Episode:泥棒猫25
原案:クズハ 見守り:蒼風 雨静 文;碧 銀魚
お茶会が四人体制になってから10日ほど経った頃であった。
その日の朝、クロはいつものように盗みを働き、逃げる途中に塀を駆け上がった。
だが、その塀を登り切ろうとした、その時だった。
塀の天辺から、足を踏み外した。
「あっ!?」
クロは咄嗟に腕で塀にしがみついたが、その拍子に左腕の肘を強かに打ち付けた。
「くっ……」
腕に走る激痛に耐え、クロはそのまま塀の上を駆け出した。
幸い、相手が鈍足だったおかげで、逃げ切ることはできた。
「これは派手に……」
青紫色になった左肘を見ながら、感心していたのはウェスタームだった。予想以上に内出血がひどいので、一応、診てもらいにきたのだ。
しばらく観察していたウェスタームだったが、不意に患部の左肘をグッと掴んだ。
「いってー!」
クロが絶叫して悶えるが、ウェスタームはまったく意に介さず、肘を曲げたり伸ばしたりしている。これがウェスタームの診察スタイルで、患者が泣こうが喚こうが、構わず診察を続けるのである。
だから、クロは子供の頃からウェスタームに診察されるのが、大嫌いだった。
「う~む、大丈夫。派手に内出血はしているが、骨には異常がなさそうだ。数日放っておけば、治るよ。」
ウェスタームは平然とそう言って、手を差し出してきた。
「じゃあ、お代。」
「うえるせぇ!」
クロは涙目になりながら叫んだ。
塒に帰ると、キノばあさんが訪ねてきた。
「ケガしたんだって?大丈夫かい?」
寝転んでいたクロは、だるそうに左腕を見せた。
「骨には異常がないから、何日か放っておけだってさ。」
「痛そうだねぇ……どうしたんだい?」
「逃げる途中に、塀を登ろうとして足を踏み外したんだよ。」
「へぇ、あんたがそんなヘマするなんて、珍しいね。」
キノばあさんはそう言って、急にクロのことをじろじろ見始めた。
「何だよ?」
クロが不機嫌そうに言った瞬間だった。
キノばあさんの手がスッと伸び、クロの横腹の肉をつまんだ。
「いった!何すんだよ!」
慌ててクロがその手を払いのけた。
「あんた、少し肥えたね。」
「はぁ!?」
キノばあさんに言われて、クロは思わず叫び返した。
「まぁ、あんたくらいの年頃になると、肉が付きやすくなるもんさ。ただ、体重が増えてるから、今までと動き回る感覚が変わってきてるんだよ。気を付けな。」
キノばあさんはそれだけ言って、クロの塒から出ていった。
その日の午後、お茶会に出たクロは紅茶を啜るばかりで、お菓子に手を付けようとしなかった。
「今日のお菓子は、口に合いませんでしたか?」
ビアがそれに気づき、話の途中で尋ねた。今日のメンバーはビアとリアとクロの三人だ。
「そうじゃねぇよ。」
クロは不貞腐れたように言った。
「じゃあどうしたの……あっ、まさか太ったの?」
こういう時はリアの勘が妙に鋭い。
「うるせぇ。」
クロは頑として答えない。
「言われてみれば、初めて会った時より、ふっくらした気はするわね。ここのお菓子がいい栄養になったかしら?」
リアが完全に面白がっている。
クロは増々不機嫌になっていく。
「だから、うるせぇ。」
「まぁまぁ。でも、そんなに気にするほどでもないと思いますよ。むしろ、今までが痩せ過ぎだったくらいです。今くらいのほうが、健康的ですよ。」
ビアがフォローを入れたが、クロにとっては見た目の話ではないのだ。
クロは左腕の袖を捲ると、青紫色になった肘を見せた。
「うわっ!痛そう!どうしたのそれ!?」
リアが思い切り引いている。
「今朝、塀を登る時に足を踏み外してぶつけたんだ。体重が急に増えたから、体感が狂った。」
クロの言葉を聞いて、からかっていたリアが急に静かになった。
ビアも少し険しい表情になっている。
「すみません。私達の感覚で余計なことを言いました。」
ビアやリアからすると、体重の増減は見た目や美容、健康くらいにしか直結していなかった。だが、クロのような生活をしている者は、こんなことでも命に直結するのだ。
「別にいい。今の状況が恵まれすぎてる証拠だ。」
クロはそう言うと、ようやくお菓子に手を付けた。
「しかし、今後はどうしましょうか?」
ビアが心配そうに尋ねてきたが、クロは首を横に振った。
「別に。今の体重で感覚を調整したから、問題はねぇよ。ただ、急激に体重が増えたり減ったりしないようにだけ気を付ければ、それでいい。」
クロは痛々しい左腕を袖で覆うと、お菓子を飲み込んだ。
本当に恵まれている……クロはそう思った。
貧民街で産まれ、盗みを繰り返す自分のような存在が、昼下がりにこうして同年代の女子やリーンと、お茶を囲んで談笑している。
話の内容は殆どがくだらないものだが、そんなくだらない話に何時間も費やせるなんて、なんという贅沢だろう。生きることに必死だったクロには、想像もつかなかったことだ。
これから、リーンとビアが結婚し、ビアの宣言通り貧民街がなくなれば、この四人を巡る環境は変わっていくだろう。
「まぁ、どんな状況になっても、こんなお茶会は続けられたらいいな。」
クロはポソリとつぶやいた。
「そうですね。」
「そうね。」
二人とも、そこは同意だったようである。




