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文芸少女と野球人

 高校生になると環境ががらっと変わるとは聞いていたけど、それは私が想像していたよりもずっと激しい変化だった。特に同じ中学だった子たちの変化が著しい。


 去年まで大人しい図書委員だった子が、茶髪とコンタクトでめかしこんできた。かと思えばクラスの人気者だった子が、友達を上手に作れなくて静かになっている。


 男子でも、見た目はあんまり変わってないのに、内気そうに見えた子がサッカーを始めてから垢抜けた。


 私は自分を変えないことを選んだ。髪を染めることもなく、化粧もせず、中学と同じ文学部に入って、読書しながら小説を書いてる。代わりに友達も殆ど出来なかったけど、そんなところも中学の頃と同じなので気にならない。


 でもまさか文学部が掛け持ち可能な部活で、私以外ほぼ全員幽霊部員とは思わなかったが。お陰で部活友達すらもまともに得られなかった。……気にならないけど。断じて。


 そんな中、私と同じで去年の中学と殆ど変わらないのに、野球部期待の新人投手として去年以上の人気を獲得した男子が居た。幼稚園からの幼馴染、というより腐りきった縁で結ばれた男子。その名もーー


「よ、姫」


 ……マヌケンである。下の名前が賢治で、よく転んだり忘れ物をしたりするので、自然と周りがそう呼ぶようになった。ちなみ私が姫と呼ばれてるのは、名前が()()()()()だから。


「姫言うな。何の用?ここは文学部の部室よ、投手マヌケン」


「マヌケン言うな。なあなあ、マネの件は検討してくれたか?」


 またその話か。この男は口を開くと野球部のマネージャー入りを懇願してくる。


「だから、やんないって言ってるでしょ。見ての通り、私はただの文芸少女なの。小説書くだけで一日過ごせるくらいの。分かったらさっさと自分の部室帰れ。しっしっ」


「小説?いや、でもお前が書くのって小説にしては、独特っていうか、奇天烈っていうか……」


「塩まくぞコラ。はよ帰れ!」


「むう……明日また来るからな」


 しつこいな、まったく。毎日毎日、飽きもせず。


 私が大きなため息と共に自作小説の続きに取り掛かると、またもや部室のドアが開かれた。


「だからしつこいってば。忘れ物でもしたわけ?」


「え?」


 あ、やば……部長だった。


「す、すみません部長!さっきまで腐った迷子の相手をしていたものでして!」


「あはは、なにそれ。やっぱ姫ちゃんは面白いわー」


 悲しいことに、この九十九つくも部長も幽霊部員の一人だ。一週間に一度か二度、気まぐれに現れては去っていく。ただ彼女の場合は他の部員(数合わせ)と違い、演劇部の台本作りという形で活躍しているので、ある意味で正しく兼務していると言えるかもしれない。


「それよりさ、今のって野球部一年の斉藤君でしょ?」


「そうですけど、あの人のこと知ってるんですか」


「知ってるも何も有名人だもん、わかるよー!え、もしかして友達なの?まさかの恋仲!?」


「いえ、ただの腐れ縁です」


 マヌケンこと斉藤賢治は、小学一年生からずっと同じクラスだった。だからまあ、一緒に過ごす時間は長かったし、趣味も合ったから()()だろうとは思う。がーー


「断じて恋仲ではありませんから」


 それだけはあり得ない。やつの恋愛感の軽さを間近で見てきた身としては、どうあっても選択肢に入らない。


「その割には仲良く話してなかった?」


「なんだ、聞こえてたんですか……」


「いいじゃん、野球部のマネージャー。あれだけ頼んでるんだし、兼務してあげなよ。こっちは来れる時に来ればいいからさ」


「ですから、やらないですって。私は今書いてる小説で忙しいんです。炎天下の中、選手の飲み物用意したり、相手チームのデータ集めたりするなんて、御免ですよ」


 駄目だこりゃ、もうまともに書く気になれないや。私は小説用の古いノートパソコンを閉じて、珍しく部長よりも先に部室を出た。


「ねえ、姫ちゃん。この前書いた小説、読んだよ」


 ……ずるい。なんてタイミングで言うんだよ、この人。


「そ、そうですか……どう思いました?」


「ストーリーの組み立てはまだまだだし、キャラクターも自分の趣味を投影し過ぎかなと思った」


「うぐっ……!」


「あと男同士くっつき過ぎ」


「ぎにゃっ!!」


 そ、それは、まあ……そうだったかも。だって主人公×親友って裏設定を思えば、スキンシップが多めになるのも致し方ないというかさー……!


「でも心象描写は悪くなかったよ。アクションもそこそこ描けてるし、恋愛とかじゃなくて、アクションとかスポーツ方面で書いてみたらどうかな。ちょっと小説だと、ニッチなジャンルかもしれないけどね」


「お世辞がお上手ですね……」


「ちゃんと聞いて。これは率直なアドバイスだよ。次の作品、決まってないならそっちで書いてみなよ。また読むからさ」


「えっと……か、考えておきます。では、失礼します」


 アクション小説……か。アクション描写に力を入れてたつもりは無いんだけど、無意識に力が入ってたのかな。


 何故か背中にいつまでも九十九先輩の視線が張り付いてる気がして、どこか居心地の悪さを感じたまま、私は帰路についた。




 次の日。部室に来たは良いものの、今書いてる小説が煮詰まって進まなかった。先の展開が自分でも読めなくなり、今まで走っていたキャラの脚が止まってしまっている。


 スランプ……いや、イップスかな?半分以上マヌケンのせいだと思うけど、昨日は九十九部長も来たし、変に構えちゃってるのかも知れない。


 ……戯れにスポーツ物の短編小説でも書いてみようか。そう思った私は、今書いてた小説を一時保存し、新規作成メニューを開いた。




-------

 ーーマウンドでは、誰もが孤独だ。練習中は皆で楽しく切磋琢磨出来ても、いざ本番となれば自分の前にはバッターとキャッチャー、そして球審がいるだけ。


 これを孤独ではなく、先陣の孤高と考えられるやつだけが、投手を続けられるんだ。俺が投げるから、ゲームは始まるんだって。そうでもなきゃ、こんなプレッシャーばかりかかる場所に、立ち続けることなんて出来やしない。


 背中に味方のエールが突き刺さる。バッター勝負だ、投げ勝ってるぞ、そんな言葉の一つ一つが、俺に力を与えてくれた。


 刺した分だけ、余裕という名の血液が、流れ出ていくとも知らずに。


 サインは、外角ストライクゾーンギリギリにシュート。内角から外角とはな。でも良いぜ、やってやる。


 グローブの中で握りを作り、一塁を視線で縛る。そして、ボールに速度を込めるべく、決意と共にマウンドを踏みしめた。


 足の裏。太もも。腰。背筋。肩から、手首へ。脱力によって無駄なく走るその力を、全てボールに込めーー俺は渾身の一球を抜き放つ。


 ビッ!っという投げた本人にしか聞こえない音を置き去りにした速球はーー




 ーー金属音とともに、空へと消えていった。




--------

「うーん……」


 とりあえず書いたワンシーンだけど、どうだろうか。部長の反応を聞きたいな。個人的には、特にやりとりが無いキャッチャーとの信頼関係を感じ取ってくれたら嬉しい。動くシーンについては……まあ、いつも通りなわけで。


「すげー実感こもってんな、これ。試合の緊張感そのまんまじゃん」


「そうかな」


「いや、まじまじ。これだったら続き読みたいかも」


「あらそう?じゃあ書いてみても……」


 …………あん?マ、マヌケン!?いつの間に!?


「ちょっ!?か、勝手に見ないでよね!?ていうか無言で入ってくんな!!」


「いや何度もノックしたし、声も掛けたって。流石の集中力だな。小説書いてる時のお前って、いつもあんな感じなのか?もしかしたら俺、小説書いてる姫を見るの、初めてかも」


「わ、悪い?」


「……いや、全然悪くないよ。でも……そっか。お前、ちゃんと本気で小説書いてたんだな」


「そうよ。文芸少女だって、言ったじゃない」


 少し申し訳なさそうな、隠しきれてない寂しさを覗かせたマヌケンは、そのまま私に背を向けた。


「部活戻るわ。明日、続き読ませてくれよ」


「……うん」


 マヌケンが私をマネに誘わなかったのは、その日が初めてだった。




 さらに翌日。何気なく、別に意味も無く野球部の部室の近くを散策した。あいつのことだから、きっと投球練習をしていることだろう。期待の新星らしく、チヤホヤされているに違いない。あいつの投球フォームを見れば、もっと臨場感に溢れた描写が出来るかも。




「斎藤のやつ、引っ越すんだってよ」




 そんな幻想は、部室から聞こえた噂話だけで、簡単に打ち砕かれた。


「まじかよ、いつ!?」


「再来月だってさ。親と一緒にアメリカ行くんだって。ほら、ご丁寧に退部届まで持ってきやがった」


「勿体ねーな。続けられたらエース確定なのに」


 ……なんだよ、期待の新星って。新星どころか、これじゃ流れ星じゃんか。


 私は呆然としたまま、ふらふらと校庭のマウンドへ向かった。……今日はここで、あいつの投球フォームを見せてもらう予定だったのに。


「あれ?姫じゃん、どした?」


 あいつの声がした。いつもの声、いつもの顔だ。でも、ユニフォームじゃなかった。


「マヌケン……引っ越すって、ほんと?」


「げっ、もう知られてんのかよ。先輩、口軽過ぎ」


 苦々しい顔のまま、頭の後ろを掻いている。こいつはバツが悪い時、必ずこういう仕草をする。時々試合中でもやるから、私が散々矯正してやったのに、結局治らなかった。


「……お前には、昨日言うつもりだったんだよ。ずっと世話んなってたし」


「………」


「でも、なんか……いざとなったら言い難くてさ。思わず逃げちまったんだ、ごめんな」


 ほんと、かっこ悪い。でも、そんなの昔から知ってる。


「なあ、俺との約束、覚えてるか?中一の時のさ」


「……当たり前でしょ」


 覚えている。忘れる訳が無い。


 小学一年生からずっと続けてた、少年野球。私が投手で、こいつが捕手。二人でリトルリーグにも上がったけど、女子の私は体格も小さくて、段々周りについて行けなくなっていった。


 得意のピッチングも、いくら技術があっても、球威が軽くて男子相手では勝負にならなくなった。


 私が投げても勝てないって、周りからイジメられてた時期もあった。それでもこいつは、私の捕手を続けてくれた。


 ……中学になって、もう野球やらないと言った時、こいつ凄く悔しそうだったな。それで半べそかきながら、私に約束したんだ。


「『姫の分も俺が投げる。ずっとずっと投げるから』」


「……そう、それだ。俺、ちゃんと約束守ったぞ」


「過去形なのね。向こうじゃ投げないつもりなの?」


「無理だよ。俺、英語喋れないし」


「じゃあ、再来月の大会は?」


「フライトの前日だぞ。大会に勝っても、次の試合に出られないだろ」


 らしくもなく、ウジウジと。こんなヤツだったっけ、こいつ。


 ……いや、小学校の頃まで、こんなやつだったかも。私の代わりに投げる!とか言い出してから、底抜けに明るくなっていったけど、もしかしたら無理して明るく振る舞ってたのかな。投手って、チーム引っ張れるタイプじゃないと成り立たないもんね。


 私との約束を守るためだけに、自分を曲げて頑張ってきたというのか。……マヌケンのくせに。


「ねえ、正直に答えてほしいんだけど」


「なんだよ」


「あんた……本当はまだ野球したいんでしょ」


 春風に乗って、ランニングの声出しが聞こえてきた。


「馬鹿。もう満足したよ。三年もピッチャーやれれば、もう十分だって」


「………」


「感謝してるんだよ。お前がいなきゃ、ピッチャーやる夢も、スタメン投手の目標も、絶対叶えられななーー」


「なってもいいよ、アンタだけのマネージャーにだったら」


 今度の風は、木々の揺れる音しか運ばなかった。


「………え?」


「アンタが野球を辞めるまでの、二か月間ならいい。私の時間を、全部アンタのためだけに使ってあげる。その代わり、私にアンタの時間をよこしなさい。私の投球技術、小一から9年間集め続けた知識と経験、全部叩き込んであげるわ。アメリカまで持っていきなさいな」


「いや、でもお前にはもう、小説が……」


 すみません、九十九部長。次回作の完成は、もう少しだけ待ってください。


「いい。付き合いの長さなら、小説よりアンタの方が長いわ」


「……!」


「ずっと一緒だったじゃない。最後まで付き合ってあげるわよ」


 私とこいつの現在いま過去いままでに、ちゃんとケリを付けてから、改めて小説作りに向き合います。


 だから、今は……今だけは。


「……ああ!よろしく頼むぜ、りんご!」


「よし、早速始めるわよ、賢治。まずは土下座してでも、退部届を取り返してきなさい」


「おお!!」


 ーーもう一度だけ、こいつと野球をやらせてください。




 私とこいつの二ヶ月間は、野球を辞めた3年間よりも、ずっと濃密で長かった。


 陽が昇る前と、部活が終わった後に、毎日練習した。


 投球フォームの見直しと、筋力の足りない私だからこそ習得できた、脱力による投球法を伝授した。


 捕球の仕方を復習した。食べるご飯の中身と量を改めた。


 そして、相手ピッチャーの思考の読み方と、打ち取り方を研究した。


 部長や、野球部の仲間達にもたくさん手伝ってもらった。


 マヌケンに残された、高校時代でたった一度の大会のために、皆で力合わせて練習を重ねた。


 やるだけのことは、やった。そしてーー




「行け、斎藤!!思いっきり投げろッ!!」


「ツーアウトツーアウトぉ!!」


「後ろは任せろ!!バッター勝負だ!!」


 ベンチからの、外野からの声援が、観客席まで聞こえてきた。


「……お願い、勝って!!アンタなら出来るんだから!!賢治ぃぃぃ!!」


 聞こえる訳が無いと知りつつ、喉が枯れるまで応援した。


 そして9回裏、2アウト2ストライク、145km/hを超える渾身の一投はーー




 ーー金属音と共に、空へと消えていった。




 スコアボード、3対2。相手チームの、逆転2ランホームランだった。




「……負けちゃったね」


「ああ、負けたわ。かっこわりぃな」


 マヌケンは、いつもの調子だった。いつもの顔、いつもの声だった。


「ごめんな、姫。せっかくくれた二ヶ月間、無駄になっちまった」


 いつもの声が、震えていた。


「せっかくお前がくれた、二か月……俺……俺、無駄にしちまった……!お前の分も、勝ちたかったのに……!ごめん……ごめんッ!!」


 そこから先のことは、よく覚えていない。たくさん泣いて、たくさん何かを叫んで、たくさん抱きしめた気がする。


 アンタとの二か月は、無駄じゃなかったって、そんなことばかり叫んでた気がする。


 枯れた声で、ありがとうって、何度も、何度も、叫んでたと思う。




 その翌日。アイツは飛行機に乗って、アメリカへと旅立っていった。


 小学校からずっと大事にしてたバットとグローブを、私の家に置き去りにして。




 ーー社会人と学生では全然違うと聞いていたけど、それは私が想像していたよりもずっと激しい変化だった。


 学生時代の友達とは全然会えなくなって、食べるために小説を書くことの大変さを知った。


 あれほど子供に見えた男子も、同窓会では親になってたりしてた。


 そんな中、日本生まれの注目投手として、メジャーリーグで人気を獲得した男が居た。幼稚園からの幼馴染、というより腐りきった縁で結ばれていた男。その名もーー




「ーー何よ。向こうでもちゃんと、約束を守ってるんじゃない」




 新宿のスクリーンに映るアイツは、会いたい女性がいるのだと、帰国便へと乗り込んでいた。

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― 新着の感想 ―
 青春だー!  そう叫びたくなるとても素敵な作品でした、疲れていた気持ちが、読んで癒されました。 たった一度の大会に全力をかけて、それでも負けてしまっても、そこに勝ち負けを超えたものが確かにあると感じ…
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