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エピローグ(ハルサイド)

☆エピローグ

「どうして? どうして私とは付き合えないんですか? 私が小学生だからですか?」

 塾の校舎裏にて。

 俺の目の前で、髪の短い小学六年生の女の子が、顔を赤くして訴える。

「違うよ、そうじゃない」

「なら何で……?」

「俺、好きな人がいるんだ」


 校舎内に戻る俺。教師陣の待機室内にある長椅子に座り、缶コーヒーを飲む。

「センパイ、また生徒に告られたんですか?」

「うぉ! お前いたのか!」

 後ろから声を掛けてきたのは、塾バイトの後輩。

「センパイ、なんか小学生にやたらモテません? ロリコンなんすか?」

「ロ、ロリコンじゃねえし!」

 俺は小学生が好きなんじゃない。一億分の一……あるいは七十億分の一の、たった一人の女性しか愛せない人間なだけだ。「一生に一人の人」しか愛せない人間なだけだ。


あれから三年弱の月日が流れた。季節は、四月。

俺は現在、東京大学の新四年生。後一年で、社会人。

 結局、種子島から千葉に戻ってきて始めたバイトは、塾バイトだった。種子島で一年半も続けた分、生徒への指導の仕方も分かるし、東大生という身分はやはりどの塾でもそれなりに重宝される。

 夏海とは、あれから会っていない。彼女の家の傍を通らないよう、最寄り駅までは遠回りなルートを選んで通っている。

 俺にとって、それくらいに高木夏海という初恋の女性の存在は、傷口なのだ。

 この傷口は、いつ治るのか分からない傷口。

 いつか治したい傷口。傷薬が届く日を、俺は待ち続ける。



「なんて、な」

 東京大学校舎内。四限の講義が終わり、最寄り駅である「東大前駅」へ友人の一人と向かっている最中。

「何が『なんて、な』なんだよ?」

「え、俺なんか言った?」

「言ったよ」と、訝し気な目で俺を見る友人。

 でもさ、

 言える訳ないじゃん? 小学生の少女が大人になるのをずっと待っているなんて、誰にもさ。

 親にも友人にも、誰にも言えない。

 俺はただ、胸の内にひた隠しして、その日を待つだけ。


 ……とはいえ、あまり期待し過ぎないようにしている。そういう意味での「なんて、な」だ。

 あれから三、四年も経つんだ。海夏も今頃は高校一年生になっている筈。

 もしかしたら中学生時代に、俺なんかよりずっと素敵な男子中学生に出逢ってしまったかもしれない。

 高校に進学して、今頃同級生のイケメン男子に心奪われているかもしれない。


 俺の事なんか、スッパリ忘れているかもしれない。


 俺は、それはそれで構わないと思っている。

 彼女が、それで幸せになれるなら、全く構わない。

 ……ウソついた、全くでは無い。でも、そうなる結果への覚悟は出来ている。

 俺が四年間も彼女を待ち続けているという現状へのーこれから三年も待ち続ける事になる未来へのー「彼女が大人になるのを待つ時間」が無駄に終わるという結果への覚悟は、出来ているんだ。

《大人になったら、必ず逢いに行きます》ー俺が彼女を待つ理由は、あの手紙の言葉だけで充分。

 後たった三年なんて、余裕で待ち続けられる。

 

「お前さ、なんで彼女作らねえの?」

「え? なんでって……出来ないからじゃない?」

「お前背低いけど顔悪くないし……てか、どっちかって言うとカッコイイ方だし。しかもバスケ上手いだろ? それに俺ら曲がりなりにも東大生だぜ? 言い寄られた事くらいあるだろ?」

「……俺が女に興味無いから?」

 いつも通り、適当にはぐらかす。

 世間的に見たら十八歳以上と以下が恋愛関係にあるだけでマズイのだ。誰にも話せる訳が無い。ましてや、小学六年生の女の子と恋愛関係にあった過去等、尚更。

「そういえばお前、今のバイト先に就職するんだっけか?」

「ああ」

「なんであんなヘボい塾なんだよ。お前ならもっと良いとこ狙えるだろ?」

「まあ、ね。だけど、最低二年はいようと思っている」

「なんで二年?」

「……なんとなく!」


 今年と合わせると、三年後まで、だ。

 俺は今の塾のホームページに本名と顔写真を載せている。

「渡 春」で検索すれば、塾ホームページの「教師陣紹介」のコーナーがヒットする。

 ホームページには、塾の住所も記載されている。

 

 あの子が俺を探し出す事が出来るように、俺はあの塾に後三年、居続けなければならない。







 ただいま午後十六時、塾内。まだ生徒達は学校で、誰もいない。

 俺は入口付近に設置された指導机に座り、次の個別指導の授業資料をまとめている。

 紙の束をトントン、と叩いて整えながら、海夏の事を想い出す。

 暇さえあれば彼女を想う事が、この三、四年間の癖になってしまっている。


 これも頻繁に考える事だ。三年後、もし大人になった海夏が目の前に現れたら、俺は当時の気持ちのまま彼女を受け入れられるだろうか? と。

 背が高くなっているだろう。髪も染めているかもしれない。大人らしいファッションになっているだろう。ネイルなんかも塗っているかもしれない。大人になった夏海のように。

 ーいや、容姿以上に、心、の方だー。

 心が変わってしまった海夏を目の当たりにした時、俺はどんな感情を覚えるのだろう?

 失望……してしまうだろうか?

 俺は、大人になった夏海が、大嫌いだ。

 容姿が大人になったからじゃない。茶髪だからとかじゃない。

 俺にアレだけ酷い言葉を投げかけてきた女を、好きでい続けられる訳が無い。

 だが、それと同じ感情がー、

 それと同じ感情が、大人になった海夏を見た時、湧き上がってしまうんじゃないだろうか?

 まあ、それは……、

(それは、俺のエゴだよな)、と自覚している。

 海夏がどういう風に変わったのか、変わりたいのかなんて、俺に止める権利は無い。

 海夏も、夏海のような心に変わっていくのかもしれない。

 それすら受け止めた上で、俺は海夏を待っているのだ。最低でも後四年は、彼女を想って努力して生きていく事が出来る。前向きな気持ちで、努力して生きていく事が出来る。


「ー渡君! 渡君!」

「え? あ、はい。なんですか塾長?」

「いや、なんかボーッとしているから心配してさ。君、たま~に魂がどっかに抜ける事あるよね?」

「あ、ああ……すみません」

「……まあ、良いよ。君、生徒達に人気みたいだし。それよりさ、君が新しく担当する生徒が出来たんだ」

「新しい生徒、ですか?」

「うん。高校一年生の女の子なんだけど、お願い出来るかな?」

「構いませんけど……」

「高校がもうすぐ終わるから、十六時半に挨拶しに来る事になっている。律儀な子だよね、わざわざ塾の先生に挨拶しに来るなんてさ。……お、来たよ」

 ガチャリ、と扉が開かれる。

 スーッと、学校指定の茶色いローファーが、塾内に踏み入れる。


 その少女はー、


 紺色のブレザーに適切な長さのスカート。靴下も長過ぎず、短すぎない。

 頭の天辺から足下まで、学校規定を守りつつも、少女の魅力を損なわない体躯。

 背は百五十センチあるか無いかの小柄。髪は、真っ直ぐ長く、美しい黒。

 顔はー初恋の形をした少女。

 ーいいや、そうじゃない。二番目の恋の形をした少女。


「さぁ、この人が今日から君の担任になる渡春先生だ。君も挨拶してくれ」

 後ろで手を組んだまま、少女が笑顔で首をかしげー、


《初めまして、ハル先生! 小橋海夏です!》


「聞いての通り、今日から君の生徒となる『熊井(くまい) (みなみ)』さんだ」

「よろしくお願いします!」

 長い黒髪の少女の顔が、ぼやけて変わる。

 可愛い顔立ちをした、知らない少女の顔へ。

 俺の初めて見る、知らない少女の顔へ。待ち人では無い少女の顔へー。

「あ……ああ、よろしくお願いします……」




 結局この物語は、俺が小学生と付き合う事に成功して精神的に成長する話なんかじゃなかった。

 想い続ける小学生女子の対象が変わっただけだった。依存先が変わっただけであるように感じる。

「少女への依存」ーこの本質が変わらない限り、俺は俺が精神的に成長したなんてちっとも思えやしない。

 それは認めるよ。だけどさ……もし、

 もし既に、あの子に好きな人が出来ていて、俺の事なんか忘れてしまっていたとしても、

 俺は二度と、同じ過ちを繰り返さない。

 今度こそ好きな人に、

「君にとっての幸せは、俺にとっての幸せだったよ」と、言える男になりたい。

 そう言える男になる事が、俺の願望だ。

 いくら思考を巡らせても、未だに「好きな人の幸せを自分にとっての不幸」だと考えてしまう、弱い俺の願望。

 好きな人が、俺以外の誰かを好きになってしまう事を怖がる、心の弱過ぎる俺の願望。

 


 もし既に、あの子に好きな人が出来ていて、俺の事なんか忘れてしまっていたとしても、

「君にとっての幸せは、俺にとっての幸せだったよ」と、言える男になりたい、今度こそ。




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