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街の本屋の泥棒猫  作者: 蒼碧
Side:人
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Side:人7

原案:クズハ  見守り:蒼風 雨静  文;碧 銀魚

 二日後、御船書房へ初出勤の朝となった。

「じゃあ、がんばって行ってくる……って、言いたいところなんだけど。」

 膝の上にはクロが乗っかったままだった。

 なぜか、朝食を終えてから、クロが膝の上から降りてくれない。無理やり降ろそうとしても、なけなしの爪を立てて、食い下がってくる。

「参ったなぁ……クロ、これに行かないと、ご飯が食べられなくなるんだぞ。」

「みっ!」

「そうなったら、俺もおまえも共倒れだぞ。」

「みっ!」

「心配してくれるのは嬉しいけど、必要なことなんだって。」

「みっ!」

 どう説得しても、クロは降りてくれなかった。そもそも、言葉が通じているとも思っていないが、とりあえず断固拒否の意思だけはよく伝わってくる。

 だが、だからと言って、初日から遅刻するわけにはいかない。

「仕方ないな、ちょっと我慢しろ!」

 修一は意を決して、クロを掴み、無理やり膝から引き剝がした。

「みぎぃー!!」

 クロはジタバタと抵抗したが、所詮はまだまだ子猫。成人男子である修一の力の前では為す術がなく、そのままお気に入りの座布団の上に置かれてしまった。

「じゃあ、行ってくるから、大人しくしてな。」

「みゃー!みゃー!みゃー!」

 クロはしつこく鳴きながら、玄関までついてきたが、修一は外に出ると、素早く扉を閉めた。

「ったく、何でそんなに嫌がるかねぇ……」

 扉の向こうからは、しばらくクロの喚き声が聞こえ続けていた。


 御船書房へは朝九時に来るよう言われていたのだが、修一は営業職時代の癖で、二十分前にはやってきていた。

 通りに面している表側はまだシャッターが下りており、修一は結花に指示された通り、通りの反対側にある裏口に向かった。店舗と隣の喫茶店の間には人一人が通れるくらいの隙間があり、そこから通りの真裏にある裏口に行けるようになっている。

「あっ、河瀬さん。おはようございます。」

 裏口に行くと、既に結花は作業をしていた。

 裏口の中は四畳半くらいの狭いバックヤードになっており、色々なものが置かれた棚が一つと、大きな作業台が一つあり、そこにうず高く本が積まれている。

「おはようございます。不束者ですが、今日から宜しくお願いします。」

「こちらこそ。というか、何でそんな昔のお嫁さんみたいな挨拶なんですか。」

「いえ、何となく……」

 ちなみに、この妙な挨拶も営業職時代に染み付いたものである。


 バックヤードには階段があり、そこから結花の住まいである二階に上がれるようになっていた。その階段の横にロッカーが一つあり、そこが修一の荷物や上着入れとなった。

 荷物を片付けると、結花とお揃いの群青色のエプロンを渡された。これが、ここでの制服代わりとなるようで、その下は動きやすい私服である。ずっとスーツで仕事をしていた修一からすると、これだけでも結構な違和感があった。

 着替えが終わると、結花はパンと手を叩いた。

「はい!それでは、多分、御船書房初の朝礼を行いたいと思います。」

 結花は元気よく切り出した。

「は、はい。」

 釣られて、修一も返事を返す。

「まず、河瀬さんにはレジ打ちから覚えて頂きたいと思います。それが終わったら、棚の掃除や整理の仕方。今日はそれくらいになると思います。」

「わ、わかりました。」

 久々の職場の空気感に、修一は若干緊張してきた。

「最初に言っておきますが、現在御船書房は殆ど黒字が出ていない状態です。」

「えっ……」

「なので、河瀬さんが売上向上の為にならなければ、赤字転落も考えられる状況です。」

 結花がいきなりぶっちゃけ始めた。

「ま、マジですか。」

「マジです!なので、河瀬さんは一日も早く、お店の利益になり得る人材に成長して下さい。」

「は、はい……」

 修一は戸惑いを隠しきれない。

 その様子が可笑しかったのか、結花はふふっと笑い出した。

「なんて、脅かしましたけど、河瀬さんは私より社会人経験が長いですし、前職が営業とのことなので、接客もそんなに問題ないと思います。本の管理とか返本作業とか、そういう本屋独特の作業さえ覚えてもらえれば、そんなに問題ないと思いますので、気負わずやって下さい。」

「は、はい。」

 そう言われて、結花は年下の女性上司という、若干複雑な間柄になるのだなと、修一は気付いた。変に気を遣わせたり、逆に変な気を遣ったりしないようにしなければならない。

「では、始めましょうか。今日一日、宜しくお願いします。」

「宜しくお願いします。」

 修一は畏まって、頭を下げた。


 お店を開ける前に、まずレジの使い方のレクチャーが始まった。

 レジは最近主流のPOSレジではなく、昔ながらの手打ちのものだった。しかも、かなり年季が入っている。

「POSは導入しないんですか?」

 修一が尋ねると、結花は頭をポリポリと掻いた。

「経費がかかりますからねぇ。打ちミスも少なくなりますし、データ管理も楽なので、できれば導入したいところなんですけど……」

 朝礼で言っていた、収支の話は本当らしい。

「就職前にいくつかバイトしたことはありますけど、手打ちのレジは初めてですね。」

「まぁ、そんなに難しくはないですから。まず、お客様が本を持ってきたら、裏表紙にある税抜きの金額を打ち込んで……」

 確かに、レジの使い方は難しくなかったが、やはり難関は数字の打ち込みミスをしないことと、お釣りを正確に渡すことだ。

 最近はコンビニやスーパーでは、セルフレジが主流になりつつあるが、この昔ながらのレジだと、ドロワーからお札や小銭を手で取らねばならず、小銭を一円単位まで間違えずに取り出すのが、意外に骨が折れる。しかも、お札もピン札だと、ぴったりくっついていることがあり、五千円札を誤って二枚渡したりしたら、大惨事だ。

「当たり前ですけど、かなり慎重さを求められますね。」

「そうですね。でも、慎重になるあまり、ゆっくりやっていると、お客さんに早くしろって言われちゃいますからね。手早く正確に、を心掛けて下さい。」

「わかりました。」

 修一はこれだけでも気疲れしそうだった。


 レジのレクチャーが一通り終わると、開店作業に移った。

 結花の指示に従い、シャッターを開けたり、絵本塔と呼ばれる、可動式の細長い棚を入り口付近に並べたりしていく。

 御船書房は十時開店、二十時閉店となっているそうだ。

 とはいえ、開店してすぐに客が入ってくるわけでもない。

 開店作業後は、バックルームにうず高く積まれた本や雑誌を棚に入れていく作業を手伝った。これは今日入荷したものらしく、新刊と売れた本の補充があるそうだ。

「棚がいっぱいで入らない場合は、どうすればいいですか?」

「その場合は、不要本を見繕って入れ替えるんですけど、まだどれが不要本かわからないと思うので、私に声をかけて下さい。」

 そう言って、結花は修一の傍に来ると、素早く棚から本を一冊抜いた。

「えっ、不要本ってそんなにすぐわかるもんなんですか?」

 修一が少々驚いて尋ねると、結花はふふっと笑った。

「これといった基準はありませんけど、半年も勤めていれば、何となくわかるようになりますよ。大手の書店とかだと、本部の方から全て指示があるそうですけど。基本的には長期間売れてない本を抜いていく感じです。」

「これだけある本の、どれが売れてないとか、覚えてるんですか?」

「まぁ、レジ打ちしてると何となく。」

 修一は感心するしかなかった。そんなに広い店舗ではないが、それでも店内には数千冊は本がひしめき合っている。

 果たして、たった半年で売れ筋を理解できるのか……修一には、到底不可能にしか思えなかった。

「まぁ、卓越した職人技というのは、時に魔法に見えるものですよ。」

 結花はちょっとだけ自慢げに言った。


 開店から三十分ほどして、ようやく今日一人目の客がやってきた。

「あら、木下さん。こんにちは。」

 結花が挨拶すると、木下と呼ばれたおばあちゃんはにっこりと微笑んだ。

「結花ちゃん、こんにちは。あら、新しい店員さん?」

 修一の姿を見て、木下さんは尋ねた。

「ええ。今日から働いてもらうことになった河瀬さんです。」

「あら、そうなの。あらあら……」

 木下さんはそう言いながら、修一のことをじろじろと見ている。修一は一抹の居心地の悪さを感じた。

「えっと、『女性自身』ですよね。どうぞ。」

 結花は慣れた手付きで、棚から女性向けの週刊誌を取り出すと、木下さんに手渡した。

「いつもありがとう。」

 木下さんは礼を言うと、レジの方へ歩いていく。

「河瀬さん、レジやってみましょうか。」

「は、はい!」

 修一は慌ててレジに入ると、木下さんから週刊誌を受け取り、裏表紙の値段を見た。

 書籍とは違い、雑誌は税抜きと税込み両方の値段が書いてあるので、間違えないようにしなければならない。

「木下さん、河瀬さんはこれが初レジ打ちなので、すみませんけどお願いします。」

「いいわよ。」

 すぐに結花もレジに入ってきて、修一の横に付き、木下さんに一言添えた。

 修一は慎重に金額を打ち込み、小計ボタンを押す。

「480円、頂戴致します。」

「じゃあ、これで。」

 木下さんは500円玉を出してきた。

「500円、お預かりします。」

 修一は500と打ち、現計ボタンを押す。

 すると、ガシャンという音と共にドロアが飛び出した。木下さんからもらった500円玉をドロアに入れると、表示を確認して、十円玉を2枚取り出す。

「20円のおかえ―」

「あっ、河瀬さん!レシート忘れてます。」

「す、すみません!」

 修一は慌ててレシートを掴み、先ほどの20円と共に差し出した。

「20円のお返し、です。」

 すると、木下さんはにっこりと笑い、お釣りとレシートを受け取った。

「はい、ありがとうね。」

「ありがとうございます!」

 修一は頭を下げた。

「レジの練習台になって頂いて、すみませんでした。」

 結花がそう言うと、木下さんは首を横に振った。

「いーえ、いいのよ別に。それより、よかったわね、結花ちゃん。」

「そうですね。」

 結花は何か意味深な笑みを返した。

 何がよかったのか、修一にはその意味がわからなかった。


 初のレジ打ちは想像以上に緊張した。

 ほんの一分ほどの時間だったのに、全身冷や汗でびっしょりだった。

「お疲れ様です。」

 結花がそう言うと、修一は額に滲んだ汗を拭った。

「ありがとうございます。レジがこんなに緊張するとは思っていませんでした。」

「まぁ、最初だけです。すぐに慣れますから。」

 結花は気軽に言った。

 その後、しばらく修一がレジを打ち、結花が横に付いていたが、5、6回やると、確かに慣れてきた。10回目くらいになると、もう結花が横に付かなくても大丈夫なった。

 その間、結花は入荷した本を全て入れ終え、今度は棚から抜いた本をスキャナーのようなもので、ピッピッとやり始めた。

「それは何の作業ですか?」

 客が途切れたタイミングで修一が尋ねた。

「これは返本作業です。他の小売と違って、基本的には本は全て出版社に返品出来るので、売れなかったり、販売期限がきた雑誌をこうして返本するんですよ。岩波書店みたいに、一部例外はありますけどね。」

 どうやら、このスキャナーでバーコードを読み込んで、段ボール箱に詰めるらしい。段ボール箱がいっぱいになると、ガムテープで封をして、ビニール紐で手早く縛っていく。

「凄いですね……」

 本には当然色々な大きさがあり、基本的には段ボールにぴったりとは嵌らない。だが、結花はパズルのように大きさの違う本を組み合わせ、隙間なく詰めていく。しかも、相当手早く。

「これも、慣れればできるようになりますよ。」

「そう、ですかねぇ……」

 修一には、やはり魔法にしか見えなかった。


 昼になり、昼食はバックルームで交代して摂ることとなった。

 今まで結花は、客が途切れたタイミングでバックルームに入り、昼食を摂っていたそうだ。

「でも、食べてる最中にお客様が来たりして、食事を中断することが度々でした。だから、河瀬さんに来て頂いて、本当に助かります。」

 結花は嬉しそうにそう言った。

 昼休憩は先に修一がいただき、出勤途中に買ってきたコンビニ弁当を食べた。

 交代で結花がバックルームに入ると、嬉しそうにカップラーメンを取り出してきた。

「昼ごはん、それでいいんですか?」

 修一が尋ねると、結花は嬉しそうにうんうんと頷いた。

「一人だと、お客様が来たら、麺がのびちゃうんですよ。だから、昼に麵系は今まで食べられなかったんです。」

 どうやら、念願叶ってのカップラーメンらしい。

 些細なことだが、少しでも自分の存在が助けになったならいいかと、修一は思った。


 午後はひたすら、接客とレジ、棚整理だった。

 修一はレジに慣れると共に、とりあえず棚の配置と、本のジャンル分けを覚えるよう努めた。最難関は漫画で、店内で最も多くの棚を支配しており、種類も多い。おまけに、漫画をほぼ読まない修一には、どれが売れ筋かわからない。で、客からの問い合わせも一番多いときた。

「これは、気合入れて覚えないと、厳しいな。」

「漫画のタイトルを、そんなに気合入れて覚えようとする人、初めて見ましたけどね。」

 漫画の背表紙と睨めっこしている修一を見て、事務作業をしていた結花は可笑しそうに笑った。


 そうして、時間は瞬く間に過ぎていき、閉店時間となった。

「じゃあ、そろそろ閉店作業に入りましょうか。」

 結花の掛け声で、二人は閉店作業を始めた。

 基本的に閉店作業は、開店作業の逆回しで、外に出した絵本棟を片付け、シャッターを閉めて、内側から鍵をかける。

「お疲れ様でした。」

「お疲れ様です……」

 結花はまだまだ元気だったが、修一は心底疲れ切っていた。

 瞬く間に時間は過ぎたのに、妙に長い一日だった。

「大丈夫ですか?結構、がんばって動いてくれていましたけど。」

「は、はい、なんとか。」

 本当になんとか、だった。

「でも、河瀬さん、仕事の覚えが早くて助かります。すぐに私は必要なくなっちゃうかも。」

「いえ、向こう十年は御船さんが必要です。」

「十年はいてくれるんですね。」

 結花は微笑んだ。

「いや、言葉の綾ですよ。」

「じゃあ、すぐ辞めちゃうんですか?」

 また、上目遣いで見てきた。

 どうにも、この表情には弱い。

「そ、そうじゃありませんよ。クロと一緒で、ここ以外に俺の居場所はありませんし。」

「そうですか。じゃあ、明日も宜しくお願いします。」

 結花は嬉しそうに笑った。


「ただいまー……」

 家に帰ると、クロのお出迎えがなかった。

「あれ?クロ?」

 修一がリビングに入ると、お気に入りの座布団の上で、クロは丸まっていた。

 こちらに背を向けて。

「クロー?どうしたー?」

 修一が触ろうとすると、

「にゃ!!」

 クロは急に威嚇してきた。

 みるからに不機嫌だ。

「えー……どうしたんだよぉ……」

 修一は再びクロに触ろうとしたが、やはり威嚇してきて、触らせてくれない。

「どーしたもんかなぁ……」

 長時間放置されたのが、嫌だったのだろうか。

 よくわからなかったが、このままだと、どうにも居心地が悪いので、先にクロの餌を用意した。

「ほら、ご飯だぞ。」

 相変わらず、不機嫌そうだが、餌は食べに来てくれた。

 その後、修一は自分の夕食を食べながら、ちょいちょい構ってやると、次第に機嫌が直ってきて、呼びかけには応じるようになり、寝る間際になると、膝の上に乗ってくるまでに関係修復ができた。

「……猫のご機嫌取りって、こんなに大変なのか。」

 修一は溜息混じりつぶやき、クロの頭を撫でてやった。


 本当に長い一日だった。

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