Side:人41
原案:クズハ 見守り:蒼風 雨静 文;碧 銀魚
診察室から小西が出てきたのは、30分ほど経ってからだった。
「小西先生、クロの容体は?」
修一が食い気味に尋ねた。
「とりあえず、応急処置を施したので、今すぐ命の危険はありません。ただ、容体はよくないですね。」
小西は重々しく告げた。
クロの異常に気付いた後、修一と結花と莉愛は、すぐさま小西動物病院に駆け込んだ。既にその日の診療時間は終了する直前だったのだが、小西はすぐに処置をしてくれたのだ。
「クロちゃん、どうなったんですか?」
結花が不安げに尋ねると、小西は溜息混じりに説明を始めた。
「症状としては、尿毒症です。恐らく、急性腎不全により、尿毒症を起こしたと思われます。」
「急性腎不全?」
小西は頷いた。
「何らかの原因で、腎臓が機能しなくなる病気です。元々、犬や猫は腎臓を病みやすいのですが、本来は年をとってから慢性腎不全という形で発症することが多い。でも、この子はまだ推定3歳ですし、今朝まで元気だったことを考えると、やはり急性だと考えられます。」
「原因は何なんですか?」
修一が尋ねると、小西は首を横に振った。
「現状、わかりません。急性腎不全は本来、外傷で腎臓を傷めたり、毒性物質の誤飲誤食、腫瘍ができてしまったりすると起こることが多いのですが、レントゲンを撮っても、そのような異常は見られませんでした。となると、考えられるのは、先天性のものですね。」
「先天性?」
「生まれつき、腎臓の機能が弱かったということです。半年に一回の健康診断で、腎臓の数値に異常はなかったのですが、先天性の腎機能障害の場合、成長したり、もしくは成長期が終わったりして、初めて症状が現れることがあります。この子の場合、推定3歳ですから、人間で言えば、ちょうど30歳に差し掛かるくらいです。老化が始まるのがこれくらいからなので、それに伴い、一気に腎臓に異常を来したのかもしれません。それがたまたま、今日だったということです。」
小西の説明に、三人は言葉を失った。
状況はかなり厳しいと言わざるを得ない。
「治療法とか、ないのでしょうか?」
結花が尋ねると、小西は軽く頭を抱えるような仕草を見せた。
「人間の腎臓病の場合は、腎移植などの方法がありますが、猫の場合は現実的ではありません。まず、ドナーがいませんから。とりあえず、今の治療を続けて、腎機能が回復するかですが、回復してくれなければ、厳しいですね。」
全てはクロの回復力次第ということだ。
それは、それ以外に、治療法はないことを意味していた。
「クロのこと、宜しくお願いします。」
修一達は小西に頭を下げて、小西病院を後にした。
クロはとりあえず、このまま入院となったのだ。
帰り道、結花と莉愛はずっと泣き続けていた。
修一も励ます言葉は一つも見つからず、ただただ無言で結花の肩を抱いてあげることしかできない。
御船書房に着くと、三人は二階へ上がり、クロがいなくなったリビングで腰を下ろした。
特段、大騒ぎするタイプの猫ではなかったが、それでもいなくなると途端に部屋全体が寂しく感じられるから、不思議なものである。
「明日の営業、どうしようか。」
修一がふとつぶやいた。
時間は既に日付が変わる直前まできている。
「どうしよう……クロちゃんの治療費のこともあるし、二日連続で休むのは、常連さん達にも悪いけど……」
結花はそこで言葉に詰まった。クロのことが心配で、とても仕事をできる状態でないのは明白だった。
すると、莉愛がグッと涙を腕で拭って、口を開いた。
「結花ちゃん、明日は病院が開いたら、すぐに行ってあげて。そのまま、クロ公についててあげて。修一君は店を営業。レジ打ちくらいなら、あたしも手伝うから。」
多分、莉愛もつらいはずなのに、ここでも気丈に言い放った。
こういう時の胆力の強さには、本当に恐れ入るしかない。
「わかった。莉愛ちゃん、ありがとう。」
「すまん、助かる。」
二人は揃って莉愛に頭を下げた。
それから二日間、クロの容体は小康状態が続いた。
二日間とも、結花は小西動物病院に缶詰となり、修一と莉愛も書店の営業が終わると、病院に様子を見に行くという形になった。
だが、入院三日目のことだった。
「これ以上の治療は難しいですね。」
小西は修一達にそう告げた。
腎機能は回復の兆しを見せず、緩やかに容体は悪化を始めたのだ。
「そうですか……」
修一は絞り出すように言った。
結花はその場に泣き崩れ、莉愛がそれを支えている。
「どうか、お二人ともご自分を責めないで下さい。あなた達の飼い方が悪かったわけではありません。言うなれば、これはこの子の寿命です。」
小西は静かにそう言った。
長年の獣医としての経験に裏打ちされた優しさが、そこにはあった。
「クロはあと、どのくらいもつのでしょうか?」
修一が尋ねると、小西は視線を下に落とした。
「ここで治療を続けても、数日です。こちらとしてはそれでも構わないのですが、最期は住み慣れた我が家で迎えさせてあげることを、私はお勧めします。どうにも私は、この子には好かれていないようですからね。」
小西は苦笑いを浮かべた。
初対面で、クロは小西に謎の拒否反応を示されていたが、ここに至っても、小西を嫌がる素振りを見せるらしい。
「すみません、治療してくれている先生に対して、失礼な態度を……」
「いえいえ。獣医は治療の為に痛いことや嫌なことをいっぱいしますからね。この子に限らず、獣医の宿命みたいなものですよ。」
小西はあっけらかんと言った。
「結花さん、どうする?」
修一は泣いている結花に尋ねた。
結花はしばらく黙り込んでいたが……
「帰ろう。一緒に。」
意を決して、そう言った。




