急:4話
☆
三日後の朝、俺は塾長に事務室へ呼び出された。シフトが入っていないにも関わらず。
「アキヤ君が私にこの写真を渡してきたよ」
机を挟んで、椅子に座ったまま向かい合う俺と塾長。彼が机の上に一枚の写真を置く。俺と海夏がキスしている写真。
「これはどういう事かな?」
「……」
「生徒と教師の恋愛……教育界じゃ一番にタブー視されている行為だ。それは本土でもこの種子島でも同じだ」
「はい」
「日本の性的同意年齢は十三歳。十三歳未満に対しては、真剣交際で相手が同意していようとも、刑法による『強姦罪』や『強制わいせつ罪』が成立する。ウミカちゃんは、まだ十一歳だ」
「……」
「それに加え、東京と種子島では、更に事情が異なってくる」
「どういう、事ですか?」
「そんな事も分からないのか? 種子島は狭い。小学生時代に教師と恋愛したなんて事が他の島民にバレれば、噂はたちまち島中に広がる。つまり、ウミカちゃんの今後の人生にも大きな影響を及ぼすという事だ。中学、高校を種子島の学校に進学するなら、彼女の周囲のクラスメイト全員がその事実を知る事になるだろう」
「……」
「君も良い年だろう? そこまで考えが及ばなかったは、もう通用しない年齢だ」
「……」
「この写真を、警察に届ける事まではしない。君の人柄はこの一年弱の中でよくわかっているつもりだ、悪い人間では無い事ぐらいは。アキヤ君も他の生徒にこの写真を見せびらかして歩き回るような性格はしていないだろう。……だがねー」
塾長が目をつむる。その場に、暫くの沈黙。
目を開き、再度口を開く。
「だがね、君をこの塾に置いておく訳にはいかない。それくらいのケジメは仕方ない事だろう。君は、東京に帰った方が良いと私は思う」
「……はい」
とその時、扉を何回かノックする音。
「私です! ウミカです! 開けて下さい!」
扉越しからの声。
塾長はゆっくり立ち上がり、扉の鍵を外す。
扉が開かれ、ショートヘアの少女が姿を現す。エクステはもう外したようだ。
海夏が扉を閉め、鍵をかける。
「渡先生は悪くありません! ウミカが無理矢理先生にキスしたんです!」
毅然とした態度で、塾長に抗議する。
「ウミカちゃん、君は下がっていなさい。これは大人の問題だ」
「嫌です!」
強い目を持って、塾長の目を真っ直ぐ見つめる海夏。
今の海夏は、夏休み以前の、他人に合わせるばかりで、他人に嫌われる事を怖がっていた頃の海夏とは、全く別人に見えた。
「どうして……どうして大人と子供が付き合っちゃいけないんですか?」
「それは、君が本当に渡先生を好きじゃないかもしれないからだよ。ただ雰囲気に流されたり、一時の感情だけで恋をしているだけかもしれないからだよ」
「一時の感情なんかじゃありません! これから先、変わるつもりはありません!」
「中学、高校と上がっていく内に、素敵な男性とはどういったものか、君自身の目が養われていく事になる。君はまだ、君自身が思っている程、男性を見極める目が養われていない」
「そんな……こと…………」
言葉を探している海夏。だが反論の言葉が見つからないようだ。俯き、黙ってしまう。
そんな彼女を見かねた俺はー、
「ウミカ、良いんだ」
「せん……せい……」
「こうなる事は、初めから分かっていた。君に出逢った日から、分かっていた」
「そん……な……」
「塾長。一年間、お世話になりました。ご迷惑おかけして申し訳ありません」
椅子から立ち上がり、塾長に向かって、軽く頭を下げる。
そして、塾長と海夏の横を通り過ぎて、扉を開け、出ていく。
塾の外に出た。
この塾は、中種子町内陸側の国道沿いにある。塾の向かい側にはスーパーが。
(この光景も見納め、か)
感傷に浸っていると後ろから、
「ハル先生!」
海夏の声が。
彼女の方に振り向く。
「先生! ウミカ達、終わりじゃないですよね? 先生は、ウミカと両想いになりたいんですよね? これからですよね?」
涙ぐむ少女が、懇願するかのように俺に問う。
「……俺は、君の事が好きだ。でも、塾長のさっき言った言葉に、共感している俺がいる。『君はまだ、君自身が思っている程、男性を見極める目が養われていない』って言葉に。『中学、高校と上がっていく内に、素敵な男性とはどういったものか目が養われていく』って言葉にも。ウミカも高校に上がる頃にはきっと、俺が如何に大した事のない男かに気付いてしまう」
「……凄い男の人って、誰ですか?」
「……」
「ウミカにとって、ハル先生が……ハルちゃんが一番凄い男の人なんです。……ううん、凄く無くてもいい。凄さなんて要らない。ウミカは、ハルちゃんが凄い人だから好きなんじゃありません。ウミカは、ハルちゃんがハルちゃんだから好きなんです」
(それが、まだ男性を見極める目が養われていないって、事なんだよ)ーそれを口にはしなかった。この子が反論してしまうだろうから。
「嬉しいよ、ありがとう。でもー」
俺は入口横の駐輪場に停めたバイクの方に向かう。
それに脚をかけ、
「ウミカなら、俺よりもっと素敵な人が見つかると思うよ」
いつか誰かが俺に向かって投げかけたセリフと、全く同じセリフを、彼女に向けた。
バイクを走らせた、自宅に向かって。彼女から逃げるように、バイクを走らせた。
鏡越しに見える、小さくなっていく海夏の姿。「ハル先生! ハル先生!」と後方で泣き叫ぶ声まで、しまいに小さくなって聞こえなくなった。
どうするのが正しかったのか、分からない。俺が今でも彼女を好きなのは本当だ。
でもこの恋は、初めから不純な恋だ。
俺達の恋は「運命の恋」なんかじゃない、「偶然の恋」なんかじゃない。俺が意図的に起こした、「必然の恋」だ。
全てが計算づくの恋ー初恋の恋とは似ても似つかぬ、打算で満ちた恋。
初恋を諦めきれない男が辿り着いた、亡霊のような恋。
俺が最期に逃げ込んだ場所が、ただ彼女だったのかもしれない。
俺は一生、初恋を忘れられないだろう。
そんな俺に、恋なんてする資格は、一生無いのだ。きっとどんな相手にも常に、初恋の人の姿を重ね合わせてしまうだろうから。
☆
時刻は夕方、俺のアパート。
ストリートコートに立ち、夕焼け空を眺める俺。夏に海夏と見た空と同じ、夕焼け空。
エナメルのバッグを、ベンチに置く。
荷造りはもう済ませた。いつでも種子島を出発出来る。
彼女とこのコートで過ごした夏は、一生忘れないだろう。
初恋の想い出と同じくらい大切な、二度目の恋の想い出を、一生忘れない。
「そして二度と、恋なんてしない」
誰が聞いている訳でも無い。海に向かって、そう呟いた。
「ー見つけた」
誰かが俺の名を呼んだ。
声の方に向くと、
茶色の長い髪の女性が立っていた。
爪には紅いネイル。上にはボアコートを着込み、下はスラックス、黒い冬用ヒール。
都会の女性、といった印象。種子島では見かけない格好の女性。
背丈は、百五十七センチ。顔はー俺の初恋の少女の顔。
「たか……ぎ……?」
高木夏海ー俺の、初恋の少女ー初恋の女性。




