Side:人32
原案:クズハ 見守り:蒼風 雨静 文;碧 銀魚
忘年会の会場はとあるホテルの宴会場だったのだが、結花はそこから最上階のスイートルームに案内されていた。
座ったこともない高給そうなソファに腰かけ、向かいには同じデザインのソファに腰かけた、岡本専務とその息子だと紹介された晋也が座っている。
岡本専務のことは知ってはいるが、挨拶を交わしたことがある程度であり、息子に至っては、記憶にすらなかった。
「あの、それで私はどういう用件で、ここに呼び出されたのでしょうか?」
結花が戸惑い混じりに尋ねると、岡本専務は柔和な笑みを浮かべた。
「突然のことで驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。実は、息子の晋也が御船さんと是非ともお話してみたいと、兼ねがね申しておりまして。今回いい機会だったので、こうしてご足労を願った次第です。」
「お話?私にですか?」
結花が首を傾げると、息子の晋也の方が話し始めた。
「実は、結花さんのことは、前々から何度かお見受けしていて、素敵な人だなぁと、思ってたんですよ。」
「はぁ、ありがとうございます。」
よくわからないが、とりあえず礼だけ言っておく。
「それで、ずっとお話してみたいと思っていました。いや、やっぱり、近くで見ると、綺麗だなぁ。」
晋也はそう言って笑顔になったが、父親とは違い、少し品がない笑顔だった。
一見、真面目そうな風体だが、どこか雰囲気に軽薄さがある。
いきなりの名前呼びも相まって、結花は若干不快感を覚えた。
また、年齢が結花より10歳以上上なのもあり、どうにも親近感が持てない。
「お褒めに預かり、光栄です。それで、お話というのは?」
結花は社交辞令を打ち切り、本題へ入るよう促した。
どうも、さっさと話を終わらせたほうが、よさそうな気配だ。
「それでは、私のほうからお話させて頂きます。」
父親の岡本専務のほうが口を開いた。
「単刀直入に申します。御船結花さん、息子の晋也の妻になって頂けないでしょうか?」
「はあっ!?」
嫌な予感はしていたが、思ったよりストレートに球が飛んできた。付き合って下さい、とかではなく、いきなり妻になれとは……
結花は慌てて言葉を挟んだ。
「ちょっと待って下さい。いきなりそんなことを言われても困ります。」
「なぜですか?私どもの家柄は名門といって遜色ありませんし、息子の晋也は当社の部長。しかも、これから出世していく予定の有望株です。学歴も収入も問題ないと思いますが?」
岡本専務の言葉には、上級市民故の傲慢が垣間見える。確かに、結花は生活もやっとの弱小書店経営者だが、それでもそれなりに誇りを持って生きてはいる。
それを貧乏から救ってやるから喜べと、言われているようなものだ。
「結花ちゃん、俺ほどの好条件物件は、もう見つからないと思いますよ?」
晋也は、やはり軽薄そうな口調でそう言ってくる。
「そうは言われても、ですね……」
どう言ったものか、考えあぐねていると、急に岡本専務の声のトーンが落ちた。
「御船さん。この前の大量注文ですが、何とかしたのはこの晋也なのですよ。晋也と夫婦になれば、御船書房には取次側から有利な取引や条件を与えてあげることが可能になります。」
結花の背筋に冷たいものが走った。
それは即ち、断れば取次から冷遇されることを意味している。せっかく持ち直しつつあるのに、下手をすれば大切な御船書房の息の根を絶たれる危険性すらあるのだ。
「それとも、他に意中の方がいらっしゃるとか?」
不意に、岡本専務が話の方向性を切り替えてきた。
「いえ、それは……」
結花の脳裏には、修一の顔が浮かんだ。
だが、修一とは別に付き合ったり、結婚の約束をしたりしているわけではない。確かに莉愛の計らいもあり、一緒に暮らすようになったし、嫌われてはいないと思うが、ここではっきり名前を出せる間柄にはなっていない。
「えっ?そいつ、俺より高収入でかっこいいの?そんなやつ、なかなかいないと思うけどなぁー」
「それは……」
晋也の言葉に、結花は珍しくイラっとした。
確かに修一は、ルックスも社会的地位も晋也と比べれば格段に下だ。
だが、自分の生活が危機的な状況でも、クロを見捨てなかった勇気と優しさ。結花をはじめ周囲の人たちに対して決して敬意を忘れない人間性。厳しい状況でも諦めたり腐ったりせず、努力を続ける直向きさ……
それらを併せ持つ修一は、決して人間的に劣った存在だと、結花には思えない。
「そうだ、だから私は河瀬さんを……」
結花はポソリとつぶやいた。
こんな局面になって、自覚するとは思っていなかった。
「では、反論はなさそうですので、お付き合いして頂く形でよろしいですか?」
岡本専務が強引に話を纏めようとしてきた。
「あ、あの!」
結花が勇気を振り絞って、叫ぼうとしたその時だった。
「ちょっと待って下さい!」
突如、聞き覚えのある声が、スイートルームの中に響き渡った。
それは今、結花が誰よりも聞きたかった声だった。




