Side:人17
原案:クズハ 見守り:蒼風 雨静 文;碧 銀魚
それから、クロが脱走することはなかったが、逆に修一が御船家へ泊まるのが恒例になった。
やはり、クロがいなくなったマンションで、一人で寝起きするのは味気なく、おまけに御船家の居心地がよすぎて、週のうち三~四日は泊まってしまっている。
8月に入り、連日続く猛暑と熱帯夜も、マンションへ足を遠のかせる要因となった。
また、この夏の間に、二人にもう一つ小さな変化があった。
「クロちゃんの餌って、まだ予備あるかな?」
「あっ、これでラスト。後で俺が買ってくるよ。」
会話から、敬語が抜けたのだ。
一階での勤務中は、未だに敬語で話し合っているが、二階で一緒にいるときは、敬語は使わなくなった。どちらから提案があったというわけでもなかったのだが、クロ脱走の一件があってから、自然とそうなっていった。
そうして暑い夏が過ぎ、9月も半ばを過ぎて、ようやく辺りが秋めいてきた頃のことである。
「う~ん……やっぱり、画像だなぁ。」
二階リビングでパソコンと睨めっこしていた修一が、呻いていた。
「どうしたの?」
夕食の準備をしていた結花が、手を止めて寄ってきた。
「いや、とりあえず御船書房のアカウントは作ってみたんだけど、アイコンとバナーに印象的な画像が欲しいなって思ってさ。」
今月初め辺りから、修一は通販の準備をし始めていた。
結花もパソコンやインターネットが使えないわけではなかったが、前職の杵柄もあり、修一の方がこの手の作業は得意だった。なので、自然と通販関係は修一の担当となった。
現在、通販サイトは準備中だが、同時に御船書房のSNSアカウントを、修一は作っていた。通販・リアル店舗どちらにしても、ネット上の宣伝は欠かせないと考えたからだ。
だが、アカウントのレイアウトで、躓いてしまったらしい。
「店の外観とか、本棚の写真とか撮って加工するとか?」
結花が提案したが、修一は唸ったままだ。
「それだと、他の書店のアカウントと差別化できないんだよね。外観も特徴的なわけではないし……」
「平凡な外観で、悪かったですね。」
結花がむくれて見せると、修一は慌てて首を横に振った。
「いやいやいや!そういうことじゃなくて!」
「ぷっ」
修一の慌てぶりに、結花が思わず吹き出す。
「冗談だよ。でも確かに、こういうものの画像って難しいね。本と関係ないものにすると、それはそれで意味がないしね。」
結花の言う通りだった。
単にインパクトのある画像なら、ネットを漁れば、いくらでも出てくるのだが、一応、事業に使うものなので、特に公序良俗に反するものを使うわけにはいかない。
「ホームページとか、SNSのページって、何となく見てたけど、みんなよく考えて作ってるんだなぁ、って思うなぁ。」
「まぁ、ウェブデザイナーとか、それ専用の職業があるくらいだしね。」
SNSアカウント作りは、軽く暗礁に乗り上げていた。
翌日の火曜日、常連の木下さんがやってきた。
結花は客注品の整理をしていたので、レジは修一がすることとなった。
「そういえば、この前の子猫ちゃんは元気?」
予防接種の時のことを、木下さんは覚えていてくれたらしい。
「ええ、元気ですよ。最近、やんちゃになってきて、大変です。今も二階にいますよ。」
何気なく修一が言うと、木下さんは目を丸くした。
「あら、河瀬さんが飼ってるんじゃなかったの?」
「ええ、実は俺のアパート、ペット禁止で、拾ったはいいものの、飼えなかったんですよ。それで、今は御船さんの家でお世話になっています。」
「あらあら、そーなの。下には降りてこないの?」
どうも、木下さんはクロに会いたいらしい。
「ここに連れてきたことはないんですけど……御船さん、いいですか?」
「逃げないようにすれば、大丈夫ですよー。」
バックルームから結花の返事が聞こえてきた。
「では、少しお待ちください。」
経営者の許可が出たので、修一は二階に上がると、ひょいとクロを抱っこした。
「クロ、お客さんがお呼びだよ。」
「みゃん?」
突然のことに、クロは見るからに戸惑っていたが、抵抗はしなかった。
そのまま、一階のレジまで連れてくると、台の上にクロを座らせる。
「あらー、ちょっと見ない間に、大きくなったわねぇ。」
木下さんがそう言って、クロをナデナデする。流石に動物病院のスタッフだけあって、猫の扱いには慣れている。
クロも特に嫌がることはなく、なされるがままにしてくれている。
「この時期の子猫は成長が早いですね。俺は猫を飼うのは初めてなので、ちょっとびっくりしてます。」
「そうね、あっという間に大人になっちゃうわよ。」
そんな、他愛ない会話を交わしていた時だった。
「あー!猫ちゃん!!」
急に、店内に元気な叫び声が響き渡った。
たまたま、前の道を通りがかった幼稚園か保育園と思われる一団が、クロを見つけたらしい。御船書房は基本的に、営業時間中は入口が空きっ放しなので、入口から近いレジ付近は通りからよく見えるのだ。
「ほんとだ、猫ちゃん!」
「かわいー!」
十人ほど子供達が店内に入ってきて、クロを眺め始めた。
「あのぉ、撫でても大丈夫でしょうか?」
引率と思われる先生が尋ねてきたので、修一は快く頷いた。
「頭とか、背中とかを優しく撫でてあげれば、大丈夫です。基本的に人懐っこい性格なので。」
そう説明すると、子供達はちゃんとそれを守って、クロを撫で始めた。
クロは若干迷惑そうな顔をしていたが、これまた抵抗したりはしない。
間もなく、木下さんは帰ったが、小学生集団がしばらく滞留したせいで、通りがかった人や客が、入れ替わり立ち代わりクロに構っていく形になり、結局一時間以上、クロはレジで接客をする羽目になった。
「クロ、大丈夫かー?」
「みぃー……」
流石にくたびれた様子なので、昼休憩の時に二階に戻したが、餌と水を摂取して、そのまま座布団でコテンと寝てしまった。
十八時の退勤後、修一は二階に戻ったが、クロは元の位置から動いた形跡はなく、ずっと熟睡していたらしい。
余程、疲れたと見える。
「なんか、すまんな。」
寝ているクロを起こさないようにしながら、修一はパソコンの電源を入れ、勤務時間外ながら、通販サイトの準備を進めた。
閉店時間になり、結花が二階に上がってくると、ようやくクロは目を覚ました。
おもむろにトイレへ行くと、再び餌と水を摂取、そして修一の膝の上に乗ってきた。
「今日の売上、いつもの二倍近くもあったよ。」
二階に上がってくるなり、結花がそう言ってきた。
「えっ?今日、なんか売れ筋の新刊とかあった?」
「ううん。でも、午前中の売上が凄まじくよかったよ。」
結花はレジ締めの際に確認をとったらしい。
「あー、そういえば、クロがレジにいた間、いつもは前を素通りするような人達が、やたらとクロを見つけて入ってきてたな。なんか、雑誌とか漫画とかをついで買いしてたかも。」
クロやそれを触りに来る客に気を取られていて、レジを打った回数までは覚えていなかったが、あの時にかなりの売上を稼いだらしい。
「流石はクロちゃん。凄い集客力だね。」
結花がそう言うと、クロはフンと鼻を鳴らした。
その様子は、どこか誇らしげだった。
翌日、午後の閑散時間に棚の整理をしていると、聞き覚えのある元気な声が、店内に響き渡った。
「あれー?今日は猫ちゃんいなーい!」
見れば、昨日の子供達のうちの一人だった。今日は母親と一緒に来たらしい。
「いらっしゃいませ。猫は二階にいるけど、連れてこようか?」
「やったー!」
修一が尋ねると、子供は大喜びだった。
すぐに二階からクロを連れてくると、昨日と同じく、レジの台の上に座らせる。
「かわいー!」
子供は昨日と同じく、撫で始め、クロは昨日と同じく、若干迷惑そうな顔をしている。
すると、母親が申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「申し訳ありません、この子がどうしてもって聞かなかったので。わざわざ連れてきて頂いてしまって。」
「別に大丈夫ですよ。この子も、基本的には人間が好きな性格なので。」
修一がそんな話をしていると、
「あら?黒猫?」
表を通りかかった婦人が、またクロを見つけて入ってきた。
「ああ、優しく撫でてもらえば、大丈夫ですよ。」
修一が対応していると、更に通りかかった人が駆け込んできた。
「あーかわいいー!」
「猫ちゃん?」
「あれ?本物の猫?」
そこからは昨日と同じく、異例の客足となった。
十八時になってもレジ打ちが途切れず、急遽修一は閉店まで勤務を延長することとなった。クロはいろんな人に撫でられ続け、今日はなんと三時間以上、レジの台の上にいた。
「今日は、午後の売上が凄まじいね。」
レジ締めをしながら、結花はつぶやいた。
クロはトイレと餌の為、先に二階に行ってもらい、今は二人で閉店作業を行っている。
「これが、招き猫というやつか……」
修一も売上を見て、目を丸くしている。
今日はこの時期の平均売上の二倍を超えている。
「これは、もしかすると、もしかするかも。」
修一は小さくつぶやいた。




