Erpsode:泥棒猫4
原案:クズハ 見守り:蒼風 雨静 文;碧 銀魚
「で、あたしは何を喋ればいいんだ?」
彼女はいかにもうんざりした風に言った。
現在、彼女はガゼボの中のベンチで、リーンと向かい合って座っている。結局、リーンの執拗な誘いを断り切れなかったのだ。
「そうだなぁ、とりあえず君の名前を聞かせてもらいたいな。」
リーンはニコニコ顔で尋ねた。
「ない。」
彼女はぶっきらぼうに言い切った。
「えっ?別に名前を隠す必要はないよ?シービングキャットだと、長ったらしく呼びにくいから、どう呼べばいいかってだけだから。」
「別に隠してない。本当に名前はないんだ。」
「そうなの!?」
リーンは素で驚いている。
「別に貧困街では珍しいことじゃないぞ。」
「そうなのか……名前すら……」
何か深刻な表情でリーンはつぶやき続けている。
余程衝撃だったらしい。
「呼び方の問題だけだったら、適当に呼び名をつけていいぞ。あたしらはそうやって呼び合ってるし。」
そう言うと、リーンはまた驚愕した。
「えっ?俺がつけていいの?」
「別に構わない。」
リーンが腕を組んで考え始める。
「名前、名前……えっ、名前ってどうやってつければいいんだ?」
「適当でいいって。」
「猫、子猫、小さい、いや、これはその内、大きくなるか……う~ん……」
そのまま悩むこと暫し。
「……クロ、とかでいい?」
途轍もなく安直な名前が出てきた。
「まぁ、別にいいけど。」
呼び名など、何でもよかったが、そのネーミングセンスはどうかと思った。
「じゃあ、クロ。君はどこでその身軽さや技術を手に入れたんだ?」
お喋りというよりは、リーンの尋問のような体になってきた。
「別に、どこかで鍛えたとか、誰かに教わったわけじゃない。気が付いたらできるようになってたし、あたしからすれば、何で他の人間達が、あんなに愚鈍にしか動けないかがわからない。」
「う~ん……天賦の才ってやつか。リアが言ってた、人間は生まれも能力も平等じゃないってやつだなぁ。」
「人間が平等じゃないなんて、おまえとあたしの身分の差を見れば、一目瞭然だろ。」
クロは冷たく言い放った。
だが、リーンはその口調を気にした風はない。
「そうだよね。身分が高い家に生まれれば、努力をしなくても楽に生きていけて、貧しい家に生まれれば、どんなに努力しても、クロのように何かの才能があっても、厳しい人生しかない。それはおかしいよね、やっぱり。」
この皇太子は、大真面目にそんなことを言っている。
クロは他の国の皇太子など見たことはなかったが、多分こんなことを言って呻いているのは、リーンくらいだろうと思った。
「そう思うんだったら、あたしが盗みなんてしなくてもいいようにしてくれよ、皇太子様。別にあたしも好き好んでシービングキャットなんて呼ばれてるわけじゃないんだから。」
「そうしたいのは山々だけど、この国の皇太子って、国王になるまでは何の権力もないんだよ。父上はまだまだ健在だしね。」
「じゃあ、毒でも盛って、おまえが国王になれよ。」
クロがさらっと物騒なこと言う。
「いやいやいや!実の父親だよ?そんなことできないよ。それに……」
「それに?」
「今、俺が国王になったところで、どういう政策をすれば、それを実現できるかがわからない。リアなら、うまくやれるかもしれないけど……」
リーンは悔しそうに言った。
その表情を見る限り、リーンは無力な自分を本気で歯痒く思っているらしい。
「おまえ、変わってるな。」
クロがぽそりとつぶやいた。
「変わってる?何が?」
「王族とか貴族とかって、自分達が肥え太る為だけに、政治とかやってるもんだと思ってた。だから、あたしら下々の者はその割を喰って、こんな生活を強いられてるってね。」
「まぁ、現状否定はできないな。」
「だったら、やっぱりおまえは変わり者だよ。そんな奴らの中で、あたしらのことを考えるなんてさ。」
クロの言っていることは、貧民街……延いては民衆の代弁だった。
「俺、一応皇太子だから、帝王学とか政治の勉強とかをさせられてるんだけどさ、その教科書には『王は民のことを考え、政治をしなければならない』的なことが、散々書かれてるんだよ。父上も、他の貴族も、そういうのを学んでるはずなんだけど……」
「やってみたら、実際は違ったってことじゃないの?いろんな事情で思うようにできないのか、目の前の富に目が眩んだのか、知らないけど。」
「そうなのかなぁ……」
この辺の事情は、むしろクロにはわからないが、傍から国政を見ていると、そんな感じはする。
「まぁ、おまえが民衆のことをどうにかしたいと思うなら、せいぜい頑張って、あたしらの生活を楽にしてくれ。そうしたら、盗みなんてやめてやるから。」
クロはそう言って立ち上がった。
「えっ?もう帰っちゃうの?」
リーンが慌てて止めようとするが、クロは構わずガゼボを出た。
「あたしは用があるんだよ。そんなに長居できないんだ。」
「えー?もっと訊きたいことがあったのに……」
「知るか。」
クロの態度はつれない。
「じゃあ、また明日、この時間にここに来てよ。続きを話そう。」
「はぁ?何言ってんのおまえ?」
クロはあからさまに嫌そうにしたが、リーンはへこたれない。
「来てくれないと、城壁の整備を頼んじゃうぞ。」
「だったら、あたしはおまえの従妹を売るぞ?」
「残念ながら、君がリアを売る為には、城内に入る必要がある。つまり、城壁を整備したら、君はそのカードを使うことはできないわけだ。城の外で吹聴したところで、誰も取り合わないだろ?」
クロは「チッ」と舌打ちした。
この城内を通れなくなると、北と南の貧困街の行き来が、かなり面倒になる。下手をすれば、クロが食料を届けている何人かが餓死する、なんとことも考えられるのだ。
「……わかったよ。明日のこの時間に、ここに来ればいいんだろ?」
「うん。ありがとう。」
リーンが礼を言うと同時に、クロは茂みに飛びこみ、そのまま姿を晦ました。
「やっぱり猫みたいだなぁ。」
その様をリーンは感心しながら見送っていた。
クロはようやく城内から脱出し、歩き慣れた路地裏で、一服ついた。
最初は肝を冷やしたが、事態は思わぬ方向へ向かい、明日もあそこに出向かなければならなくなった。
「何なんだ、あの皇太子は……」
クロは溜息をつきながら、空を見上げた。
戸惑いはしたが、あんなにのんびりとお喋りをしたのは生まれて初めてだった。
ほんの少しだが、それを楽しかったと感じた自分と……ほんの少しだが、明日またあそこでお喋りできることが楽しみになっている自分が、妙に忌々しかった。




