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序:5話

★(中学時代を思う)

 夜の自宅。俺は椅子に座り、窓の外に移る、暗闇に沈んだ海を眺めている。

 いつもの事だが、暗闇の海をジッと覗いていると、何故か自分の過去を振り返ってしまう。今日もどうやら、中学時代のようだ。「勉強させられた記憶」しか無い、中学時代。


「お前たち、今勉強して、苦労して、良い大学に入っておけば、将来必ずラクになるぞ! 

 男子は特にな! 勉強しないと、将来沢山金稼いで恋人を幸せに出来ねえぞ!」

 中学の全校集会。彼らは月に一回、俺達生徒を体育館に集め、そう言い聞かせた。

 茨城県私立分(ぶん)(じょう)学園。中高一貫校にして、茨城で最も入学が簡単な中学。

 代わりに、苛烈な学力教育によって、高校を卒業する時には有名私大、国立大に入学出来る程のエリートに育て上げようという教育方針。

 端的に言うと、「バカを六年間でエリートに育て上げよう」という学校。

 俺はバカだったから、中学受験時その学校にしか受からなかった。

 それでもその学校に、中退するまでの四年間通い続けられた理由があるとすれば、それは当時の俺が「良い大学に行かないと将来大切な人を幸せに出来ない」と思っていたからだ。「将来大切な人を幸せにする為」に、彼ら教師の強いる膨大な勉強量に耐えた。

 夜六時、「九限」まである授業の日々にも。睡眠と食事以外の時間が残らない程の宿題の量にも。「補習」と称した春、夏、冬休みの授業登校にも。

 二十四時間三百六十五日と言っても過言では無い、大人達に課せられる勉強の毎日に、耐えた。彼らの「詰め込み教育」に、耐えた。

 一般の中学では当たり前のようにある「部活」は無かった。「サークル」という名で、週に二日だけ存在した。公立ならば部活は週五~七日はあるのが当たり前だろう。

 (ぶん)(じょう)学園では勉強する事が優先。部活なんかしている暇があったら勉強しろというスタンスの学校だ。

 (ぶん)(じょう)学園の同級生達も皆、教師達の言う事を真面目に聞いて、「睡眠と食事以外の時間が残らない程の勉強量」をこなしていた。宿題を忘れれば教師に殴られるからだ。

 ちなみに俺の同級生達は皆Fランク大学ー低偏差値の大学に高校推薦で入学した。

 あれだけ散々勉強させられてFランク大学、なのだ。(ぶん)(じょう)学園は、「ただ勉強させるだけ」の学校なのだ。「量」ばかりで、「質」の無い学習教育。

 だってさ、本当に一流の中高一貫校ー「開成高校」「灘高校」のような、偏差値上のトップランカー達の話だけどーそこら辺の連中は、「睡眠と食事以外の時間が残らない程の勉強量」なんかしないんだぜ? 俺は従兄弟(いとこ)が開成高校ーー日本で一番偏差値の高い高校出身だから、知っているんだ。

 ちゃんと「質」の高い勉強をする。「量だけ」の勉強なんかやっても意味が無い事を、頭の良い中高一貫校の学生と教師達は知っているからだ。

 加えて、俺の小学校の友人達で高学歴な大学に入った奴なんて沢山いる。彼らは間違いなく中学高校時代、(ぶん)(じょう)学園レベルの「苛烈で異常な勉強量」をこなさずして、俺の中学の同級生達より偏差値の高い大学に入学出来ている。

 (ぶん)(じょう)学園の教師達は、生徒の心と体を傷つける事でしか、勉強させる(すべ)を知らないのだ。


 彼ら教師陣が俺に浴びせた罵倒は、大人になった今でも心的外傷(トラウマ)として耳に残っている。 


「おい渡! やる気が無いなら出ていけ!」ー担任の教師はいつもこう言ってからー、

「ただし、勉強しない奴は将来ロクな大人にならないがな」ーこう付け加えるのだ。

 そうやって、脅すのだ。中学生の俺は、彼らを信じて、勉強という名の苦行に耐えた。

 ちゃんと沢山勉強して大人になった俺がどうなったかは、皆様知っての通りだ。

 勉強して東大に入った結果、小学生しか愛せないロリコンになった。勉強した結果、ロクでもない大人になった。

 中学生だったあの頃、小学生時代のクラスメイト達が公立中学にて、部活やそれ以外の事に青春を捧げる姿をーつまり、「お金にならない事に青春を捧げる」姿を羨ましいと思いつつも、「将来大切な人を幸せに出来る男になる為」なら、耐えられた。「お金の為に勉強する」なら、仕方無くも、耐えられた。


 中学卒業式を控えた三月某日の夜ー「世界が砂になった」夜、俺の心は壊れた。

 

 もし(ぶん)(じょう)学園に入学しなかったら、夏海と同じ地元の千葉にある、公立の中学校に進学していた。しかし今思うに、夏海と同じ中学に進学していたとしても、俺は彼女にフラれていただろう。そう思える程に、当時の夏海の彼氏と俺にはスペック差があったはず。

 それでも、夏海と同じ中学に行っていたら、小学生時代の彼女の存在を俺の中で肥大化させずに済んだ。海夏という少女に恋するロリコン男にならずに済んだ。

 ー言い訳だろうか? 「中高時代の青春を全て勉強に費やし、東大に入った結果、ロリコンになった」というのは、言い訳だろうか? 

「小学生時代の俺」の自己責任? 「十八歳未満(みせいねん)だった時代の俺」の自己責任?

 ……まあ良いさ。誰が何と言おうと、今の俺の主張は変わらない。


「大人に勉強ばかりさせられている男の子は、大人になって将来ロリコンになる」、という主張は。ましてや、「良い大学に行って、良い会社に入らないと、将来大切な人を幸せに出来ない」等と傍で囁き続ければ尚更。「未来(しょうらい)」の為に「現在(いま)」を犠牲にした男の子のなれの果てが、今の俺だ。

 一人の少女を大人になってから幸せにできるよう、勉強し続けた男の子のなれの果てが、今の俺なのだ。




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