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序:1話

■第一話(序)

 五月の種子島の気温は、本土だったら既に真夏の域の暑さに達している。

 アパートの外に出て、青空を仰ぐ。俺のアパートは海沿いの国道にある。

起きたらすぐ外に出て海を眺める事が、この島に来てからの俺の日課となっている。

宝石のように煌めく砂が散りばめられた海岸。海はエメラルドグリーンとオーシャンブルーが掛け合わさったように美麗。潮のにおいは、関東で過ごした十九年間の絶望を、僅かだが和らげてくれる。カモメ達が海の上で戯れながら鳴く声が聞こえる。

 地元の千葉や東京では決して感じる事の出来ない解放感。

 更に、アパートのすぐ右側にはアスファルトで出来た、バスケットボールのハーフコートがある。

時刻は七時。まだ常連のプレイヤー達が来る時間じゃない。俺は頻繁にこの島のバスケットボーラー達とこのコートで遊んでいる。小、中、高校生、社会人と様々(大学は種子島に存在しない)。

しかし今日は日曜日だから、小中学、高校は休み。つまり学習塾にとって忙しい日。俺のバイト先の中種子塾も、平日は学生達の放課後である夕方から授業が始まるが、休日は朝九時から始まる。のんびりバスケしている時間は無さそうだ。

 朝食を済ませ、軽いランニングとシューティングで体をほぐし、塾がある町のある内陸部へとバイクで向かう。


「おはようございまーす」

 塾の扉を開けて俺が言うと、

「あ、渡君おはよう!」「おい、ハル坊もっと早く来いよ~、お喋りする時間ないだろ~」「ハル君今日もバスケしてから来たの? 小っちゃいのに頑張るね~。童顔で可愛いよ♪」

塾長と先輩講師達が挨拶してくる。俺も含め、全員私服。自由な塾だ。

先輩講師は四人いる。全員元々は種子島出身で、島外の大学に進学して卒業した後、島に帰って来たのだ。皆、俺より年上で、二十代から三十代。

俺は一番若くて新人なのだが、見た目が高校生と間違われるくらいチビな上、童顔なので、容姿のコンプレックスを感じている。高校生の生徒達に舐められがち。

その上、俺だけ種子島外部出身者。

とはいえーこの幼い容姿のお陰なのか、先輩達に初対面の頃から近い距離感で話しかけて貰えていた。

そして、一年間一緒に過ごした事で、先輩達は俺の事を信頼してくれるようになった。

「ハル君脱いだらスゴイ筋肉質なんだよね~。この間一緒にバスケした時ダンクしてたし」「ダンクぅ?! ハル、身長百七十も無いだろ?」

「ええ、まぁ……高校時代の貯金です。とはいえ、今の俺はーー」

 左脚のズボンの(すそ)をめくってみせる。サポーターを付けている足首が露わになる。

「そっか……怪我したんだったよね」「それ、治らないの?」

「バスケの試合40分走り切るのは、正直キツイですね。多めに見て20分……」

「なんか、悪い事聞いちゃった? プロとか目指してたんじゃないの?」

「いえ、元々プロで通用するレベルじゃなかったですよ。俺、パス下手ですし。だから身長165しか無いのにフォワードなんですよ。俺、ガード出来ないんです」

「謙遜すんなよ! 『ダンク出来る165センチ』だったら、プロでも通用するって!」

「あ、ありがとうございます……」

ーーと、そんな調子で先輩達と談笑していると塾長がやってきて、

「渡君、今日は集団授業じゃなくて個別授業の方に入って貰うよ」

「分かってますよ塾長。ちゃんとメモってあります」


 教室に入ると、二人分の机と椅子。左右には仕切りが置いてある。

机二つ、椅子二つをくっつけたペア席が合計十六ペア。教室内を埋め尽くしている。

俺は担当席の一番右の奥へと向かう。

既に一人の小学生女子がちょこんと座って待機している。背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いたままの姿。真面目さと健気さの両方を感じる少女。

「渡先生、おはようございます!」

「おはよう! ウミカ!」


海夏……小学六年生の少女。黒髪ショート、上はTシャツ、下はショートパンツ。露出した肌は顔も腕も何もかも種子島一の白さ。

 顔は、俺の初恋相手の顔。

「先生! ウミカ、皆の為にクッキー作って来ました、食べてください!」

「良いの?」

「もちろん!」

 海夏がタッパーを開け、俺の机に置く。中には美味しそうな茶色のクッキーがぎっしりと詰まっている。この塾は自由度が高く、指導しながら飲み食いする事も許されている。

「後で他の先生方にもお渡ししますから、沢山食べちゃダメですよ」

 他の先生にも……か。この子はそういう子だ。誰にでも優しい。そういう所が、小学生の時の夏海そっくりだ。

「それじゃ、今日は英語の授業だね。BE動詞の使い方を復習しよう」


 一時間半の授業が二回終わった。時刻は十二時半。

 お互い、弁当を食べながら雑談。すると唐突に海夏が、

「先生って、スゴイですよね」

「え?」

「東京大学って日本で一番頭が良い大学ですよね。そこの学生さんだなんて。それに、バスケがスゴイ上手いって他の先生方が仰ってましたし。何でも出来るんだなぁ~って」

 何の因果か夏海と同じく、この子も小学校のバスケクラブに所属している。バスケを教えて欲しいって事だろうか?


 ……東大行けるくらい勉強出来たって、どんなにスポーツが出来たって、初恋を手に入れる事が出来なければ、何の意味も無い。

 だけど……一度目の初恋は手に入らなかったけど、二度目の初恋がこの島で手に入るなら、俺の十年かけた努力の積み重ねは、報われる。

「今度、マンツーマンでバスケ、教えてあげようか?」

「え? 良いんですか?」

 海夏が目を輝かせる。

「もちろん、親御さんに許可頂いてな!」

「ありがとうございます!」

 夏のヒマワリを連想させる笑顔。この子の笑顔を見る度に、あの遠い昔の日々の、幼い夏海の顔を思い出してしまう。

 憧れだった少女に、十年の時を経て慕って貰えるようになった優越感。あの初恋の少女と、今目の前にいる少女が別人である事の背徳感。


 この一年で、俺は塾の教師陣及び生徒達と信頼関係を結べた自信がある。

 全ては、この海夏の心を手に入れる為。

 中学生の時だって、高校生の時だって、この形をした少女を求めて生きてきたのだ。

 ……下卑ているな、我ながら。純真な想いはいつからこんなにも汚らわしい欲望へと形を変えたのだろう?

 俺は、今の自分のスペックを利用しているだけだ。細身筋肉質なバスケットマン、東大生、そして高校生に近い童顔の、爽やかな青年。小学生の頃の俺では持ちえなかったスペック。高校生のような見た目の方が小学生相手には都合が良い。年差を感じさせないで済むから。

 後は海夏の両親から信頼を得る事さえ出来れば。その時が来るチャンスを、俺は慎重に待つ。

 ……等と考えている所が、自分でも気持ち悪い男だと思う。しかしー、

 俺は思い知ったのだ、「恋は打算的でなければ手に入らない」、と。想いだけで恋が叶う訳が無い、と。もし想いだけで恋が叶うなら、俺は種子島なんかに来る事は無かった。

 だがこの島で過ごした一年間、俺の心が背徳感でまみれていたのは事実。

 こんな想像をしょっちゅうする。「仮にこの子と両想いになれても、時が流れ、成長と共にこの子の見た目が変わってしまえば、俺はこの子を好きなままでいられなくなってしまうのではないか?」と。その答えは、今の俺には分からない。何故ならー、

 今の俺に、未来の事を考える余裕なんて無いからだ。その「未来」ってヤツの為に、あまりにも大き過ぎる犠牲を払ってきた俺には、「今この瞬間」しか見る気は無い。

 東大に行けば幸せになれるー大人達が繰り返し口にしていたその甘言は、東大に入った現在の俺を幸せにしていない。だから、俺は「未来」では無く、「今」しか見る気は無い。

 良い大学を出て、良い会社に入って、良い給料貰ったって、大切な人が傍にいなければ何の意味も無い。ただ金の為に生きていくだけなんて、死んでいるのと変わらない。

 誰かに愛されたい。でも、「俺を愛してくれる」だけじゃなくて、「俺が愛する事の出来る」人でなくちゃ意味が無い。俺は、この「初恋の形をした少女」なら愛する事が出来る。

 後は、この子が俺を愛してくれるかの問題だけだ。


 十八時になり、海夏への個別指導が全て終わった。後は生徒を玄関まで見送るだけ。

 海夏をエスコートしていると、玄関口で一人の、背の高い女生徒とすれ違った。

「あ、マコちゃん、今から授業?」

 海夏が背の高い女生徒に向かって叫ぶ。

 野原真子のはらまこー海夏と同じ小学校のクラスメイトで、同じバスケクラブ所属。背丈は百七十近くの長身で、大人の俺より背が大きい。男子と間違える程の短髪で、カッコいいイケメン女子という印象ー同姓にモテそうな子だ。

 この子は勉強、スポーツ共に、おそらく種子島で一番優秀な小学生だ。

 勉強面において、成績は国数英理社、全ての科目において同学年の中で一位。

 スポーツ面では、バスケのキャプテンとしてチームを率いて、海夏と真子が通っている「(なか)()()(みなみ)小学校」女子バスケクラブを種子島で一番強い女バスクラブに育て上げた。

 バスケの実力は、百七十という巨体にも関わらず脚が速く、跳躍力もあり、身体能力抜群。

 ディフェンスにおいては、彼女がチームで一番長身なので、守りの要。俺は一度西(にし)()(おもて)市の体育館で行われた女子小学生の決勝試合を見た事があるが、真子の動きは鹿児島本土で行われる県大会でも充分通用するだろう動きだった。ちなみに、その試合で海夏は使われていなかった。

 海夏との普段の仲はおおむね良好に見える。

 ……と言うより海夏は、真子に限らずクラスメイトどころか学校の教師生徒全員と良好な関係のようだ。彼女と話す相手がどう思っているかは別として、少なくとも海夏本人は仲が良いと認識している。

「……」

 真子は俺達の顔を一瞥(いちべつ)するだけで一言も発さず、奥にある教室の方に向かっていく。

「真子と喧嘩でもしたのか?」

「わからないです。どうしたんだろうマコちゃん」

 

 玄関外に出て、自転車に乗って帰宅するウミカの背中に手を振った。彼女の背が小さくなっていく。

 


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