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街の本屋の泥棒猫  作者: 蒼碧
Side:人
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Side:人4

原案:クズハ  見守り:蒼風 雨静  文;碧 銀魚

 翌朝、やはりトイレの猫砂は触った形跡があったものの、おしっこは昨日と同じ場所にしてあった。

 修一は、結花に習った方法で処理すると、砂をまた別の種類のものに変えてみた。

 とりあえず、トイレトレーニング自体は必要とのことらしく、その辺の床の匂いを嗅ぐ仕草をしたら、トイレの中に連れていく、ということを繰り返すらしい。

「とりあえず、今日から色々やってみるぞ。」

 修一が言うと、クロはくるりとこちらを向き、徐に近寄ってきた。

 横まで来ると、前足をぽんと、修一の足に置いてきた。

「ん?どうした?」

 修一は机の上に置いてあった、『はじめての猫の飼い方』を手に取ると、今の行為の意味を調べる。

「えっと……これは、膝に乗っていい?……なのか。」

 どうやら、軽い催促行動らしい。

 修一は胡坐をかく形にすると、クロはその上にちょこんと乗ってきた。

 そのまま、膝の上で器用に丸くなる。

「うわっ、あったけぇ……」

 クロを膝に乗せたまま、『はじめての猫の飼い方』で調べてみると、猫の体温は人間より少し高いらしい。一説には、母親の子宮の中と同じくらいの体温なので、人間にとっては心地いいのだとか。

「これは、確かに猫に癒されるっていう人が多いのも頷けるなぁ。」

 あったかいし、かわいいし、凄く満たされた気持ちになった。


 その日は、餌の与え方を試行錯誤したり、トイレトレーニングをしたりの一日だった。

 御船書房で買った『はじめての猫の飼い方』を何度も読み返し、クロが何か行動をすれば、注意深く観察し、必要な処置をする。

 そうして、ようやく猫の動きのペースというか、癖のようなものがわかってきた。

「おまえらは、結構、癖強な生活パターンしてるんだな。」

 どうも基本は寝ていて、突発的に起き上がっては、甘えてきたり、食事をしたり、トイレに行ったりする。猫の語源が『寝子』であるいわれることや、気紛れの代名詞に使われるのがよく理解できる。

 夕方になると、遊び疲れたのか、気疲れしたのか、クロが本格的に眠そうにし始めた。

「……しばらく、静かにするか。」

 修一は、晩御飯を買いに行きがてら、御船書房へ向かうことにした。

 昨日の代金を返さねばならない。

「しばらく出かけるから、ゆっくり寝てな。」

「みゃー……」

 クロは座布団の上から、生返事を寄越した。


 ATMに寄ってから、御船書房へ行くと、昨日と同じく結花が店番をしていた。

「あっ、河瀬さん。いらっしゃい。」

「御船さん、昨日はどうも……」

 修一は滑稽なほど低姿勢で店に入った。

 店内に他に客はいないようだった。

「あれからクロちゃん、どうですか?」

「はい、餌はちゃんと食べるし、水も飲みます。今朝、初めて膝の上に乗ってきました。すごく暖かかったです。」

「あー、わかります。あれは極楽の一種ですよね。」

「でも、トイレはまだうまくいってませんね。今日、何度かトイレトレーニングしてみたのですが……」

「まぁ、一日や二日では流石に難しいと思いますよ。数週間とか、一か月くらいはかかると思った方がいいです。」

「そうみたいですね。昨日買った本にも書いてありました。根気強くやってみます。」

 ふと、結花が

「そういえば、クロちゃんって、家に来てから洗ったりしました?」

と、思いついたように尋ねた。

「それが、水は飲むものの、かけられるのは嫌いみたいでして、まだ……」

 本にも、基本的に猫は水嫌いである旨は書かれてあった。

 野良猫の為、洗った方がいいかとも思ったのだが、まだ頭を撫でたり、膝に乗せるのが精いっぱいの修一には、それ以上はできなかったのだ。

「そうですか……じゃあ、今日この後、お邪魔していいですか?」

 結花の提案に、修一はキョトンとなった。

「えっ、はい、別にいいですけど……」

「営業が二十時までなので、それまで待って頂ければ。それとも、先に帰られます?」

 二十時まで、あと十五分ほどだ。

「じゃあ、このまま待たせてもらいます。」

 それからしばらく、修一は猫関係の本を読みながら、時間を潰した。

 閉店作業を待って、結花と連れ立って夕食の弁当を買ってから、修一の家へ向かった。


「みぃーぃ……」

 家へ帰ると、クロがまた、眉間にシワを寄せて出迎えてきた。

「私が来ると、必ずその表情なの?」

 結花が尋ねると、クロはどこか不服そうに、修一の方に寄っていく。

「それじゃあ、クロちゃんをシャワーしますので、お風呂場を借りますね。」

「えっ?」

 修一が訊き返す間もなく、結花は来ていた上着などを脱ぎ始め、あっという間に、タンクトップに短パンという、薄着になってしまった。

 露になった脚やうなじが目に入り、これは何かまずいと思い、修一は慌てて目を逸らした。

「別に気にしないで下さい。夏場だったら、これに近いくらい薄着で外を歩き回っているので。」

 対して、結花はまったく恥ずかし気はなさそうである。

「さて、クロちゃん。嫌かもしれないけど、シャンプーするよ!」

「みぎゃー!」

 何かを察して逃げようとするクロを、結花は手早く掴み、風呂場に連れていく。

 当然、クロは手足をバタつかせて抵抗するが、やはり結花はモノともしない。流石に猫の扱いには慣れているらしい。

「河瀬さん、昨日クロちゃん用のバスタオルも買ってあるので、用意しておいて下さい。洗い終わったら、お渡ししますので、拭いてあげて下さい。」

 結花はそれだけ言い残し、風呂場の中へ入っていった。

 直後に、シャワーの音と共に、断末魔のようなクロの悲鳴が聞こえてきた。

 なんだか、動物虐待でもしている気分だった。


 結花は手早くシャンプーを終えたらしく、五分ほどでクロを手渡してきた。

「み、にぃー……」

 余程怖かったのか、クロは小刻みに震えていた。

 だが、修一がバスタオルで拭いてやると、次第に落ち着いてきたらしい。ある程度拭いてから、ドライヤーで乾かしてあげると、修一の膝の上に乗ってきた。

 そのまま、頑として動かなくなる。

「あら、甘えちゃってますね。」

 自らの体を拭き終わった結花が、風呂場から出てくるなり、クロをからかった。

 それがわかっているのか、いないのか、クロはジトっとした目つきで結花を睨む。

「そうなっちゃうと、しばらく降りないと思うので、お弁当は私が用意しますね。」

 結花はそんなクロの視線を気にすることもなく、服を手早く着ると、弁当を温めたりして、夕食の準備を始めた。

「なんか、すみません。何から何まで……」

「別にいいですよ。クロちゃん、かわいいし。それに、どうせいつもは、店の二階の部屋で、一人でさもしく食べるだけなので。」

「一人なんですか?」

「ええ。」

 その後、夕食を食べながら聞いたところによると、御船書房は店舗兼住宅の二階建てになっているらしく、一階は店舗、二階が結花の住居となっているらしい。以前は父親と二人で暮らしていたが、昨年、父が他界。どうやら、以前に修一が見かけた老齢の男性が、結花の父親だったらしい。

 母親は彼女が幼い頃に離婚。今は再婚して、異父兄弟がいるらしいのだが、殆ど会ったことはないそうだ。そういう経緯だったので、父親が亡くなった時は、今後をどうするかが懸案事項になったらしいのだが、父親が創業した御船書房が好きだった結花は、大学を中退して、店を継ぐことにしたそうだ。

「でも、実際に経営してみるとなると、結構大変で、難しいですね。父がやっていた頃の売上は維持できなくて、最近少し落ち込んでます。」

 現在、店は結花一人で切り盛りしているらしく、基本的に営業時間は彼女が一人で、ずっと店番をしているそうだ。

「そんな、大変な状況とは露知らず、申し訳ありません……」

 修一はそう言うしかなかった。気軽に頼っていい経歴の人ではなかった。

「いえ、気にしないで下さい。独りぼっちで店を経営して、独りぼっちで生活をしていて、ちょっと気が滅入りそうになっていたので。河瀬さんやクロちゃんと、こうしてご一緒できるのは、とても嬉しいです。」

 最近は読書をする人が減ったせいか、結花には大学にも本という趣味を共有できる友人はいなかったそうだ。そのせいで、中退と共に疎遠になってしまい、ここ一年は人と食事をしたこともなかったらしい。

「そういえば、河瀬さんはここで一人暮らしをして、長いのですか?」

 結花が不意に話題を変えてきた。

「えっ、まぁ……それだけ大変な人生を送っている御船さんには、言いにくいのですが……」

 修一はそう前置きをしてから、これまでの平凡な人生と、にも拘わらず、仕事ができなくなった経緯を話した。

 話してみると、なんと甘ったれたことをしているのかと、恥ずかしくなったが。

「そんなに卑下することはありませんよ。何がつらくて、何が楽しいかは、人それぞれ違うものです。河瀬さんにとっては、平凡な会社勤めが、難しいことだっただけです。それは甘えではありませんし、逆に河瀬さんに向いている、他の人にはあまり真似できない、何かがあるかもしれませんよ。」

 三歳も年下の結花に諭され、修一は感心した。

 流石に、本をよく読む人間は、見識の広さが違う。

「そう、ですかね。」

「ええ。当面はクロちゃんの面倒をみて、自分自身を見つめ直してみればいいのではないでしょうか。自分は何が好きで、何が嫌いで、何をしたくて、どうしていきたいのか……」

「それは……」

 結花が言っていることは、物凄く当たり前のことのはずなのに、考えてみると、どれも思いつかなった。

「そっか……俺って、そんな生きていく上で、基礎的なことも、考えたことなかったんだな……」

 ここに来て、自分が突然働けなくなった理由の一端が見えてきた気がした。

「あっ、でも、それって、そんな変なことじゃありませんよ?私が去年までいた大学の同級生にも、そういうことがわかってない人は、たくさんいましたから。」

「そうですか?」

「ええ。むしろ、そういうことが明確に見えている人の方が、珍しいくらいでしたよ。私も何となく大学に通っていて、父の死に際して、強制的に考えざるを得なくなっただけですし。」

「あー、なるほど。」

 修一はそれを聞いて、今まで結花に感じていた違和感の正体が見えた。

 結花は見た目が地味で、如何にも文学少女っぽい、物静かな雰囲気なのだが、実際接してみると、妙に行動力があり、決断も早い。

 この行動力や決断力の正体は、これだったのだ。

「何がなるほどなんですか?」

「いえ、すみません、こちらのことです。」

 若干、失礼な観測が混じっていたので、修一は誤魔化しがてら、膝の上のクロを撫でた。

 こういう時、猫は非常に便利だと思った。


 それから、トイレの状況を確認し、砂を別の種類に変えたりしてから、結花は帰っていった。

「久々に楽しいなぁ……」

 これまで、一人で暮らしてきて、寂しいとか、つらいとか、思ったことはなかった。だから、あえて人との交流を持とうとは思っていなかったが、いざ、交流を持つと、楽しいと感じる自分がいた。

「これもクロのおかげだな。出逢って三日で、凄いなおまえは。」

 そう言って、頭を撫でてあげると、クロは頭をスリスリしてくる。

「んじゃ、そろそろ寝るか。」

 修一がベッドに寝転がると、クロがスススと近寄ってきて、枕元にお座りした。

 そのまま、じっと顔を覗き込んでくる。

「……もしかして、一緒に寝たいの?」

「みゃー」

 修一が掛け布団をめくると、クロは速足で飛び込んできた。そのまま、脇と腕の間に入り込んで、丸くなる。

「布団かけるぞー」

 修一は一言断ってから、布団を戻すと、クロの姿は見えなくなった。

 ただ、猫独特のぬくもりが伝わり、ゴロゴロという喉を鳴らす音だけが聞こえてくる。

「あー……これは、幸せだ……」

 修一はそう呟くと同時に、スッと眠りに落ちていった。


 ちなみに、用意した8579円は、また渡し忘れていた。

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