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序:6話

 八月も終わりを迎えようとしていた。この夏休み、俺の指導で海夏はバスケも勉強も着実に実力を付けていった。

 だけどそれは、根本的な解決に至っていない。俺の成し遂げるべき事は、海夏のバスケ技術や学業の向上ではなく、彼女を学校に行けるようにする事なのだから。

 ……だがしかし、俺は不登校の学生を指導できるような人生を歩んできた人間ではない。

 高校時代は、九時から十八時の授業時間が無駄に思えて、ストリートコートとトレーニングジムに通ってから、部活だけやりに学校へ向かっていた(結果、同期にチクられて先輩に怒られた)。加えて今現在東大を休学している俺はある意味、不登校と言えなくもない。

 こんな俺に、小学生の不登校問題を解決する力があるとは思えない。

 だけど……あくまで、あくまで俺にとってだが……小学生時代の想い出という物は、ただひたすら輝いていて、甘酸っぱい記憶の結晶だ。良い想い出ばかりだ。

 だからこそ、小学校くらい通わせてあげたい。ましてやここは関東ではなく種子島。もし海夏が高校を卒業する時、この島に残るという選択肢を選ぶならば、大人になってからも小学生時代の友達と付き合っていく事になる可能性が多いにある。

 ー今の俺には小学校の同窓会に顔を出す資格も度胸もないけれどー。

 

 今日はこの海沿いのストリートコートに、俺達二人以外に三人の小学生男子が来ている。聞くと、港の存在する「西之表市(にしのおもてし)」側の小学六年生だとか。バスケクラブらしい。

 海夏の対戦相手に丁度良いと思った。やっと、彼女に実践経験を積ませてやる事が出来る。同じくらいの力量の相手と。

「「「よろしくお願いします!」」」「……よろしくおねがいします……」

 四人が同時にお辞儀した。まるで公式試合みたいだ。この島の子供達は礼儀が行き届いているな。

 二対二(ツーオンツー)が始まった。一応海夏には五対五、公式戦を想定した練習も施している。ボールの貰い方だったりパスの仕方だったり。 

 しかしそれはあくまで二人きりの練習で出来る範囲でだ。あの指導が実践で活かす事が出来るかどうかは、()ってみなきゃ分からない。


 ボールを持たない三人が縦横無尽にコートを動き回る。今、海夏はオフェンス。ボールを持っている唯一のプレイヤー。俺は海夏に一対一(ワンオンワン)の技術を徹底的に施してきたつもりだ。並みの小学生じゃ彼女を倒す事は出来ないと見込んでいる。

 にも関わらずー、

「……」

「はぁ? 何で俺に回すんだよ! 今、打てただろ?」  

 ノーマークでも自分で攻めず、相方のプレイヤーにボールを回してしまった。

(……どうした?)

 

 その後も、十セット近く攻防を繰り返したが、全く自分で攻める様子を見せない。

 海夏の顔は、緊張していた。

 いつも俺と練習する時は、実力を発揮出来ているのに。彼女は、本番に弱いタイプなのかもしれない。もしかしたら、本番で実力を発揮出来ない、引っ込み思案な性格のせいで、バスケクラブで落ちこぼれ扱いされていたのかもしれない。 

 相方の少年の方も、ウミカに愛想が尽きたのか、自分でドリブルしてシュートを打つばかりで、海夏にボールを回さない。

「ごめん! 途中だけどちょっと休憩良い?」

 小学生達に向かって叫ぶ。聞き入れてくれて、勝負を中断した。

 俺の座っているベンチにやってくる海夏。いつも以上に息切れしている。

「……どうした? 調子悪そうだぞ?」

「ごめん、なさい。緊張、しちゃって」

「俺との一対一の練習で、俺に勝った事だってあるじゃないか」

「あんなのが……先生の本気じゃない事ぐらい、ウミカにだって、分かります……」

「……ウミカ、バスケの神様って言われたマイケル・ジョーダンって人、知ってるか?」

「え……あ、はい。名前くらいは」

 俺は右腕を前に差し出し、手首に付けた赤いリストバンドを見せる。

「ジョーダンは常に赤いリストバンドを付けていた。だから俺も付けている。神様のご加護を貰おうと思って」

「……」

 彼女はまじまじと、俺の右手首を見つめる。

「これをウミカに貸してやる」

 リストバンドを外して、それを海夏の右腕に装着してやる。

「バスケの神様と俺……両方の力だ」

 俺のリストバンドを付けた海夏の右腕を、両手で包み込みながら言った。

「……ありがとうございます」

 彼女の表情に変化は無い。これでプレイスタイルが変わると良いのだが……。

 

 勝負再開。海夏がボールを持ち、相方がコートを駆け巡る。敵のディフェンス二人は、海夏達に合わせて動く。マンツーマンディフェンスだ。

 海夏のマークマンの少年は今、彼女から大分間合いを開けている。

「どうせ打たねえだろ?」と、敵の少年が嗤笑する。

(ウミカ、打て!!)

 俺は心の中で叫んだ。海夏は今、スリーポイントラインを踏む当たりにいる。あの長距離からでも入るようこの一ヶ月近く、彼女に訓練を施してきた。

 打てる間合いでも打たないのは、外すのを怖がっているからだ。その恐怖の殻を破れば、海夏は自信をつける事が出来る。

 打つか、打たないか。打って外したら、相方の男の子に怒られるかもしれない。次はもっとシュートを打つのが怖くなるかもしれない。

 でもここで打てば、彼女は変わるー。


 打った!


 彼女の両手打ち(ボスハンド)シュートから放たれたボールは、空高く浮遊し、そのままネットに吸い込まれた。

「ウソだろ?」「女子の癖にスリーポイントラインから?」「チビ女の癖に……」と三人の小学生達が驚きに満ちた表情で一人一人呟く中、一番、この起きた現実に目を丸くしていたのは、海夏本人だった。

「はい……ちゃっ……た……」

 俺はすかさず、

「ナイッシュー!!」と叫ぶ。

 四人が俺の叫び声にビクリと背筋を震わせる。ちょっと声が大き過ぎたようだ。


 その後の海夏は、見違えるように積極的に攻めるようになった。俺が施した、バスケにおける一対一(ワンオンワン)スキルを遺憾なく発揮して。

「痛って!」

「ご、ごめんね! 大丈夫?!」

 海夏と対戦相手の男の子の肩が衝突した。海夏から当たりに行った関係で、男の子の方が倒れた。

「傷とか無い?」

 海夏が尻餅をつく男の子の前髪を持ち上げ、彼のおでこを覗き見る。肩で当たったのに、何故おでこを見るんだ? 天然か?

「だ……だいじょうぶ……ありがと……」

 礼を言う男の子の頬は紅潮していた。完全に海夏に惚れている。

 その光景に、俺は「小五のあの日」を思い出してしまう。少女のみが持つ「無邪気(イノセント)な思いやり」に当てられた日を。男の子を無自覚にオトしてしまう「魔性なおもいやり」を。


 夕暮れ時、太陽が海に沈んでいく。

 少年達は帰宅してしまい、俺と海夏の二人だけが、沈んでいく夕日をコートから眺めている。

「先生。ウミカ、今日産まれて初めて、試合中にシュートを決めたかもしれません」

 隣に立つ海夏の横顔を見る。彼女は紅く染まる海の方だけを見つめている。濁りの無い眼差しで。夕日に染まる彼女の横顔は、俺にとって、初恋の顔をしていた。

 そんな彼女の横顔に見惚れつつも一方で、俺は彼女の事を心配していた。

(もうすぐ小学校の二学期が始まる。海夏は学校に、行けるだろうか?)

 分からない。俺が与えたのは、あくまで自信。友達と和解する方法ではない。根本的な解決には至ってない。

 二十歳の、いい年した俺は、周囲の人間と心から折り合いを付けられた試しがない。勝つのに仲間なんて不要だと思って、十代を生きてきたから。

 夏海の彼氏を仮想のライバルにして。ちゃんと話した事もない男を、頭の中の敵に据えて。

 

 ー人間の競争心は、初恋をした時に初めて芽生えるのではないだろうかー?


 誰もが異性に、あるいは同姓にモテる為に戦っている気がする。学校と、部活と、職場と、社会と。

 モテる為ーあるいは、好かれる為。

「モテる為には友達も仲間も不要」ー俺はいつからかそういう考えに至った。この世の男は全て俺にとって競争相手に過ぎない、と考えるようになった。だから俺には、心から信用出来る仲間、あるいは友達を作る事が出来ない。

 モテる為にはーいいやー「初恋を手に入れる為」には、あらゆる者と戦わなければならないと……そう思って十代を生きてしまった。きっと、これからもー。

 そんな俺がこの小さな少女に、友達と上手く付き合う方法なんて、教えられる訳が無いのだ。 



 夏の日差しが俺達二人を照り付ける。

「クロスオーバーが遅いぞ、ウミカ!」「ハイッ!」

 俺とウミカで一対一(ワンオンワン)の練習中。

 ボールを持ちながら俺を抜き去ろうと四苦八苦しているが、やはり小学生。ドリブルの切り替えしが遅い。簡単に反応出来てしまう。

 ーしかし一対一(ワンオンワン)の練習に入ってから一時間。うだるような暑い夏の日にアスファルトのバスケコートなんかで一対一(ワンオンワン)のような激しい動きを取れば、容赦なく体力が奪われる。

 

 ーその時、俺の左脚に電流が走った。

 本来ニ十分しか持たない左脚を一時間も酷使してしまったのだ、当然だ。

「悪い……ウミカ。ちょうっとタイムだ。喉が渇いた」

「へ?」

 俺は自分の抱える爆弾を彼女に隠し、一度自室のアパートに戻ろうとする。

「……先生、もしかして怪我なさっているんじゃないですか?」

「な、なんでそう思うの?」

「いつも『なんで両脚にサポーター巻いてんだろう?』って思ってましたけど、それって、『怪我の予防』で付けてるんじゃなくて、ウミカを困らせない為に、わざと両方に付けてたじゃないですか?」

「そ……そんなコト……。痛っつ!」

 剥離骨折の痛みで、俺はその場に転倒してしまう。

「左脚……なんですね? 待っててください! ウミカ、氷嚢(ひょうのう)取ってきますから!」

 そう言って彼女は、俺のアパートへ駆けて行きー、

 戻って来た。手にはアイシングようの氷嚢(ひょうのう)が。

「サポーター、外しますね」

 彼女は俺の左脚に手をかけ、巻いてあるサポーターを外し、

 靴下を外し、

 俺の左脚を生足状態にした。

「すごい腫れてます! 今冷やしますね! 先生はそのまま安静にしていてください!」

 左手で俺の(かかと)を持ち、右手で俺の生足首に氷嚢(ひょうのう)をあてがう彼女。

「どうですか? まだ痛いですか?」

「……悪いな、ウミカ」

「この怪我、今日初めて出来た怪我じゃないですよね? だって、着地して脚捻ったとかじゃなくて、急に痛そうにしてましたし……」

「高校時代に……治らない剥離骨折をしちゃってね……」

「どうして怪我、今まで隠してたんですか?」

「君に……弱い人間だと思われたくなかった」

「先生は、弱くないです。こんな治らない怪我が出来てしまうまで、自分の体を鍛えたんですよね? 先生は、凄い人です。先生は何がきっかけでバスケを始めたんですか? どうしてそこまでバスケを頑張って来れたんですか?」

「……いつか、教えるよ」

 言えなかった。「君にそっくりな初恋の人に失恋したから」だなんて。「自分を失恋させた恋敵(こいがたき)をバスケで倒す為」だなんて。

 俺がここまでバスケを頑張ってこれた理由なんて、本当にそれだけなんだ。

 この子の前で、格好悪い自分を見せたくない。

「先生。これからは、痛みが出たら、無理せずに言って下さいね? ウミカが手当(てあて)しますから」

「……ありがとう……ウミカ」

「内側が痛いですか? 外側が痛いですか?」

「……ゴメン、両方痛いんだ」

「分かりました。内側冷やしましたら、今度は外側を冷やしますね」


 仰向けなせいで、太陽が見える。上半身がやけどするくらいに暑い。背中もアスファルトの熱で暑い。前後ろ、板挟みの暑さだ。

 そんな中、左脚だけが、優しい冷たさを帯びていた。




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