Episode:泥棒猫10
原案:クズハ 見守り:蒼風 雨静 文;碧 銀魚
二日後。
いつもとは違い、まだ夜明けから間もない早朝のガゼボにクロとリーンの姿があった。
クロはいつも通りの黒装束だが、リーンはいつもとは違い、質素な服を着ている。帽子も目深に被り、一見すると顔見知りでもリーンだと気付かないようないで立ちだ。
「じゃあ、この前話した手筈でいくぞ。」
「わかった。」
若干ダルそうなクロに対し、リーンはウキウキだ。
周りに人がいないのを確認すると、二人は城の北側の城壁へ向かった。
クロが壁の前に置いてある岩をどけると、ぽっかりとあいた穴が出現した。
「こんなところから出入りしてたのか。」
リーンが感心して言った。岩が置いてあった周りは茂みになっており、そもそも偽装の岩自体が城や庭からは見えないようになっている。
「絶対に言うなよ。それと、ちょっと待て。」
クロはそう言うと、おもむろに来ている黒装束を脱ぎ始めた。
「ちょ!クロ!何っ!?」
リーンは大慌てで叫んだが、クロはうざったそうな顔をしただけだ。
「何騒いでるんだよ。この格好だと、街を歩いてたら逆に不審だろ。着替えるだけだから、待てって言ってんだ。」
「いや、その、丸見えだって!」
「見たくないなら、あっち向いてろ。」
「いや、見たくないわけじゃなくて……いや!そういう意味でもなくて!」
「いつまで騒いでるんだよ。終わったからいくぞ。」
クロの着替えは一瞬だった。
見れば、クロは淡いピンク色の花柄の上着になっており、フードも外して素顔を晒している。その見た目は、普通の町娘のようである。
「クロのそんな姿、初めてみたなぁ……」
リーンが呆然とつぶやいた。
「あ?これ?おまえのことを伏せて、街に出るって言ったら、キノばあさんがはりきって用意してくれたんだよ。何なんだろうな。」
クロは怪訝そうしながら、穴から外に出た。
早朝とはいえ、城の外は既に活気づいていた。
大通りに面した店は開店の準備をしており、多くの働いていると思しき人々が、通りを行き来している。
「こんな時間から、みんな働いているのか……!」
リーンが素直に驚いている。
「おい、あんまり大きな声で世間知らずなコメントするな。怪しまれる。」
クロが小声でリーンを諫めた。小声でも聞こえるよう、自然と二人の距離が近くなる。
「ク、クロ。そんなにくっつかなくても。」
「だから、この距離じゃないと、小声で会話できないだろうが。あと、近くにいないと、万が一の時に対応できない。」
クロは殆ど唇を動かさずに言った。
「わ、わかったよ。」
リーンは頷きはしたものの、年頃の女の子が、肩が触れ合うほどの距離にいるというのは、どうにも落ち着かない。
「じゃあ、このまま大通りを進むぞ。」
クロの先導で、二人は連れ立って歩き始める。
その様は、事情を知らない者から見れば、若いカップルがデートでもしているようにしか見えない。
だが。
「クロ、商店ってこんなにたくさん種類があるのか。」
「ああ。あれは魚屋、あれは肉屋。あっちは服屋で、そっちは食い物屋だ。」
「え?魚屋とか肉屋と食べ物屋って別なの?」
「魚屋とか肉屋とか八百屋は、食材をそのまま売ってるんだよ。食い物屋は、入れば料理して出してくれるんだ。その分、たくさん金をとられるけどな。」
「なるほど。あの人は何してるの?」
「あれは、今から開く魚屋に魚を運んでるんだよ。多分、漁師だろ。」
「魚屋と漁師は別なのか?」
「ああ。漁師は海に出て、魚をとってくるのが仕事。それを店で売るのが魚屋。それぞれが連携はしているけど、生計は別で立ててるんだよ。」
「じゃあ、あの肉屋で肉を運び込んでいる人も、猟に行って肉をとってきてるのか?」
「昔はそうだったけど、今は牧畜っていって、牛とか豚を育てて肉にしてるんだ。」
「えっ?育てて、殺しちゃうの?可哀そうじゃない?」
「そのおかげで、おまえら城の人間も毎日肉を食えてるんだよ。ただ、牧畜には適した土地ってのが必要で、その殆どがヴェサルにあるから、この国は食料面では厳しいんだよ。周り見ればわかるけど、肉屋は殆どなくて、魚屋ばっかりだろ。」
「確かに……俺達が肉を食べてるのって、当たり前だと思ってた。」
「まぁ、そういう土地が欲しいってのも、ヴェサルに戦争しかけた理由の一つらしいからな。」
「そうか……あっ、あれは何をしてるの?」
「ああ、あれは娼か……いや、ていうかおまえ、本当に世間知らずだな!」
「ええっ?」
交わされている会話は教師と生徒のようで、およそカップルに似つかわしいものではなかった。
その後、大通りをゆっくり進みながら、クロの街解説が続いた。
リーンの質問は止まる気配がなく、日が完全に昇りきる頃には、クロのほうがすっかり参ってしまっていた。
「それじゃあさ……」
「ちょっと、ストップ。」
クロが立ち止まり、道の端に寄って座り込んでしまった。
「クロ、大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇよ。もう何時間も喋らされっ放しで、喉がガラガラだよ。あたしはこんなに長時間人と話すような生活してねぇんだ。」
普段、独りでいることが殆どなので、基本的にクロは誰かと話すこと自体が少ないのだ。
「ああ、ごめん。つい楽しくて。」
リーンは心底申し訳なさそうにしている。そんな顔をされると、こちらの罪悪感が煽られるから、厄介この上ない。
「ちょっと休憩すれば、大丈夫だよ。でも、何か飲み物はほしいな。」
クロがそう言うと、リーンが辺りを見回した。
「あっ、じゃあ、あそこに入らない?あれも食べ物屋の一種でしょ?」
リーンが指さしたのは、カフェだった。
「ああ、お茶するにはよさそうだな。よく見つけたな。」
「他の食べ物屋と違って、店内にグラスが多いし、紅茶の茶葉や珈琲の豆が多く置かれてるみたいだからね。そういう、飲み物メインなのかなと思ってさ。」
「おまえ、世間知らずのくせに、そういう学はあるよな。」
クロは若干感心しながらつぶやいた。
リーンに促されて、カフェに入ると、二人は窓際の席に座った。
間もなく紅茶が運ばれてきて、二人はそれに口をつける。
「……やっぱり、城の紅茶ほどの風味がよくないな。」
クロが開口一番つぶやいた。
「茶葉にもやっぱり質の違いがあるんだな。」
リーンのほうは真剣に紅茶を見つめている。
「あたしは逆に、こういう店に入ることがないから、こんなもんの風味や味なんてわかんないはずだったけどな。数奇なもんだ。」
「そうだね。というか、王族が美味しいものを独占する道理はない。うまく、大衆にも流通できるようにしたほうがいいよね。」
「それでも、あたしら貧民街の人間には無縁だけどな。」
クロはそう言って、もう一口紅茶を啜った。
「ところで、あたしは金とか持ってないが、この紅茶代はどうするんだ?」
ふと、クロは思い出したかのように言った。こういう店に入ることがなさ過ぎて、失念していたのだ。
「大丈夫、大金じゃないけど、持ってきたから。今日は俺のわがままで付き合ってもらってるから、ちゃんと俺が出すよ。」
リーンはニコリと微笑んだ。
こういうスマートな振る舞いは、流石王族だ。
「じゃあ、遠慮なく。」
クロがそう言って、紅茶を飲み干した、その時だった。
「きゃぁ!」
突如、外から女性の悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ!?」
リーンが慌てて窓の外を見た。
だが、対してクロはのんびり座ったままだ。
「引ったくりだろ。たまにあるんだよ。っていうか、あたしも普段やってるし。」
外の通りで、若い女性が一人倒れ込んでいた。
どうやら、持っていたカバンか何かを盗られたらしく、その衝撃で転んだようだ。
「助けなきゃ!」
リーンがそのまま外に出ようとしたので、クロが慌てて止めた。
「待て!食い物屋は、金を払わないと出ちゃダメなんだよ!おまえ、無銭飲食で捕まる気か!」
「えっ、そうなの?」
「あたしが見てくるから、おまえは先に金払え!」
クロは仕方なく女性の介抱へ向かった。
幸い、女性に大きなケガはなかったが、盗られたカバンには所持金だけでなく、亡くなった父親の形見の品などが入っていたらしい。
「それは災難だったな。」
事情を聴いたクロはさらっとそう言っただけだったが、リーンはそうはいかなかった。
「何を言ってるんだ!取り返さなきゃ!」
「おまえこそ何言ってるんだ。あたしはいつも、やってるほうだっての。」
クロが呆れて言ったが、リーンは引かない。
「だったら、犯人が逃げそうな場所とか、わからないか?姿は見たんだろ?」
「まぁ、見たけど……」
というか、知っている貧民だ。顔見知り程度だが。
「クロ、人助けだと思って、頼む!俺は見過ごせないよ!」
リーンがあまりにしつこく懇願してくるので、クロは溜息をついた。
「あたしらの界隈では、まぁまぁルール違反なんだけどなぁ……」
「クロ、ありがとう。」
リーンが先に礼を捻じ込んでくる。
「わかったよ。おいあんた、ここで少し待ってろ。」
クロはリーンと女性にそう言い残し、路地裏へ走った。
リーンが言った通り、この場所で盗みを働いた場合の逃走経路のパターンは、熟知している。大通りから入り組んだ路地裏に入り込み、憲兵などが寄り付かない、街中央の貧民街に逃げ込むのが王道だ。
クロはその貧民街まで素早く来ると、一瞬で目的の男を見つけた。
男はちょうどカバンを開けようとしているところだった。
「すまんな。」
クロはそれだけ男に声をかけると、素早くカバンを掠め取った。
「なっ!?」
男は仰天したが、その隙にクロはもう駆け出している。
慌てて追おうとした時には、既にクロは路地裏の曲がり角の先に消えており、貧民の男には追う術はなかった。
クロは大通りに出ると、先程のカフェの前に戻ってきた。
「ほらよ。これで間違いないか?」
クロが女性にカバンを渡すと、女性は中身を確認し、無事とわかって泣き始めた。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
「礼なら、そこのお坊ちゃんに言いな。あたし一人だったら、スルーして終わりだった。」
クロがそう言うと、女性はリーンのほうにも頭を下げて礼を言い続けた。
「当然のことをしたまでです。頭を上げてください。」
リーンは紳士然と対応していた。
それからは大したトラブルもなく、街の散策が再開された。
相変わらず、リーンの質問攻めは続き、クロはわかる範囲でそれを解説し続けた。
そうこうしているうちに日が暮れ始めた。
「そろそろ城に戻らないとやばいんじゃないか?」
夕日を眺めながら、クロがそう言った。当然、城の人間にバレるとまずいので、適当に誤魔化してきているらしい。
「そうだなぁ、流石に日中姿を見せなくても誰も何も言われないけど、暗くなってから見当たらないとなると、騒ぎになるかもなぁ。」
「おまえ、本当に影が薄い皇太子なんだな。」
クロがさらっと毒を吐く。
「名残惜しいけど、今日はこれで帰るとしようか。また、こうして一緒に散歩したいね。」
リーンは爽やかな笑顔で言ったが、クロは露骨に嫌そうな顔をした。
「冗談言うなよ。こっちはおまえになんかあったらいけないから、ずっとヒヤヒヤしてて、気疲れしたっての。おまけに、質問攻めでずっと喋らされるし、引ったくりは追いかけさせられるし、もうクタクタだっての!」
実際、クロにとってはかなりハードの一日だった。
「ごめんて。次はもうちょっと気を付けるからさ。でも、クロとしても、貴重な体験だったでしょ?」
「たった一人で皇太子の護衛なんてのは、確かに貴重だな。」
クロが嫌味を言うと、リーンは首を横に振った。
「そうじゃなくてさ。こういう長閑で普通な一日を過ごすことなんて、普段はないでしょ?」
「引ったくりを追いかけるのが、長閑で普通だとは知らなかったな。」
再びクロが嫌味で返す。
「それはだから、ごめんて。でも、街の人々は、休日はこうして散策したり、食事したりして、ゆっくり過ごすものなんでしょ?俺もそんな休日は過ごしたことがないし、クロもないと思ったんだ。」
「まぁ、生活のベクトルは正反対だけどな。」
未だにふてているクロに、リーンは優しく微笑んだ。
「だから、クロと普通の一日を過ごしてみたかったんだ。」
「……」
思わず、クロは言葉を失った。
「そうしたら、凄く楽しかった。だから、また一緒に休日を過ごそう。」
リーンの言葉に、クロはしばらく呆然としていたが、やがて大袈裟に溜息をついた。
「……ごくたまになら、いいぞ。でも、それ以外は城内の茶会で勘弁してくれ。」
「ありがとう!」
リーンは子供のようにはしゃぎだした。
その様子を見て、クロは自分の甘さに、ちょっとだけ嫌気がさした。
そして、これだけハードだったのに、自分もまたリーンと一緒に休日を過ごしたいと思っていることには、物凄く嫌気がさしていた。
城壁の穴の前に来ると、クロは岩をどかし、リーンを中に通した。
「じゃあ、クロ。また明後日にでもガゼボでお茶会しよう。今日、聞けなかったことがまだたくさんあるから。」
「あれだけ質問攻めして、まだ訊き足りないのかよ。」
クロが呆れて言い返すと、リーンからまた「ごめんて」という言葉と笑顔が返ってきた。
「じゃあね。」
「ああ。また明後日。」
クロはリーンが茂みから出たのを確認すると、外に出て岩で穴を塞いだ。
「……」
そのまま、クロはしばらく立ち尽くした。
なんだか、得も言われぬ寂しさが、彼女の足を動かさなかった。
『だから、クロと普通の一日を過ごしてみたかったんだ。』
『そうしたら、凄く楽しかった。だから、また一緒に休日を過ごそう。』
クロはふと、城壁の反対側にある民家の窓を見た。
薄暗くなってきた中で佇む、まるで普通の町娘のような女の子が、そこには映っていた。そこに、シービングキャットと恐れられている、盗人の面影は何もない。
「もし、普通に人として産まれたら、こんな未来もあったのかな……あたしにも、あいつにも。」
クロは皮肉っぽく、でもどこか寂し気につぶやいた。
そして、そんな考えを振り払うかのように、動かない足を無理やり動かし、その場を後にした。




