序:3話
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六月に入った。俺は今、教師のみ立ち入り可能な事務室で資料を整理している。時刻は十五時。まだ生徒達の放課後では無いが、教師陣は十五時には出勤してその日の授業資料をまとめる事になっている。
塾長と俺しかいない事務室。五十歳の、男性の塾長だ。
「渡君は、後一年はこの島に居る予定なんだよね?」
「はい」
パソコン画面に視線を向けたままデスクワークをする俺は、同じく資料整理中の塾長に返事する。
「大学の方は大丈夫なの?」
「休学可能な期間としては大丈夫です」
「いっそこの島で働いちゃえば良いのに。正社員で雇うよ?」
「……ありがとうございます」
その考えは、俺の中にある。東大を辞め、地元と縁を切り、この島で一生暮らす道。
ただ悔恨があるとすれば、東京大学に入学する為に、俺が十代の大幅な時間を犠牲してきた事。したくも無い勉強を親から、教師からさせられ、初恋の人と別の中学に進学しなければならなかった。
小学校の時、本当は陸上クラブかバスケクラブに入りたかったんだ。それが夏海に相応しくなる方法だと、当時思っていたから。でも我慢して進学塾に通っていた。
全ては、最高学府である東大に入る為。俺の両親も、小学生の頃通っていた塾の教師達も、中高一貫校だった母校の教師達も、皆口を揃えてこう言っていた、「将来大切な人を幸せにしたければ、東大に行け」と。その魔法の言葉は、小五だった俺の心によく響いた。
「好きな人に好きになって貰うには、もっと勉強頑張らなくちゃ」と。「十八歳になって東大に入れたら、その未来で好きな人に振り向いて貰える」のだと。
誰かから反論があるかもしれないけど、俺はこう考えている。
「俺は初恋を犠牲にして東京大学入学を手に入れた」と。
もしそれが親、教師含めた「勉強を強制させた大人達」への責任転嫁であり、この現在が俺の自己責任だとするならば、こう言い換えよう。
「東大なんか目指さなければ俺はロリコンにならずに済んだ」と。
初恋の少女と同じ中学に進学していれば、少なくとも初恋の少女を美化せずに済んだと。
(何歳までが親教師の責任で、何歳からが俺の責任だったんだ? 小六まで? 中三まで? 高三まで? 十八歳まで? 二十歳まで? その線引きの理由は?)
今となっては、誰かにこの問いに答えて貰う事は、何の意味も持たないけれど。
……とはいえ現在も日本が学歴社会なのは事実。東大を卒業した方が人生を有利に進められるかもしれない。だが、この島で出逢った初恋の形をした少女、海夏と離れたくない。
この島を去ってしまったら、もう二度と初恋を手に入れるチャンスはやってこない。
等と、心の中で葛藤していると唐突に塾長が、
「渡君、ちょっとお願いがあるんだけど。君、家庭教師の仕事に興味無い?」
「いきなりどうしたんですか?」
俺は視線先をパソコンのモニターから、俺と同じくパソコン作業をしている塾長の方へと変える。
「前も話したけど、この塾は個別指導、集団指導に加えて家庭教師の指導も行っている。種子島の学生の数は本土と比べて少ないからね。加えて中種子町内の塾はウチしかない。だから家庭教師業もウチが兼任せざるを得ない」
「はい、覚えています」
「種子島とはいえ不登校の生徒は少なからずいる。そんな生徒達の為に午前、午後の時間帯に指導して欲しいんだ」
「構いませんよ。それで、生徒さんは誰ですか?」
「ウミカちゃんだ」
そう言うと思った。同時に、俺は得心した。ここしばらく、海夏が塾を休んでいた理由に。
「何があったんですか?」
「分からない。何が原因で不登校になったのか調べる為にも、彼女の家庭教師になって欲しい。普段の個別指導中の様子を見るに、君が教師の中で一番彼女から信頼されていそうだからね」
当然、その申し出を快諾した。
三日して、俺は海夏の家へバイクで向かった。月曜の十一時……普通の学生なら登校している時間に。
海夏の家の玄関に立つ。
その家は周囲の家より一回り大きく、新築かというほど清潔感のある外観だった。ここは住宅街の中心なので、他の家の外観も覗けるが、どの家も年季が入って古びている。
種子島の労働者は畑仕事や工事現場に携わっている方が多い。あるいは警察官、消防士、市役所勤め等の公務員。「だから年季が入っている」等と失礼な事を言う訳じゃないが、他の家の年季の入り具合を考慮に入れても、海夏の家があまりに豪邸過ぎるのだ。
この島でこんな家に住める職業を、俺は一つだけ連想できる。
「あ、先生初めまして。ウミカの母です」
インターフォンを押すと、長い黒髪の綺麗な女性が扉を開けて、愛嬌良く現れた。三十代前半くらいに見える。十一歳の海夏の母親なんだから二十代後半でも一応、あり得なくはないか。
「渡先生の話は前々よりウミカから聞いておりました。どうぞ、こちらへ」
母親に案内されるがままに、家の中へと足を踏み入れる。ちなみに俺の今の恰好も私服。
種子島が自由な島である証なのか、仕事でスーツを着る状況に出くわした事が無い。
「ウミカ、先生が来たわよ、入るわね」
海夏の部屋の扉を二、三度ノックしてから、扉を開ける。母親と共に部屋の中へ。
視界に入ったのは、学習机と、サンリオのキャラクターが描かれたシーツの敷かれたベッド、そして花柄のカーテンが敷かれた窓。
etc可愛い物が一杯。ぬいぐるみなんかも本棚の上やベッドの上に配置されている。
(女子の部屋とはこういう雰囲気なのか……入ったの、これが人生初だから知らなかった)
海夏は、ピンク色の掛布団に芋虫のようにくるまっていた。
チョコリと掛布団の中から顔を出す。目元が濡れている。
「せん……せい」
だみ声だ。これで、学校で何も無かったなんてあり得ない。
「先生、後はお任せして良いですか?」
「ええ、大丈夫です。僕と二人きりの方が話しやすい事もあるでしょうから」
母親は俺に一礼してから、部屋から出て扉を閉めた。
すると海夏がベッドから出て立ち上がった。桃色の寝巻姿だ。
「こんな格好で済みません……」
「気にしないで。俺が今日からウミカの担当家庭教師になったよ」
「そう、ですか。ありがとうございます……」
ここで彼女に「何か学校であったのか?」と聞きたい所だが、その質問はまだ早い気がする。どう見ても、今海夏は落ち込んでいるのだ。彼女を元気づけられる何かを先にしてあげたい。
だから、
「ウミカ、バスケをしに行かないか?」
「……へ?」
「前に教えてあげるって約束しただろ?」
海夏が小さく首肯する。
そんな彼女に俺は、柔い微笑みを向ける。「彼女の恋人になりたい」という下心を隠した微笑みを、向ける。
俺はバイクの後部座席に海夏を乗せ、走り出す。目的地は、俺のアパート。
正確には、アパート横のストリートコートへ。
中種子町中心街を抜け、山あり谷ありの、蛇のような山道を行く。左は山、右はガードレール。ガードレール外には何本もの林が生えている。時速三十キロで飛ばしているバイクから見える景色は、木々が次々と後ろに消えて、入れ替わっていく。既に潮風がここまで届き始めている。
「風が気持ち良いだろ? ウミカ!」
俺の背後に座る、ヘルメットを被った海夏に問うと、
「先生、怖いです!」
俺の胴部に手を回す少女が更に強く俺の腰にしがみつく。
俺のアパート……ストリートコートに着いた。時刻は十四時、太陽光が容赦無く降り注ぐ。平日だから、だいたい後二、三時間すれば学生がやってくるだろう。
バイクから降りた俺達は、メッシュジャケットとライディングパンツを脱ぐ。お互い、運転中に転倒でもしたら大変なので、海夏にもバイク用の格好をして貰うしかなかった。
俺達二人共、既に中からバスケットウェアとバスパンを着込んでいた。
「ウミカはこのコートに来るのは初めてか?」
赤いリストバンドを右の手首に付けながら、訊く。俺はバスケをする時いつも、バスケの神様と呼ばれたマイケル・ジョーダンをリスペクトして、これを付ける事にしている。
「お父さんに乗せて貰った車で何度か通った事は……」
ここは国道沿いにあるので、車を所有している種子島市民ならこのコートの存在は知っているかもしれない。
「お父さん」という海夏の言葉に反応し、こう尋ねたくなった。
「そういえばウミカのお父さんってどこで働いてるんだっけ?」
「……JAXAで働いています」
「JAXAで働いてるのか! スゴイな!」
海夏の大きくて清潔感のある家を見て、初めにJAXAを連想した。実際の所、他の職種とどれ程給与が違うのかは知らないので、あくまで俺の偏見だが、種子島を代表する企業と言えばJAXAだろう。
「お父さんは元々種子島の人?」
「いいえ、茨城の宇宙センターからこっちに転勤してきたと言っていました」
JAXAなんて、入社するの相当難しいんだろうな……。
……と、こんな話をしていても海夏を元気づける事は出来ない。
俺は一度、コートに隣接したアパートの自室に戻った。そして小学生用の五号ボールと大人用の七号ボールを持ってきた。五号ボールの方を海夏に投げ渡す。
「ちょっとシュートとドリブルをしてみてくれ」
どの程度の実力かは、見れば分かる。海夏は小四から始めたと言っていたから、それなりの実力がある筈。
約十分間、一人でゴールに向かってシュートを放ち、自主練している海夏を観察してみた。
結果、彼女の実力はそれ程悪くないが、良くもない、二年間の経験者としては平均点という判断を心の中で下した。「バスケが下手だからクラブでハブられた」と判断してしまう程下手ではない。ならば、クラスの方で何かがあったという訳だ。
小学校での虐め……夏海も一時期虐めに遭っていた事を、今でもよく覚えている。
★
小六の秋、クラスのホームルーム中。俺達の担任の先生だった小木道子先生は虐めっ子達に対し激怒していた。女性の先生だったのだがとても男勝りな性格で、曲がった事が大嫌いな人だった。
その熱血的な指導姿勢から、多くの生徒から慕われていた。当時の、何も知らない純粋なーいや、「無知」な少年だった俺も、その一人。
思った事をはっきりと言うタイプの先生だった。教壇に立つ先生が説教する姿と、教室中の三十人の児童達がそれを黙って聞く姿を、最後列の席だった俺はよく覚えている。
「ねえ、アンタ達、夏海がアンタ達に何かした? してないよね? 確かにさ、夏海はアンタ達より見た目可愛いし、男子の人気者だよ。飛び抜けて人気者だよ。誰にでも優しいし、いつだって笑顔を崩さない。確かに、ぶりっ子にも見えるよ。でもだからって女子全員で無視して良い理由になる? そんなの、ただの嫉妬じゃない?」
三十人の生徒達。その中で、首謀者と思わしき女子児童数人が泣いている姿と、虐めに遭っていた夏海本人が泣いている姿も、合わせて覚えている。
当時のガキ過ぎた俺はその日まで、夏海が虐めに遭っている事実にすら気づかなかった。
そんな自分の鈍感さを、今思い返しても腹が立つ。結局、当時夏海に対する女子全員による「無視」の虐めの中、積極的に話しかける事で彼女を救っていたのは、夏海の親友だった女子「伊藤愛」と、クラスのイケメン男子三人だ。伊藤愛も、小木先生に負けじ劣らず男勝りな性格だった。一時期、一人称が「俺」だった記憶すらある。
俺は当時、本当に鈍感な男だった。友達に「天然」と呼ばれ、それを揶揄ではなく誉め言葉と受け取るくらいに鈍感だった。女子に「可愛い」と呼ばれて喜んでいるような、情けない男だった。そんな男だったのだから、夏海と結ばれなくて当然だ。八年経った今も、俺の本質は変わっていないのかもしれない。
今、八年経て成長した俺ですら、当時小木先生や伊藤愛が持ち得ていた「熱さ」までは持ち得ていない。あの「熱さ」は俺の生まれ持った気質では手に入らないのだろう。だから、今目の前で苦しんでいる少女ー小橋海夏を虐める者達を、「熱さ」を持って追い払う事なんて出来ない。
であるならば、
当時の「天然」で「可愛い」俺では出来ない事はーこの八年で手に入れた力は、
「学力」……そして、「バスケ」ー俺が彼女に与えられるのは、この二つ。
☆
「ウミカ、お前に俺の必殺技を授けてやる」
「へ? ひっさつわざ……ですか?」
言うと、俺はその場でドリブルを始めた。
次に、スリーポイントラインの外側から鋭くドライブ。
「レイアップですか?」
海夏が叫ぶのが聞こえたが、レイアップじゃない。俺が彼女に授けたい技はその応用技。
俺はゴール下の長方形エリアと長距離エリア(スリーポイントライン)との間ー中距離エリアからレイアップを放った。風船を空に放つように、ボールをフワリと宙に浮かして。
「そんな遠いとこから?」と叫ぶウミカの声。
宙を遊泳するボールはそのままリングに触れずしてネットの中に吸い込まれた。
「は、はいっちゃった……スゴイ」
(痛ってぇ……)
着地の時、左脚に痛みが走った。どうやらもう剥離骨折の症状が出たようだ。
だが海夏に俺の爆弾に気付かれるワケにはいかない。人に教える立場の人間は、生徒に「強い人間だ」と思われなくてはいけないからだ。「弱い人間だ」とは決して思わせてはいけない。
俺が「弱い人間」だと、彼女に不登校から立ち治るだけの自信なんて与えられるワケが無い。
痛みを隠し、彼女に説明する。
「今のをスクープ・シュートと呼ぶ。ゴール下に自分よりデカいプレイヤーがいる時に、ブロックされない為に使う技だ。百六十五センチしかない俺や、百四十センチしかないウミカ……俺達スモールプレイヤーが大きい選手に勝つ為の技だ」
「レイアップを遠くから打つ技ですか?」
「厳密には違うけど、大体そんなイメージ。ウミカはレイアップがちゃんとできているから、必ず使えるようになるよ。『スラムダンク』の山王工業のエース、沢北が桜木に使っていた『へなちょこシュート』って言えば伝わる?」
「スラムダンク読んでないです……」
そうか、海夏達の世代じゃないか。俺もどちらかと言うと「黒子のバスケ」の世代な方だけど。
「スクープ・シュートとは別に『フローター・シュート』ってのがある。こっちはジャンプシュートを打つ時に手首を曲げずに、『浮かせて』打つシュートだ。『レイアップ・シュートを浮かせて打つのがスクープ・シュート』、『ジャンプシュートを浮かせて打つのがフローター・シュート』……って分け方で考えておけばいい」
「む、むりですよ。ウミカには……」
……なるほど。海夏と夏海の相違点を少し、垣間見た。
困難が目の前に立ちはだかった時、夏海は臆する事なく挑戦する少女だった。海夏は、自分には出来ないと決めつけている。
やればできるのに根底に自信がない少女。子供の頃の俺は「自信で満ちた」夏海に憧れていたが、今の俺は「自信を持てない」海夏に共感を覚える。
「憧れてしまう少女」であるか「共感できる少女」であるかの違い、か。
「ウミカ……俺さ、こう見えて小学生の頃、マラソン大会万年ビリのスポーツ音痴だったんだ」
「え? 先生がですか?」
「ああ。それでも中学で陸上部滅茶苦茶頑張って、三年前までビリだった男が一位になるまでに成長できたんだ。バスケだってそう。高校一年で始めた頃は毎日先輩達に怒鳴られまくるくらい才能が無かった。でもだからこそ、朝六時には来て誰よりも早く自主練したし、部活後も皆居なくなったコートで練習しまくった。土日は必ず地元にあるストリートコートに行って、黒人プレイヤー達に練習相手になって貰っていた」
「こ、黒人ですか?」
「うん。そういった経験の上に今の俺があるんだ。だから、やれば必ず上手くなれる。ウミカには自信を持って欲しい。大丈夫、俺がちゃんと上手くしてみせるから」
この子に足りないのは、きっと自信だ……小学生時代の俺と同じく。
想い出の少女、夏海が持ち得ていた自信を「根拠のない自信」と名付けるならば、それは俺や海夏には一生かかっても手に入らない類の自信だろう。
だけど「根拠のある自信」ならば……積み重ねた上で手にする自信ならば、俺なんかでもこの少女に与えてやる事ができる。
(……なんて思ったりしちゃって、要はバスケで彼女に好かれたいだけなんだろうな、俺は)と、自嘲を挟む。
でもさ、普通じゃない? 好きな女の子に好かれる為に本心隠してアレコレするなんて。
その対象が、少女か、女性かの違いだけ。
それから二週間、三週間、一ヶ月……と時間が過ぎていった。
朝九時から昼の十四時までは、俺の家の横のストリートコートでバスケのマンツーマン指導。
十六時から二十時まで海夏の家で勉強の指導。そんな日々が流れていった。
今日は八月二十日の十三時。空には灼熱の太陽。現在、ストリートコートで指導中。
海夏の小学校は、既に夏休みに入っている。
「そう! 今の感じだ! ちゃんと本番を意識出来てきている!」
「はい!」
俺がディフェンス役になり、海夏のシュートをブロックしようとする。彼女は俺のブロックをかいくぐり、スクープ、あるいはフローター・シュートを放つーそういう練習法。
彼女のスクープ・シュートは今週、まだ一発も決まっていない。だがそれは俺がディフェンスになっているからだ。先週まではディフェンスのいないノーマーク状態でも外していた。
それが「ディフェンスさえいなければシュートが入る」所まで成長した。三週間でちゃんと成長した海夏を感じる。
「ハア……ハア……」と息切れし始めている彼女を見て、
(ちょっとハードにさせ過ぎているな)と思い、
「ウミカ! 休憩にしよう!」
「まだ……頑張れます!」
「休むのも練習だよ! それに丁度昼時だ!」
「……分かりました」
コート横に備え付けられたベンチに、二人で座る。各々、ドリンクと弁当を取り出す。
「先生……ウミカ、上手くなっていますか?」
俺の顔を見ながら、心配そうに質問を投げかけてくる。
「もちろんだ! ノーマークなら決まっているし、体力も付いてきている」
「クラブに戻ったら、皆に迷惑かけないくらいには上手くなっていますか?」
「……もちろんだ」
答え辛い。十人以上でする集団練習と一人でする個人練習では勝手が違う。彼女の質問に嘘で答えてしまった。しかし、今の彼女に自信を与えるには嘘をつくしかない。
「先生、ウミカ……『ぶりっこ』だと思いますか?」
今度は俯いて、落ち込んだ表情で俺に問う。
「どうした? 急に」
と、質問しながら俺は「ようやく相談してくれる気になったか」と思った。
「どう思いますか?」
「……ぶりっこなんかじゃないと思うよ? どうしてそんな事が気になるの?」
「言われたんです、友達に『ぶりっこ』だって。自分の事を『ウミカ』って呼ぶの、ぶりっこなんでしょうか?」
「……俺は個性だと思うよ、それは」
実は、小学生時代夏海も自分の事を常に「ナツミ」と呼んでいた。二十歳になった今はどうだか知らないけど。想像だけど、それが当時の夏海が一時期虐められた原因の一つだと思う。
他人と違う事をする事……そんなに咎められるべき事なのだろうか?
「『私』に直すべきなんでしょうか? どう思いますか?」
「それはウミカの好きにして良いと思う。自分に自信を与えられる一人称を使うべきだと思う」
「ずっと自分の事『ウミカ』って呼んできたから、今更『私』って呼ぶの、おかしく感じちゃって」
苦笑いして見せる。
「なら、『ウミカ』で良いよ。周りがどう思おうと、『ウミカ』を貫いて欲しい」
……自分で言っていて、「小六の少女に酷な選択肢を強いているだろうか?」と思った。それは彼女に「他人と違う事をしろ」と言っているようなもの。「『私』と改めるべき」と言った方が、仲間外れにされない可能性が高いのではないか?
だけど、俺が「他人と違う事をして」生きてきた人間だから、海夏にもこちら側で居て欲しいという思いがある。高校を転入して、一浪して、休学してしまったような俺は、既に「他人と違う事をして」……「常識的な価値観とは違う事をして」生きてきているのだから。
加えて……「部活内での衝突」を、俺は最後まで解決出来なかった人間だ。
俺は高校生活をバスケに捧げた。だが常に仲間とぶつかっていた。「夏海の彼氏を公式戦で倒す」という目標に執着していた俺は、常に仲間と戦ってバスケをしていた。
故に俺はそもそも教え子に、「仲間外れにされない生き方」を教えられない。ただ勉強がちょっと出来て、バスケがちょっと上手いだけの人間なんだ、俺は。
「そう……ですよね。『ウミカ』の方が良いですよね」
僅かに笑みを取り戻した。
俺には分からない。彼女にこの選択をさせた事が、正しい方法だったのか。
ただ俺の中には安心感があった。彼女が俺と同じ『常識的な価値観とは違う生き方』を選んでくれた事に対する仲間意識……『卑しい』安心感が。
「お、ハルさん! お疲れ様っす!」
誰かが俺の名を呼んだ。声の方に向くと、国道から自転車に乗った、七人の制服を着た集団がこのコートに向かってきているのが分かった。
あの集団の内、四人の男子は見覚えがある。よくこのコートにやってくる常連だ。四人は男子、残る三人は女子。鹿児島県立中種子高校のバスケ部だ。
この時期は高校生達も夏休みに入っているから、こんな時間にやって来る事ができるのだろう。
「おお、君らか。今日は女バス連れか」
バスケ部には陽キャ、リア充と呼ばれる人種が多い。女子連れでやってくるバスケ部はザラだ。俺の地元、千葉県にあるストリートコートにも女とコートに来る奴は多い。
根が陰キャ側な俺は、「強くなる為に仲間は不要」というスタンスだから、コートに行く時は基本お一人様だ。
「部活終わりっす! 今日こそハルさんに勝ちにきました!」
自転車を留め、七人がコートに足を踏み入れる。三人のJKを見ると、可愛い女子ばかりだった。身長は順番に約百五十、百六十、百七十くらい。髪型はミディアムヘア、ショートカット、ポニーテール。スタイルは皆、バスケをやっているだけあって、とても引き締まっている。
バスケをやっている女子には、見た目が可愛い女の子が多い気がする。ロリコンの俺の目線からしても綺麗な子ばかりだ。試合中、この子達の視線は相当気になるだろう。
四人の男子が制服を脱ぐ。バスケットウェアとバスパン姿になった。
「今日はどういうルールにする? 五人だから二対二? それとも一対一?」
「一対一でお願いします! 俺達四人とローテーションで!」
「ウミカ、申し訳ないけど、ちょっとだけ時間をくれるか?」
「全然大丈夫です! 先生が勝負する所、見てみたいです!」
瞳を輝かせる少女。なんと可愛らしい。どうしよう、好きな女子(小学生)の前で良い恰好を見せたくなってしまう。
「へえ、ハルさんがロリコンだったとは知らなかった」とニヤつく高校生男子。
それに対し「いや、塾の教え子だから」と言い訳。
「俺達四人共、部活終わりで体あったまってるから直ぐ動けるけど、ハルさんは?」
「俺も動けるよ、直ぐ始めよう」
こうして俺と四人の高校生による一対一が始まった。