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プロローグ(小学、中学、高校時代)

■プロローグ1

 俺ーわたり はるは、ロリコンには二種類の人間がいると考えている。

 一つは、アニメや漫画等の二次元コンテンツに触れていく内にロリコンになってしまった人間。

 そしてもう一つは、初恋の少女の姿を何年経っても忘れられなかった為、ロリコンになってしまった人間。

 俺は後者の人間だ。

 それ程までにあの少女はー今や女性となってしまった少女は小学五年生当時、完全な存在として幼い俺の目には映っていた。

 なってしまった、と今言ったけれど、俺は今でもあの女ー高木夏海たかぎなつみの事が多分好きだ。俺の家の坂の下に住む少女。体は俺の近くにあるのに、心は遠くにある少女。少女だった女性。

 二十歳となった夏海も好きだけど、最期に逢った一年半前、夏海が「もう私に関わらないで」と言ったあの時、何かが俺の中で崩れた。


 中三で告白した時は「付き合っている人がいるの、ごめんね」。高三の時は「どうしても付き合えない、ごめんね」。一年半前の、東大入学直前の三月の時は「もう私に関わらないで」。


 小学校の卒業式の日から数えて俺が八年間追いかけてきた少女は、今やあの無垢さを失ってしまっていた。

 黒色ショートだった髪は茶髪ロングに。あの小さかった指先には、赤いネイルが。

 でもそれが、「優しくて眩しい小学生時代の夏海に見惚れてしまって、その幻影を追いかけ続けて二十歳になってしまった、俺の責任」なのは自覚している。彼女のせいじゃない。


 俺は、十代の時間の中で凄く頑張った。初恋の少女に相応しい男になる為に、頑張った。

 小学六年生の時まではマラソン大会万年ビリのスポーツ音痴だったのに、高校バスケ最期の夏の県大会にて、部を優勝させ、全国インターハイ出場へ導いた得点王になる程に成長した。

 勉強だって小学生の頃は最下位だったのに、一浪したとはいえ東京大学に入学できる程に成長した。

 だがそこまでしても、初恋は手に入らなかった。初恋に呪われ、ロリコンと化した。


 今、俺は東京大学を休学して鹿児島県の種子島にいる。関東という辛い現実から目を背ける為、この種子島にやってきた。そして、この島で「初恋の形をした少女」と出逢った。

 彼女に恋をした。ニ十歳の男が、小学六年生の女児に恋をした。


 まずは、俺がロリコンになってしまった小、中、高校時代の経緯を、どうか聞いて欲しい。



■プロローグ2(小学生時代)

 小五で出逢い、卒業まで二年間同じクラスだった高木夏海という少女は、黒髪ショートのスポーツ女子だった。バスケクラブで、誰にでも優しくて、涙もろくて、天真爛漫で。

 バレンタインの日にクラスメイト皆にチョコを配ったりして、クラス皆に慕われていたから当然のように学級委員に選ばれていた。マラソン大会も一位で運動神経抜群、男子皆の憧れの存在だった。

 その女子に接する態度と同じくらい男子にも優しい性格が災いして、一部の女子からいじめの標的にされた時期もあったけど。

 誰とでも仲良くなろうとする性格の少女だった。

 一方、俺は進学塾に通っているにも関わらずクラスの落ちこぼれだった。スポーツはもちろん、勉強もできない男の子。俺の家は皆東大出身のエリート家系だったので、親に塾の成績を見せる度に罵倒された。

「お前塾に通ってんのにこんな事も分からねぇのか」と、よく友達にバカにされた。塾に通っている事が余計に自分の無能を際立たせた。

 そんな友達の言葉に対し「うっせぇよバーカ」と笑って誤魔化していた。クラスのボケ担当は俺ー皆の笑いを取るというクラスのポジションを取っていた。バカはバカなりの生存戦略。

 見た目もデブキャラだったから、テンションで誤魔化すお笑い芸人のように振舞った。

 クラスのアイドルだった夏海を笑わせたかった。他のクラスメイトは俺のボケを笑ってくれるのに、彼女だけ全く笑ってくれなかった。あの日は、あんなに俺の事を心配してくれたのに。

 

 小五の五月ー新しいクラスになった頃に起きた、彼女を好きになった瞬間を覚えている。

 平日、夕暮れに染まった放課後。家に帰ってから、母に「アンタ学校に体操着を二着も忘れたでしょ?」と言われた。

 とても怒られた。明日は運動会だったから。

 替えの体操着が家に無いから、明日汚れた体操着で運動会に出なくちゃいけなくなる。

 俺は母さんに追い出されるように家を出て、小学校へと自転車で向かった。

 母さんがあまりに怖くて、全力で自転車を走らせた。信号を何本も無視して、通行している人達の間をギリギリで避けながら。

 夕焼けに包まれながら、目に大粒の涙を蓄えながら、必死に、必死に自転車を漕いだ。

 学校の校門の内側に入った所でー、

 大きな木の枝が俺の額に勢いよくぶつかった。

 母さんへの恐怖から来る涙で視界が歪んでいた上、自転車まで飛ばし過ぎていたせいで枝を避けられなくて。

 自転車と俺の体が空中で分離し、俺は思い切り地面に叩きつけられた。

 額の痛みと涙で、視界がぼやけていたけれど、自転車が大破して転がっているのは分かった。帰宅中の生徒達の視線が俺に集中している事も。

(痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……)

 ヒリヒリする額。でも、関係ない。俺は早く体操着を取りに教室に行かなくちゃいけないんだ。それだけが俺の心の中にあった使命。

 走って、走って、玄関にある下駄箱までついた。玄関から一気に三階の教室に駆け上がる。教室の扉を開ける。

 誰もいない教室で、俺の机の荷物入れから、体操着二着を見つけた。

 安心した。無くなっていたりしたら、母さんをどれだけ怒らせていただろう。

 体操着を両手で抱きしめたまま、教室を出る。

 額の痛みで気がどうにかなりそうだけど、早く家に帰らなければならない。

 階段を下り、玄関の下駄箱前に戻ると、


 入口に彼女はいた。夕暮れに照らされた彼女が。


「ハルちゃん! その額、どうしたの?」

 心配そうな顔で、俺に早足で近づいてくる夏海。

 大して話した事も無いクラスメイトなんかに構っていられない。すぐに彼女の横を通り過ぎようと、出口のある彼女の方へ歩み寄ると、横切る前に、

 彼女は右手で、俺の前髪をかきあげて、額を覗き込む。

「酷い傷? 早く保健室行かないと?」ー彼女の顔がすぐ目の前にある。

 彼女と俺はその日まで一度も話した事が無かった。クラスメイトってだけの他人だ。

 なのに……彼女の瞳はそんな俺を……本気で心配していた。

(暖かい手……。何だか傷が和らいでる気がする。綺麗な目)

 傷口を避けて額に触れる彼女の手の平は、俺の傷を治してくれているような錯覚すらあった。

 玄関口から漏れ出る茜色の光が、彼女を包んでいた。

 けれどすぐに、早く家に帰らなくちゃいけない事に気づく。

 無言で彼女の横を通り過ぎる。逃げるように。


 あの日の夕焼けの中の彼女の顔を、俺は生涯忘れない。

 これから何十年も経って俺がおじいさんになっても、「世の中で一番美しいモノは何か?」って誰かに聞かれたら、「あの日の彼女の顔だ」って、答えてしまう……そんな顔だったんだ。

 夏海の事が気になり始めてから知ったー彼女の家が、坂の上にある俺の家の、すぐ下にある事に。歩いて三分もかからない所にある事に。


 ーこれは現在二十歳の俺が当時の事を振り返った解釈だが、俺があの時の夏海を大人になった今でも忘れられず、小学生しか愛せなくなってしまったのは、「俺が幼かった故」だと思っている。二十歳となった今の俺があの日の夕焼けに照らされた夏海の顔を見ても、「一生想い続ける事になる顔」とまではいかなかっただろう。

 小学五年生の俺だったからこそ、あの日の顔は「一生想い続ける事になる顔」になったのだ。幼少期の経験は、大人になってからの経験より色濃く脳に刻まれる。

 あの日が、俺が初恋という名の「一生治らない呪い」にかかった日だ。



「「「「「ハルの好きな人はな~つみ~♪ ハルが最初に覚えた名前はな~つみ~♪」」」」」

 小六のある日の朝、クラス内。クラスメイトの男子達が合唱する。

 小五の夏頃、担任の女教師が何故かホームルームで「ハルちゃんが初めに覚えた名前は夏海なんだよね!」とか言い出したせいで、あっという間に俺の想いはクラス中に広まったのだ。結果、男友達だった連中に替え歌を作られて茶化されるようになってしまった。

 一方、彼らは俺を応援もしてくれた。「告っちまえよ!」と。

 だが告白する気に何てなれなかった。太っている上に勉強もスポーツも平均以下な俺が彼女に告白してもオーケーしているとは思わなかったからだ。レベルが足りなかった。

 ある日の朝、夏海が腕にギプスを巻いて登校してきたのを覚えている。バスケの試合で骨折したのだ。

 とても痛々しい見た目だった。なのに彼女はクラスメイト達に向かって笑顔でー、

「こんなのへっちゃらだよ! 皆、心配させてごめんね!」

 弱音を一切吐かない彼女を、俺は恰好良いと思ってしまった。骨折なんて俺じゃ想像するだけで耐えられない。彼女は、友人達を心配させない為に全く苦しそうに振舞わない。

 そんな所が俺との決定的な違いだと思った。


 精神的に強い彼女と、弱い俺。

 小六最期のマラソン大会で一位を勝ち取った彼女と、最下位だった俺。

 細くて可愛い彼女と、太っていて醜い俺。


 彼女みたいになりたいと思った。いつか彼女に見合う男になりたいと思った。

 彼女みたいにマラソン大会で一位取るような凄い人間に、なりたいと思った。

 でも高校を卒業するまでは勉強する時間以外許されない。良い大学行って、良い会社に行って、お金持ちになれないと、好きな人を幸せにできないと親から、塾の教師から言われていたから。

 夏海とは別の中学になってしまうけど、将来好きな人を幸せにする為にクラスの皆より勉強して東大行かなくちゃいけないから仕方ない。

 今は無理でも、夏海に相応しいくらいスゴイ男になれたら、夏海に「好きだ」って言いに行こう。

 あの頃はそう思っていた。そう思って、小学校の卒業日に「将来、彼女にふさわしくなる」事を、自分の胸に誓った。



■プロローグ3(中学生時代)

 次は、中学三年生の頃の話を聞いて欲しい。

 小学校のクラスメイト全員が千葉県の地元の中学に進学する中、俺は茨城県の中高一貫校に進学した。

 小学校時代、クラスの落ちこぼれだった俺は中学時代の三年間、必死に夏海に好きになって貰えるよう努力した。勉強も頑張ったし、小学生時代の夏海のようになりたくて陸上部に入った。太っていた体形は痩せ、筋肉も少しつき、クラスの女子に少しはモテる程度の顔になった。

 俺は長距離の種目を選んだ。マラソン大会一位だった夏海の事を思い浮かべながら、彼女に相応しい男になる為三年間、走って、走って、走った。

 走って、走って、走った。走って、走って、走ってー走った。

 そんな、校庭を毎日黙々と走る俺を見る同級生の女子の中に、俺を好いて告白してくれるような女子も現れたけど、「好きな人がいるんだ」と言って断った。

 毎日、家から最寄り駅までの通学路にある、坂の下の夏海の家を横切って朝七時に登校、二十時に帰宅する日々。最寄り駅までの道のりで夏海の家を通らない以外のルートは無い。毎日夏海の家を見ては、彼女の姿を想った。

 中三の終わり頃までには、彼女に相応しくなってみせようと思い馳せながら、陸上に打ち込む日々。ひたすら走る日々。

 中三の九月になった時、スポーツ万能だった夏海に引けをとらないくらいスポーツで強くなれた気がした。

 やっと夏海に相応しい男になれたと思ったから、思い切って告白したんだ。彼女の家のポストにラブレターを入れた。

【小学生の頃から気づいていたと思うけど、君が好きだ】【君のようになりたくてこの三年間陸上部を頑張ってきた】【二月のマラソン大会で一位になってみせる。小学生の時の君のように】【来週の日曜日の二十時、青春(あおはる)公園に来てください】ーこんな事を当時、書いた気がする。

 青春(あおはる)公園ー俺と夏海の家の近くにある公園。夏になると祭りが開かれるくらいには規模のある公園。

 夜の青春(あおはる)公園。木々に囲まれていて、一本の街灯だけが夜の公園を照らしていた。

 街灯の下で夏海を待つ俺の心臓は異常なまでに高鳴っていた。

 時計を見て時刻確認。後十秒で二十時。三……二……一……、 


 その時、背後からズサズサと草むらを踏む足音が聞こえた。俺の心音の速度は、更に拍車がかかった。

「ーハル……ちゃん……?」

 静寂の公園に、三年ぶりに聞く少女の声。少し声変わりを感じる。振り返ると、

 夏海の姿が。三年間で背がかなり伸びていた。

「手紙、ありがとう」

「あ、いや……俺の方こそ、急にごめん」

 上手く会話が続かない。自分の心音が速すぎて言葉を上手く紡げない。

 テンパる俺は唐突に街灯のすぐ左にある木製のベンチを指して、

「ここ、座る?」

 気まずそうな顔の彼女は何も言葉を発さない。言葉選びを間違えた。

 あたふたする俺は、次にどうするか頭の中で巡りに巡らせーそれでも言葉が出てこない。

 すると夏海が先にー、

「ごめん……私……付き合っている人がいるんだ……」

 それから先は頭が真っ白になってよく覚えていない。夏海は、逃げるように公園から去って行った。


 その後、小学六年の時のクラスメイトだった男友達から、夏海の彼氏がどんな男かについて聞いた。彼は夏海と同じ、地元の中学に進学している。

 容姿、学業、部活動、全てにおいて一位を取っている、理想の王子様のような男だとか。夏海と同じクラスであり……バスケ部でキャプテンの男。


 それでも未練がましい俺は十一月、もう一度告白した。彼氏持ちの女子にだ。

 坂の下の、夏海の家のポストに手紙を忍ばせた。


 こう書いた。【俺と同じ高校に来てください】【もう一度あの公園で会って下さい。日曜日の二十時に待っています】、と。

 それから一か月間、日曜日の二十時に俺は公園に向かった。正確な日付は指定しなかった。何日でも待つつもりだったから。

 そのまま、十二月を迎えてしまった。彼女は公園に姿を現さなかった。

 最終的に、思いきって直接家に電話する事を選んだ、小学生の時の連絡網があったから、彼女の家の電話番号は知っていた。彼女は電話に出てくれた。

「ごめん、突然電話して」「ううん」「……」「……」「最近……どう?」「普通……かな?」

 相変わらず会話が下手だ。電話越しの沈黙が三分程続いてから、

「高校は……」

 彼女が口を開いた。

「高校は、もう進学先が決まっちゃっていて……」「そう、か……」

 分かっていた、同じ高校に来てくれなんて常識外れな事を言っている事は。だけど想像せずにはいられなかった、制服姿の彼女と毎日一緒に登校する自分の姿を。

 歩いて三分かからない、坂の下にある彼女の家へ、毎日迎えに行く自分の姿を。

 分かっていたーそれでも、苦しい。吐きそうなくらい胸が痛い。

「じゃあ……責めて……」

 乾ききった声で、

「最期に……もう一回……会えない?」「……うん」

 彼女の声も、俺の声と同じくらい、泣き出しそうなくらい乾いていたのを覚えている。

 十二月二十五日の朝六時に、青春(あおはる)公園で会う約束をした。

 そして二十五日――クリスマスの早朝を迎え、公園に向かった。

 朝の六時になったが、誰も来ない。八時まで待ったが、彼女は姿を現さなかった。

 自宅に戻ると、俺の家のポストに一通の、緑色の封筒が入っている事に気づいた。朝起きた時には入ってなかった封筒が。差出人の名が記載されていない、俺宛の手紙。

 手紙にはこう書いてあった。


【やっぱり今日は行けません。ごめん。

 理由は予定が入ったとかではなく、私自身に問題があるからです。

ハルちゃんがこの三年間、陸上を頑張ってきたように、私もバスケを頑張ってきました。

この三年間は小学校の時以上に頑張ってきたつもりです。

それは胸を張って言えます。

とても充実した中学校生活だったと思います。

私は今の中学校に来て、性格が少し変わりました。

小学生の時のままでもあるとは思うけど、やはり変わった所もあると思います。

極端に変わったわけではないけれど、今までと物のとらえ方が変わったと思う時も自分で感じます。

この三年間で少しでも変わった性格をハルちゃんは知らないと思います。

だからこそ、本当に今のままの私でいいのかをよく考えてみて下さい。

ハルちゃんが好きなのは今の私ではなく、小学校の時の私を好きだったんじゃないかな。

 もし今のままのわたしが好きなのだとしても、今の私のどこが好きなのか言えないと思うんだ。

 責めてるんじゃないよ。

 ただ、ハルちゃんが好きだったのは小学生の頃の時の私だったと思うんだ。

 だって今の私が好きだとしたら、それは会ってないのに何故わかるの?

「昔のままの私」だとしたらその考えは成り立つと思うけど、私は昔のままではありません。

さっきも言ったけど、私も変わりました。

身長も、性格も、物のとらえ方も。

そのままの小学生の時と同じくなんてできません。

ハルちゃんが陸上を始めようとしたように、何かが毎日変わっていくんだと思います。


だけど、五年間も想い続けてくれてありがとう。

本当にありがとう。

そんなことができるハルちゃんだったら私よりもっといい人が見つかると思います。

私もようやく見つかりました。

今思っているだけかもしれないけれど、本当に一生に一人の人だと思っています。これから先、変わるつもりはありません。


だからこそ、今日ハルちゃんには会えません。

告白を私なんかにするのではなく、私よりもっとすばらしい人にして下さい。今日また私があいまいに会いに行ったらいけないと思います。

もう手紙も書かないで下さい。私が優しくして期待させたら最低だと思うから。

ハルちゃんが私よりいい人を見つけたら、又会いましょう。

ごめんね】


「ごめんね」という文末には、「さようなら」という言葉を消しゴムで消した痕があった。




 二月になりマラソン大会を迎え、俺は一位となった。小学校の時の夏海と同じく、一位に。

 三月の初め、産まれて初めて女子に告白された。付き合う事にした。


 三月中頃、二十時。学校からの帰宅途中、夏海の家近辺で暗闇の中、夏海と、背の高い男がキスしている所を見かけた。世界が砂になった。



■プロローグ4(高校時代)

 高校時代の話を聞いて欲しい。

 俺の中学は中高一貫だったので、受験もせずにそのまま高校に進学した。

 俺はバスケ部に入った。目標は全国制覇でも青春を楽しむ為でも無く……別の高校でバスケ部に入った夏海の彼氏を公式戦で倒す為。

「倒して何になる?」なんて考えは無かった。心に空いた穴を埋めるように、俺はバスケに心血を注いだ。


 高校の体育館での練習中、俺は何度も先輩や同期と喧嘩になった。

「ハル! 何であの状況でパスしないんだ?」

「そんなやり方じゃ、勝てないからです」

「はあ? 誰にだよ?」

 答える事なんて出来なかった。胸の中に隠し続けた。


 しばらくして、バスケ以外の全て邪魔になり、授業をさぼってストリートコートでバスケをしてから高校へ部活をしに行く生活を送った。だがすぐに先輩に知られたので、それが出来なくなった。

 付き合っていた彼女は気づいたら別の男とくっついていた。俺が構わな過ぎたからだ。


 高校を二年生に上がる冬休みに辞め、別の高校に転入した。理由は、茨城の高校のバスケ部では千葉の高校のバスケ部と公式戦で戦えないから。夏海の彼氏と戦えないから。


 高二から高三の春……最期のインターハイの日まで、徹底的にバスケットに必要なトレーニングを積み重ねる毎日だった。

 部内練習以外の時間、ストリートコートで二メートル級の黒人達に修行を付けて貰った。

 加えて、百七十センチ無い俺でもダンクが出来るようにジムで体を徹底的に鍛えた。戦う準備は万全だった。

 千葉県大会インターハイ地区予選は、俺が全試合100点獲って、部を県大会へ導いた。

 

 ーーが……その最終試合で、俺は捻挫を起こし、左脚を剥離骨折した。

 この剥離骨折は後遺症となり、現在20歳となった今の俺は、長時間バスケットボールができない。


 しかし時というのは勝手に流れていくもので、5月の地区大会から6月の県大会は、すぐにやってきてしまった。

 熱気溢れる体育館。俺の左脚にはサポーターが巻かれていた。足首には絶え間ない痛みが伴ったが、この日は絶対に負けられない日だ。大会に出ないワケには行かなかった。

 何故なら、千葉県大会。当然、夏海と、夏海の彼氏の所属する高校もやってくると確信していたからだ。


 ところが、俺の復讐は、何ともあっけない形で終わらせられてしまった。


 大会冊子で、夏海の彼氏が所属する高校の選手一覧に目を通すとー、

(……は?)

 夏海の彼氏の名前は記載されて無かった。

 風の噂で聞いた。部活を辞めたのだと。

 ついでのように、夏海をフッたという事も聞いた。

 それを知った時、俺の中に一気に虚無感が襲いかかった。俺は一体、何を目指していたのだろう、と。

 千葉県大会は優勝した。俺が得点王となってチームを導いた。「百七十以下の背丈でダンクが出来る選手」として大人達に持て囃され、その時期「月刊バスケットボール」の表紙を飾る選手に選ばれた。「右足の骨折を乗り越えてチームを導いた『ハルの追い風』」なんて異名まで雑誌編集者達に付けられた。

 でも、全国インターハイに出場する前に、バスケ部を辞めた。俺の目的は、既にこの時点で失われてしまっていたのだから、部に残る理由は無かった。

 それから俺は高三になるまで何となく勉強して、何となく学校に行った。

 夏海に連絡を取る気になんてならなかった。「彼氏と別れたなら俺と付き合ってくれ」なんて言える訳が無い。

(「一生に一人の人」って言っていたのに、何故? 恋って……何?)

「好きな人に好きになって貰う努力」の定義が……分からなくなった。


 部を辞めてから、塾に通い始めた。

 そこで神様は運命の悪戯を引き起こした。

 夏海の姿があったんだ。

 塾のビルの扉の前で夏海と鉢合わせた。

「ハルちゃん……」

「高木……」

 俺も夏海も、目を丸くして互いを見つめ合った。


 夜の小学校。俺達は校庭を見回しながら想い出に浸った。ブランコやジャングルジム、そしてバスケットゴールを見て。

 小学校のクラスメイトの皆が今何しているか? とか、塾の先生が優しいとか、そんなたわいない会話を交わした。


「あの時はごめんね」

 家に帰る途中、ふと夏海が口を開いて沈黙を破った。

「……何が?」

「私がもっと、別のやり方を取っていれば……別の言い方をしていれば……ハルちゃんを傷つけずに済んだかもしれなかったから……」

 何も、言い返せなかった。

 代わりに――、

「また、会える?」

 そう聞いた。

 すると夏海は首を横に振った。

「私はハルちゃんを好きになれない。理屈じゃなくて、心で。……ごめん」

 それ以上何も会話する事無く、俺達は各々家に帰った。


 自分の部屋で、独り呟いた。

「どうすれば……どれだけの何をすれば……好きな人に好きになって貰えるのだろう?」


 その後、俺は大学受験に失敗し、東大目指して一年、浪人する事になった。夏海は地方にある、それなりの大学に進学するようだ。 

 俺の家系は祖父、両親、兄弟、いとこまで東大出身の家系だから、俺も東大を目指さざるを得なかった。

 良い大学を卒業して、良い会社に入って、良い給料を貰わないと、大切な人を幸せに出来ないから。

 浪人が決まった三月、高校卒業時期。俺はまた夏海宛に手紙を書いて、彼女の家のポストに入れた。

 色々長文で書いたので、一部しか覚えていないけど、この一文を書いた事だけは強く覚えている。


【このまま行けば、お前にとっての幸せは、俺にとっての不幸にしかならない】


 今振り返っても、何故こんな事を書いてしまったのか分からない。あの時の感情の根源は「恐怖」だったのかもしれない。俺が浪人中に夏海がまた彼氏を作ってしまうことへの恐怖。


 一年後、俺は東大へ無事に合格した。

 ――風の噂で聞いた。夏海は同じ大学の男と付き合い始めたとか。


 それでも恋の毒は今でも、俺の全身を侵したままだ。小学生の時の少女の笑顔が、何年経ても脳裏から消えてくれない。


 十九歳の三月、東大入学直前の冬。大学二年を迎えようとしている夏海が春休みで帰省していたので、卒業した小学校で十六時に会って貰った。

 夕暮れに染まった想い出の小学校で、「もう私に関わらないで」と言われた。



■プロローグ終(種子島へ)

 東京大学に入学できた。これで良い会社に入って、大切な人を幸せに出来る。

 

 大切な人が、傍に居ない。大切な人に、嫌われた。

 

 学歴と引き換えに、初恋を完全に失った。

 

 生きる気力が、湧かなくなった。


 だからー入学早々休学して、関東から出る事にした。空気を吸うのすらままならない関東から。

 自分の知らない場所に行けば、空気を吸う事くらいは出来るようになると思ったんだ。絶望が洗い流されるとー責めて、緩和されると思ったんだ。

 自転車を使って、鹿児島まで向かう事にした。目的地は、種子島。

 昔見た恋愛アニメ映画で、そこが舞台になっていたからとかそんな理由。

 まず地元の千葉から東京と神奈川を横断して、

 静岡を、愛知を、三重を、岐阜を、滋賀を、京都を、大阪を、和歌山を。

 和歌山からフェリーを使い四国に渡り、徳島を、香川を、高知を、愛媛を。愛媛からフェリーを使い九州に渡り、大分を、熊本を、宮崎を、そして鹿児島へ。合計二カ月かけて渡った。

 自転車を進ませれば進ませる程、多少は呼吸が出来るようになっていく体感があった。

 と言うより、何も考えずにいられたんだ。少なくとも、夏海の事は。 

 鹿児島中央駅に着いた。展望台から見下ろした、駅前にそびえ立つ夜の観覧車の光は、どこか幻想的だったが、やるせない現実を俺に思い知らせたのを覚えている。

 そしてフェリーで目的地ー種子島に着いた。

 種子島は大きく、三つの町に分けられる。鹿児島から来るフェリーを泊める港がある西之表(にしのおもて)市。細長い島全体の真ん中に位置する中種子町(なかたねちょう)。JAXAの宇宙ロケットのある南種子町(みなみたねちょう)

 アルバイトをする事にした。休学期間はたっぷりある。

 塾で働く事を選んだ。中種子町に一つだけある私塾、中種子(なかたね)(じゅく)だ。東京大学の学生を一番欲しがる職業を連想したら、塾講師という選択に行きついた。

 そして……個別講師としての初日ー彼女にー出逢った。


「初めまして、渡春先生! 小橋海夏こばしうみかと申します!」


 その少女はーあまりにもー似すぎていた。

 アイツー高木夏海と。小学生時代の、夏海と。

「初恋の形をした少女」と、出逢った。

 これは神様のくれた奇跡? それとも、悪魔の(いざな)い?

 

 俺の家には小学生時代の夏海の写真しか無い。だから中学、高校時代の彼女の姿を、正確に思い浮かべる事が出来ない。大学生の姿ですら、一度しか会っていないから、やはり正確に今の姿を想像できないのだ。

【ハルちゃんが好きなのは今の私ではなく、小学校の時の私を好きだったんじゃないかな】ー中学時代に、夏海が手紙の中で書いていた言葉。

 俺が夏海を想い浮かべる時、常に小学生の姿をしている。

 身長百四十センチくらいの、少女らしい小柄な姿を想い浮かべる。

 小学校二年間ー約七百三十日間、毎日顔を合わせた夏海の姿しか、想い浮かべる事が出来ない。中学、高校、大学生の彼女がどんな姿をしているのか、分からない。

 そんな俺にとってー初恋を十年追い続けていたらいつの間にか「ロリコン」になっていた俺にとって、この「小橋 海夏」という少女の出逢いは間違いなくー、


悪魔の(いざな)いの方だ。


 そうして、俺が種子島にやってきて、一年近くの時が流れた。二十歳を迎えてしまった。

 


 この物語は、俺が小学生と付き合う事に成功して精神的に成長する話なんかじゃない。

 初恋をいつまでも引きずっているような男にー、

 あるいは、好きな人が別の誰かと幸せになる事を自分にとっての不幸としか感じられないような男にー、

 

 精神的な成長など起こりえないのだから。

 



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