めて』に乗じる事が生存という未来に繋がってくれたら……きっとそれは私にとって限りなく望ましい展開なのだろうとも思ってしまった。


 エラルドの言葉に、私は小さく頷いた。




 彼は足元に転がしていた大きな麻袋を引っ張り出すと、それを牢屋の中へ転がした。

 見ないように、と忠告を受けたのでその通りにしていると、エラルドは麻袋の中身について軽く説明をする。


「処分されるはずだった女性の遺体です。出来る事ならご遺体を粗末に扱いたくはないのですが、そうも言ってはいられませんから」


 彼が敢えて遺体の話をしたのは、きっと下手に隠し事をしない方がレオニダ殿下に裏切られた直後の私の不安を煽らないと考えての事だろう。

 今更、死体一つで騒ぐような心は持っていないが、誠実な印象を抱いていたエラルドがそのような行動に出ること自体は意外だと感じた。


 彼は服毒すると全身が爛れてしまう特殊な毒を全身が爛れた遺体の傍に置き、私の死を偽装する。

 それから私達は足早にその場を去った。


 途中、椅子に座ったまま居眠りをしている見張りの騎士の前を通る。

 エラルドは盗み出した鍵を彼にそっと返してから私を連れて離れた。


「少し薬を嗅がせたんです。とはいえすぐに目を覚ますと思うので、今のうちに逃げましょう」


 事前に見つけておいたという抜け道を使って私達は王宮から抜け出した。

 それからすぐに私達は王都を離れ、少しでも国の脅威から逃れるべく旅へ出る事になった。




 まず、エラルドの勧めで私達は偽名を使って冒険者の登録をした。

 エラルドは騎士の中でも相当な上澄みだったので、魔物の討伐の依頼をこなす事で生きるのに困らないだけの金銭は稼げていた。

 私も魔法でエラルドの戦いを支援したりもしたが、あまり危険な目には遭って欲しくないと彼が困ったように言うので、殆どは彼に任せっきりになってしまった。


 また、貴族ではない者の暮らしというものをあまり知らない私ではあったが、平民出身であったエラルドのお陰で私は少しずつ平民としての暮らしに慣れていく事が出来た。


 エラルドは私に苦労をさせたくはないと、毎日最高級の宿へ止まらせようとしたり、街で一番のレストランへ行こうと言ったりして、逆に私を困らせた。

 確かに硬いベッドで寝る事や時に行う野営なんかには中々なれなかったし、やけに味が濃くて重い料理も、初めはあまり進んで食べようとは思えなかったが、だからと言って無駄遣いをしている場合ではないことくらいは私にだってわかった。


「いや、俺まだまだ全然稼げますから!」

「馬鹿言わないで。まだ働く余裕があるなら、有事に私や貴方の命を守る為に温存して頂戴。私ばかり贅沢なんてしてられないでしょう」

「でも、リヴィア様には苦労をかけたくないんです」

「有事の際に動けない方がよっぽど困るわ。……それに、私同じものを食べながらこうして話せるのも、ちょっと悪くないと思っているのよ」

「……リヴィア様」


 料理の味は公爵家にいた時とは比べ物にもならない。

 けれどあの家にいた時には出来なかった事が、今出来ている。

 心を許した相手ととる食事の時間はとても新鮮で、そしてかけがえのないひと時だった。



***



 ある日。

 私達は突然の大雨に見舞われ、びしょ濡れになりながら宿へ戻った。

 私が熱を出したのは、その翌日の事だった。


 私を気に掛けて宿に残ろうとするエラルドを部屋から追い出した私は、稼ぎに出た彼を待ちながら一人で横になっていた。

 風邪の時は心細くなるものだ。

 一人になって布団を被っていると段々と不安な気持ちが押し寄せる。


 今この瞬間に追手がやって来て自分を殺すのではないかとか、これまですぐ死んでしまったエラルドが今回もやはり死んでしまうのではないか、とか。


 早く夕方になればいいのに、と願いながら私は意識を手放した。




 私は額の汗を拭われる感覚で目を覚ます。


「あ。すみません、起こしてしまって」

「エラルド……仕事は?」

「終わりました。……あ、今日は早めにノルマ分倒せたんで、サボってはないですよ!」


 窓から見える太陽はまだ空の上の方にあった。

 どうやらエラルドは急いで仕事を終わらせて返って来てくれたようだった。


「……エラルド」

「はい」


 私は、伸ばされていた手を引き寄せ、顔を摺り寄せる。

 私の不安を悟ったのだろう。彼は笑って言った。


「言ったじゃないですか、もう二度と死にませんって。俺も……リヴィア様も」


 私は深く息を吐く。

 彼が私の想定外の動きをした時から頭を過った可能性。

 旅に出てからも薄々勘付いていたものだ。


 ――やはり彼は、ループについて知っている。


「……変な事を言うのだけれど」


 これまで何度も考えていた事、その確証を得る為に私は話す。


「私、何度も同じ時間を繰り返しているの」


 私の頬を撫でながらエラルドはゆっくりと瞬きを繰り返す。

 それから穏やかに笑って見せた。


「はい。……知っていますよ」




「混乱させてしまうかもしれないのですが、俺には二つの記憶があるんです」


 ベッドの縁に座り、私の頬に触れたまま彼は話した。


「これまでのエラルド・ディ・ヴァレーゼとして生きてきた記憶。そして……リヴィア様の運命を知っていた前世の記憶」


 彼の話を要約すれば、この世界は想像の世界で、エラルドの前世では大変流行した作品だったとの事。


 主人公は聖女スザンナではなく、死に戻りを繰り返すリヴィア。

 リヴィアは百回死に戻りを繰り返し、苦しみ続けた末、ようやく自分を助け出してくれるヒーローに巡り合う。

 こうして彼女はヒーローと共に生き残る未来を掴み取ろうと動き始めるのだ――


 ――というのが、この世界の筋書きだとか。


 またエラルドは私のこれまでのループの記憶を備えてはおらず(レオニダ殿下など他の者と同様の状態のようだ)、また話を聞く限り、彼が前世の記憶を思い出したのは『今回』のループからなのだろうと私は思った。

 だからこそ、これまで決まった結末を迎えていた彼が詞の運命から逃れられたのだと。


 前世の記憶を取り戻したエラルドは思った。私が死に戻りをするという事が物語の主軸である以上、自分が記憶を取り戻したこの瞬間も、ループの最中である可能性が高いと。

 そして百回も死に戻りを繰り返し、苦しむことでしか幸せを手に入れる事ができない私を、百回目のループで漸く辿ることが出来る展開まで導いてやることが出来れば――もっと早くに死に戻りを終わらせることが出来るのではないかと。


「どうして……そこまでしてくれるの」


 私は早々に貴方を見限ったのに。

 そんな言葉を呑み込みながら、エラルドの答えを待つ。


 彼は困ったように笑った。


「俺、貴女の事が好きなんですよ、リヴィア様。……本当に、ずっとずっと前から」


 彼の言葉がとても嬉しいと思った。

 同時に、頬を赤らめ、困ったように笑う彼の事がどうしようもなく愛おしく思う。


「俺は未来を知っています。だから、どうか安心してください。必ず貴女を幸せにしますから」


 彼は言った。

 テリストゥラまで辿り着けば私の死に戻りは終わるだろうと。

 幸せな未来が待っているだろうと。

 私は彼の言葉を信じた。


 既に国境は近づいてきている。

 私達がテリストゥラへ辿り着くまで、あと一週間程だ。


 あと少しで何度も繰り返した苦しみは終わるのだろうと、そう思った。



***



 母国とテリストゥラの国境にある大森林を私達は進む。


 エラルドが動物の肉を狩り、私は彼に教わりながら食事を作る。

 下町の味にもすっかり慣れた舌でそれを味わい「美味しいね」と二人で笑い合った。



 ある暖かな日。

 川を見つけたと思えば、エラルドがそこへ飛び込んだ。

 困惑しながら近づけば、冷たい水を掛けられる。

 彼の無邪気な笑いにつられるようにして私も川へ入り、同じ様に水を掛け返した。


 びしょ濡れになって笑い合う姿をふと振り返って、「子供みたいね、私達」と言った。



 深夜の森は時々恐怖を拭いきれなかった。

 真っ暗で静かな森の中、獣の遠吠えが聞こえてきてなかなか眠れなくなってしまった私は、焚火の前で見張りをしていたエラルドの隣まで近づき、彼に寄り掛かる。

 エラルドは「大丈夫ですよ」と何度も言い聞かせながら、私が眠るまでその穏やかな声でいくつもの話をしてくれた。


 聞いた事のない童話や童謡、前世の空はここと星の並びが違うのだという話、エラルドがどれだけ私を慕ってくれていたのかという話。

 それを聞いている内に私の不安はすっかり消え、深い眠りにつくことが出来た。



***



 私達は森を抜ける。

 目の前にはのどかな風景が広がっていた。

 木で建てられた小屋が建ち並び、畑で働く人や道を走り回る子供達の姿がある。

 村には水路が巡らされ、水の流れる音が微かに届く。


「ほら、リヴィア様」


 嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、エラルドは私に手を伸ばす。

 それを握れば、彼は私の手を握ったまま村の中へと踏み出す。

 一拍遅れて、私も村へと足を踏み入れた。


「テリストゥラ、着きましたね!」


 これでもう安心だという彼の言葉にホッと全身の力が抜ける。

 死に戻りから逃れられたと明確に感じられるような体感があった訳ではない。

 それでも大喜びする彼を見ていれば、本当に救われたのだという確信がじわじわと湧いてきた。


 その後、私はエラルドの提案で国境近辺の広大な土地を治める辺境伯の住居へ向かった。

 馬車を借り、辺境伯邸のすぐ傍で下ろしてもらう。


「……大きい」

「ルアルディ公爵邸の方が大きかったですよ」


 辺境伯邸の大きさに圧巻されていると、エラルドがくすりと笑った。

 どうやら私の感覚は、自分が思っているよりも公爵令嬢から遠いものになってしまった様だ。


「いいですか、リヴィア様。今からしていただく事を話しますね。まず、辺境伯邸の兵にご自身の名を明かし、それから母国の未来について告げてください」


 母国は――近い将来に滅亡する。

 最近のループで知った事実を私は思い出す。

 ある日突然、黒い雲が空を覆い、人々は黒い雷に次々と打たれて干からびて死んでいく。

 それは太古の言い伝えによる『悪魔の災害』のようだと思った。


 人に擬態し、魔法と話術で周囲を洗脳し、思いのままに操る。人の命を何とも思わない残虐な存在――それが悪魔だ。


「リヴィア様も察してはいるでしょうが、あの国の中枢は既に悪魔によって洗脳され――彼女がどんな提案をしようとも、彼女の正体に気付こうとも、中枢は悪魔を敵視することが出来なくなっている」

「……彼女」


 エラルドの用いる三人称を私は反芻する。

 彼は頷いた。


「気付いておられるでしょう。スザンナ様です」


 悪魔が紛れているというならば、確かに彼女だろうと私は思った。


「聖女は既に死んでいます。あの国はいずれ終わりを迎える――しかし、その影響が一国に留まる間に、悪魔の影響が広がる前に手を打てれば……犠牲は最小限で押さえられます」

「私がこの話をする事で、隣国に恩を売れると」

「はい」

「……わかったわ」


 私は頷き、辺境伯邸へ向かおうとする。

 しかし、これまでずっと先導してくれていたエラルドが動かなかった。


「エラルド?」

「俺の案内はここまでです」

「……え」


 彼は悲しそうに笑う。


「元の筋書きでは俺は既に死んでいる存在です。この先の筋書きにまで影響が及べば、折角確約されているリヴィア様の幸福が不安定なものになってしまうかもしれない」


 エラルドは私を優しく諭す。

 辺境伯に話しをすればその後、テリストゥラの王宮で同じ話をする事になる。

 私は王太子の保護下に置かれ、大切にされるだろうと。

 そして――いつの日か彼と恋に落ち、王妃として幸せな未来が待っていると。


「だから、俺の役目はここまでです。大丈夫です、この先は貴女の望んだ通りに話が進んでいく。思うがままに行動してください」


 その声を聞きながら、彼との逃避行の記憶が次々と蘇っていく。

 何度繰り返しても振り払えなかった恐怖に苛まれる事のない安らかな時間。

 そして心置きなく笑える、確かな幸福の時間。


「……ふざけないで」


 気付けば私の視界は大きくぼやけ、ボロボロと涙が零れ落ちた。


「私をこんな……こんなに幸せにしておいて、後は自分の好きにしろって?」

「リヴィア様……」

「私は筋書きを知らない。けど、はっきりわかる事がある。……貴方が傍に居ない世界で得られる幸せなんて、これまで貴方から貰った幸せに比べれば酷くちっぽけなものよ!」


 私は嗚咽を堪えて声を絞り出す。


「貴方が今しようとしている事は、私を幸福にする事じゃなくて、幸福から遠ざける事だわ! 初めに筋書きから逸脱したのは貴方でしょう!? 筋書き通りじゃ満足できなくしたのは貴方でしょう!? なら……」


 私はエラルドの胸に飛び込む。

 逃がすものかと、彼の服を必死に掴んで泣きじゃくった。


「最後まで、責任取りなさいよ……!」

「リヴィア様……」


 困ったような、困惑している声がした。

 それから彼は、そっと私の背に手を回す。


「……すみません、でした。俺、勝手な事を言って。お傍に居たいって気持ちは勿論あって、でも……それがリヴィア様の為になるという自信もなくて。だから俺の知っている正解を辿れば、少なくとも間違いではないだろうって」

「…………馬鹿ね。私の中で、とっくに貴方はいなくてはならない存在なのに」

「はい。……大馬鹿者でした。……リヴィア様」


 エラルドが私の涙を指で掬い取る。


「こんな俺ですけど、これからもずっと――貴方と一緒に居ても良いですか?」


 頬を撫でる優しい感触に甘えながら私は更に大粒の涙を流す。


「当たり前でしょう。私から離れようとするなんて、絶対に許さないんだから」

「……はい!」


 エラルドは涙で目を潤ませながら頷いた。

 それから私は互いの想いを伝え合うように強く抱きしめ合い――深い口づけを交わしたのだった。



***



 それから私達は、共に辺境伯へお目通りし、母国の状態やこれから起こるだろう事を伝える。

 その後、辺境伯の紹介でテリストゥラ国王陛下に謁見を賜り、私とエラルドは王宮の賓客という扱いで保護される。


 母国で災害が確認されたのは、テリストゥラが悪魔討伐の為の武力を集め切った頃合いであった。

 『悪魔の災害』は悪魔が人間の生命力を吸い取り、膨大な力を体内に蓄積する為の手段。

 それが終わる前に戦を仕掛けることが出来たテリストゥラは、武の心得がある王太子の指揮によって――無事に、悪魔の首を討ち取ったという。


 その後、甚大な被害を受け、また世界滅亡の危機を作り出す可能性のあった母国はテリストゥラに下り、国の名を奪われる事となった。




 それから一年が経った頃。

 私達はテリストゥラ辺境の小さな村で細々とした暮らしを営んでいた。


 国王陛下からは英雄として膨大な財と、それぞれに爵位の授与や、地位ある者の中から結婚相手を見繕おうという提案がされたが、私達はそれを断った。

 その代わりとして――田舎の村での平穏な暮らしを望んだのだ。


「ただいまぁ」


 小屋の中で編み物をしていると、狩りから帰って来たエラルドの声がした。

 彼は腰を掛けていた私へ近づくと、そっと抱きしめてくれる。


「おかえりなさい」

「体調はどう?」

「平気よ。ありがとう」


 私は大きく膨らんだお腹をエラルドに触れさせる。


「ほら、この子も大丈夫だって」

「……そっか」


 彼は破顔し、お腹を撫でてから私の頬にキスを落とす。


「あーあ。やっぱりもう少しお金は貰っておくんだったかなぁ」

「急に何?」

「そうしたらリヴィアをずっと見守れたのにって」

「もう」


 私は小さく吹き出して笑った。

 確かに、今の私達の生活は裕福とは言えたものではない。

 でも――


「いいでしょう? 私は貴方と過ごしてきた、こういう質素な生活の方が――ずっとずっと尊く思えるわ」


 公爵令嬢として過ごした日々よりも、身分を失ってからの苦労が絶えない日々の方がずっと幸せだった。

 私には――今の生活の方が性に合っているのだ。


「そうかい?」

「ええ」


 私の言葉の意図を汲んでか、エラルドが僅かに頬を赤らめる。

 その頬に手を伸ばし、私は顔を寄せる。

 エラルドもまた顔を近づけ、私達は唇を重ね合わせる。




 この日々は、エラルドが言った『筋書き』通りの未来ではない。

 高位な地位もなく、名声もない。何ならお金だってない。


 けれど彼と共に過ごすこの日々は間違いなく――


 ――最も幸せな選択だったと。


 深い愛情を感じながら、私はそう思うのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


もし楽しんでいただけた場合には是非とも

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また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!


それでは、またご縁がありましたらどこかで!

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