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破:9話

☆☆

 十二月十九日、日曜。後五日で、ロケットの打ち上げ日。海夏とロケットデートを約束した日だ。

 まだ五日早いのに今日、俺と海夏は早朝から種子島の名所をバイクで回っている。デート、と呼んでも差し支えないかもしれない。

 急に海夏の方から言い出したのだ。海夏の母親も「先生、お任せしても良いですか?」と了承してくれた。彼女の母親とも良好な関係を築けてきている。ただし、「ウミカ、先生の事好きになってしまったみたいなので、適当に流してやってください」と言うセリフを添えて。

 海夏を恋に落とす事に成功した今、次の問題はご両親……だな。どうやって俺と海夏の交際を認めて貰うか。

 ーまあ、それ以前に……俺に海夏と付き合う資格があるかどうか……か。夏海の面影を海夏に重ねている時点で……初恋から逃れられない俺に、彼女と付き合う資格があるのかー?


 まず初めに二人で来た場所は、中種子町に位置する「()(ぶち)()(ぶち)(たき)」。滝のせせらぎを聞く。

 しばらく景色を楽しんでから、またバイクを飛ばし、次の目的地へ。


 国道の海岸沿いにある、「()(たつ)()(たつ)(いわ)」へやってきた。ここは俺のアパートからも近い所にある。

 二つの岩が縄で結ばれている。右の岩には鳥居がポツリと寂しげに立っている。

「渡先生。この岩の言い伝え、知っていますか? 昔ここには、仲の良い夫婦の家が在ったらしいんです。でも嵐の日に崖崩れが起きて、家ごと海に落ちてしまったんです。島の人達はしばらく二人が亡くなった事を悲しんでいたんですが、数か月して突然、崖崩れがあった場所に二つの岩が現れた事に気づいたんです。その二つの岩を二人の生まれ変わりだと思って、『()(たつ)()(たつ)(いわ)』って呼ぶようになったんです」

「流石、詳しいんだね」

「今日の為に前もって調べちゃいました」と恥ずかしそうに笑う。

 ちなみに俺も、海夏から種子島のどこを回りたいのか伝えられていたから、前もって調べてきている。この「()(たつ)()(たつ)(いわ)」を一緒に見た男女は、生まれ変わっても一緒にいる事が出来るという言い伝えがある事も。


 その次に南種子町内にある「浜田(はまだ)海水浴場(かいすいよくじょう)」へ。見渡す限りの砂浜を二人で練り歩き、千人が座れるという言い伝えのある洞窟「千座(ちくら)岩屋(いわや)」の中に入る。この洞窟の中に入る事が出来るのは潮が引いている時のみ。洞窟内の岩々は満潮時に海水の潮を常に吸っている為か、エメラルドグリーンの輝きを持ち、「自然が作り上げた岩のオブジェ」と呼んでも過言では無い美しさを放っている。そんな岩々へ向かって、薄暗い洞窟の外から太陽の光が差し込む事で、洞窟内の景色に神秘性を持たせている。

「何度来ても、ここはとても綺麗です」と隣の海夏が呟くのを聞く。


 その後、いくつかの名所を回りー、

 最期に、種子島最南端に位置する「門倉(かどくら)(みさき)」にやってきた。種子島で一番屋久島と奄美諸島に近い場所。

 既に時刻は夕方。俺達は夕日に照らされながら、木製の柵の先に見える海を眺める。どこまでも果てしなく広がる海は夕焼けに染まり、茜色を帯びている。

 波音と鳥の(さえず)りしか聞こえない、穏やかな空間

「先生……」

 海夏が俯き、頬を紅潮させながら、そっと左手を差し伸べてくる。細くて色白く、綺麗な右手。少女が無言で、俺に手を繋ぐ事をねだる。

 その指先に、俺は幼い頃の記憶を呼び起こした。夏海の指を。


 小五の六月頃だった気がする。林間学校での想い出だ。

 俺達のクラスは福島の磐梯山へ行った。暗い夜の山林でキャンプファイヤーをしたんだ。

 クラスメイト達と手を繋いで輪を作って、焚火を囲んでいた事を覚えている。

 たまたま俺の隣が夏海だったんだ。

「ねえ、はやく握ってよ」

 左手を差し伸ばして、俺を急かす夏海。彼女の手を握る事に躊躇(ためら)いのある俺。

 左側にいる同級生の女子の手は握っている癖に、右側の夏海の手を握る事に躊躇(ためら)いがあった。

 緊張し過ぎて、握れなかった。五月に夏海に恋したばかりだったからだ。

 いつまでも握らない俺にしびれを切らした夏海が怒って、

「そんなにナツミの手、握るの嫌なの?」

 そう言われてやっと、俺はおそるおそる、彼女の手をゆっくり握った。

 どれくらいの強さで彼女の手を握れば良いか分からなかったから、なるべく優しく。

 いいや、違うー弱弱しく、頼りなくー握った。

 


 左手を差し伸べてくる海夏に向かって俺は微笑む。

 彼女の手を、そっと握る。弱すぎず、強すぎもしないよう、注意深く。

 強い力を込めてしまえば、簡単に崩れてしまいそうな程白くて小さな左手を、握る。

 八年もー夏海に恋をしたあの「夕暮れの放課後」から数えるなら、十年もーこの手を握る資格を得るのに、かかった。海夏の手を握りながら、小学生の夏海の姿を思い出している俺は、やはりー「背徳者」だ。

 俺は、弱い。人間として、弱い。

 弱くて、ごめん。君に初恋の人の姿を重ねてしまって、ごめん。

 こんな俺が君の事……好きでいて、ごめん。


 ー

 ーー

 ーーーー何分経ったか分からない。 

 俺達は青色と茜色の混ざった大海原をただ眺めながら、互いの右手と左手を絡め合っていた。

 十二月の冷気は、互いの体温を確かめ合うのには都合が良かった。

 この小さな少女を相手に、俺の心臓は高鳴っている。庇護欲、背徳感、緊張感の三つが俺の中で混ざり合う。

(今日は日曜日。海夏のクラスメイトや知り合いがここにやってきてもおかしくない。互いの手を握り合う俺達の姿を見られたら、どう言い訳しよう)ー等という心配以上に、

(この小さな手を、二度と離したくない)ーそんな想いの方が勝っていた。

 人気の無い岬には、波音と鳥の(さえず)りしか聞こえない。

 そんな静寂の空間を突如打ち破ったのは、海夏の発した一声だった。


「ー高木夏海さんー」


 俺の心臓が「ドクンッ」と、壊れそうな程に脈打った。

(何故、海夏がその名を? やはり、あの時……彼に……?)

「高木夏海さんって、どんな方だったんですか?」

 俺の目を真っ直ぐ見つめる海夏。その顔は無表情だが、口調の方は……怒りでも悲しみでも無い……ただ純粋に、好奇心のみを含んでいる。

「誰から……その名を?」

「ある子に聞いたんです。先生、お願いです、教えてください」

「……どうして、知りたいの?」

「ウミカが、先生の事を好きになってしまったからです」

「俺が……どうしてウミカの事を好きなのか、『ウミカの事を好きな理由』を、知ったの?」

「はい」

「…………俺の事、軽蔑しただろ? 嫌いになっただろ?」

「……いいえ、今でも好きです。先生がバスケを通して与えてくださった自信や勇気は、今でもウミカの心の中にちゃんとあるからです。こんな素晴らしい物をくれた先生の事を、嫌いになんてなりません。それにー」

 海夏の表情が柔い微笑みに変わり、

「ウミカにも、先生のお気持ち分かります。ウミカも、お兄ちゃんが種子島から出て行っちゃって、鹿児島本土の高校で彼女さんを作っちゃったって知った時、とても辛い気持ちになりました。お兄ちゃんを失ってしまった気分でした。だからー」

 ウミカが得意とする「ヒマワリのような笑み」を俺に向けー、

 

「だから、ウミカ達、お揃いですね!」


 眩し過ぎる笑み。庇護欲を掻き立てられる笑み。きっと、クラスメイトの男の子達もこの笑みを向けられて、彼女に惚れてしまったのだろう。

 だけど、海夏は間違っている。幼過(おさなす)ぎるが故に、勘違いしている。

 海夏のその感情は「兄妹愛(きょうだいあい)」だ。俺の感情は「男女愛」だ。

 海夏の想いと俺の想いは、性質が違う。

 先生に兄の姿を重ねる少女と、教え子に初恋相手の姿を重ねる青年じゃ、全然意味が違う。

 違うのは、分かっている。頭では、充分過ぎる程分かっている。でもー、

 恋は頭でするものじゃない。頭でも体でも無い、「存在しないどこか」でするものだ。

「存在しないどこか」ー「心」……だろうか?

 ……臭いセリフだ。思わず自嘲してしまいたくなる。どんな綺麗事を並べようと、俺がこの少女に初恋を重ねている事実は、変わらない。幼い少女を言葉巧みに(たぶら)かしている事には変わりがない。自嘲を通り越して、悲しみが押し寄せて来る。幼馴染にフラれたから、幼馴染に似た小学生に恋している男には、変わらない。

 俺の弱さや、汚さは、変わらない。

 悲しみが、心の器をー満たしていく。俺を好いてくれたこの子への申し訳無さが、心の器の中に満ちていく。

「ウミカ……ごめん」

「?」

「弱くて、ごめん。汚くて、ごめん。君に近づいて、ごめん。君の事好きで、ごめん」

 俺の声には、嗚咽が混ざっていた。

「泣かないでください」

 俺の目から溢れ出て止まってくれない(しずく)を、握ったままの左手を離さないで、右の人差し指で(ぬぐ)ってくれる。壊れやすい物を扱うかのように、細い指を使ってゆっくり、優しく。

 

 少女に依存する男。それが俺だ。無知な彼女の心に付け込んでいるだけだ。

 分かっていても、過去の辛い記憶は消えない。

《初恋の瞬間ー俺の傷ついた額に触れてくれた、夕暮れに照らされた放課後の少女》

《初恋の喪失ー電話越しの、俺と少女の嗚咽。差出人名の無い緑色の封筒。暗闇の中で愛し合う初恋の少女と、背の高い男》

《初恋の復讐ーバスケだけに執着した日々。少女の失恋。少女との再会と、拒絶》

《そしてー【お前にとっての幸せは、俺にとっての不幸にしかならない】という、少女を怯えさせる手紙を送った事。手に入れた東京大学という学歴。少女だった女性に、完全に嫌われた事実》 

 初恋を乗り越える事なんて永遠に無い。「乗り越えたフリ」して生きるしか無い。

 この子を、小橋海夏としてちゃんと見たい。なのに、小学生の頃の高木夏海としか見る事が出来ない。そんな自分に、殺してやりたい程の苛立ちを覚える。

 俺の中の「初恋」を、殺せない。「初恋」を殺さなきゃ、この子と付き合う資格なんて無い。

 資格なんて無い。資格なんて無い。資格なんてー無い。

 それが分かっていながら、俺の涙を(ぬぐ)ってくれるこの少女にこう伝えずにはいられない。


「ー好きだ、ウミカ。ありがとう。」


 許されない言葉である事を自覚しつつ、この「好きだ」には、異性としての好意を越えた、感謝の想いがあった。こんな最低な俺に優しくしてくれる事への、感謝が。

【お前にとっての幸せは、俺にとっての不幸にしかならない】と言ってしまうようなー思ってしまうようなクズである俺に対し、優しくしてくれるこの少女への、感謝が。


「ー私も、大好きです、ハル先生。ありがとうございます」

 その夕日を浴びる海夏の顔は、嫌でも俺に「初恋の日」を思い出させた。



 もうすぐ夕日が完全に沈み切ってしまう。こんな寒い岬にそう長くはいられない。

 俺達は互いの手を繋いだまま、バイクを置いてある入口まで歩いて向かう。談笑を交わしながら。

「ねえ先生。高木夏海さんについてちゃんと教えて下さい。どんな人だったんですか? 先生の好きだった人の事、知りたいんです」

「ウミカみたいな子だった。誰にでも優しくて、ショートヘアで、バスケやってて、運動神経抜群で」

「あ、じゃあウミカとは一個だけ違いますね。ウミカ、運動神経悪いですし」

「ウミカは……自分で思っているより凄い子だよ。マコに勝ってしまうくらいだし」

「それは先生のお陰ですよ!」

「……ありがとう」

「高木夏海さんは、先生の事、なんて呼んでいたんですか?」

「……ハル……ち……」

「え?」

「ハル……ちゃん。ハルちゃん、だ。クラスメイト皆、俺の事そう呼んでいた」

「ハルちゃん、ですね。じゃあこれから、二人きりの時は、ハルちゃんって呼びますね!」

「マ……マジか……」

 子供の頃ならともかく、大人になって「ちゃん付け」されるのは、誰に呼ばれても照れくさい。

 いや、それより。他の誰でも無い、海夏に……、

 海夏にその名で呼ばれてしまえば、俺は今以上に、海夏と夏海を重ね合わせてしまう事になる。

「ダメだ」

「え?」

「俺は、ちゃんとウミカをウミカとして見れるようになりたいんだ。その名で呼ばれてしまったら、俺は益々、ウミカをナツミの代わりにしてしまう」

「……そう、ですか」

 しょんぼりと気を落とす海夏。

 ところが少しして、何かを思いついたかのように、気を取り戻す。

「先生。ウミカ、いい事閃いちゃいました!」

「良い事?」

「それは二十四日のロケットデートの日にお見せしますね! 楽しみにしててください!」

 

 その後、俺達はバイクまで辿り着き、夜闇の林道を二人乗りで駆けて行った。



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