Prologue8
外部森林
23:30
『cigarette-smoke shop』
地下一階。
「これはジャックの建てた家に転がっていたモルト
これはジャックの建てた家に転がっていたモルトを食べたネズミ」
シス君の気怠げな声。
食事が終わり2時間半程経つ。
だが、ネルの眠気はまだ襲ってこないらしい。
ラケニカは開始数分で眠り始めていたのだが。
このままだと本当に一晩中かかってもおかしくない、と思えてくる。
彼には災難なことだが、まぁ言い出しっぺは彼だ。
存分に、その状況を楽しんでもらうことにしよう。
割と満更でもない様子だし。
デニスは10分ほど前に小さな携帯端末を持って、上に上がっていった気がするが、緊急の用か何かだろうか。
彼らの連絡ならそんなに時間をかけることもなさそうだが。
と、思っていたら地下の扉がキィと音を鳴らしながら薄く開き、デニスが此方に手招きした。
どうやらわたしに用があるらしい。
またイースタン家の坊ちゃんが何か言っているのだろうか。
やれやれ、と思いながら重い腰を上げる。
扉から外に出て、デニスに導かれるがままに一階に登る。
「シガレットさん、お話ししなければならないことが。」
「なんじゃ?」
勿体ぶるモノだ、私に焦点を当てて呼んだ時点で私にしか伝えたくないことがあるのは当然想定済みだ。
「ベリーとチェルシーが魔女と会敵しました。
2人とも怪我などはしたものの命に別状はなかったようです。」
……シナゴーグの報復だろうか。
いや、それはないか。
まだ数日しか経っていないのを考えると速すぎる気もするし、クラリスの件で報復するにしても顔が見られていなかった筈のチェルシーとベリーを的確に狙える物ではないだろう。
そう考えると別人の可能性が非常に高い。
「...どんな魔女だったかわかるかのぅ?」
目の前の彼が神妙な顔持ちで頷く。
「黒い短髪の少女で、横に薄気味悪い少年を連れていたとの事です。
そして、貴方に似た女性の写真を持っていてシガレットさんの居場所を聞いてきた、と。
心当たりはありますか?」
まさか。
いや、だが、しかし。
「あると言えば、ある。」
なるべく、澱みなく。
思慮をするフリをしながらデニスに返答する。
魔女かつ黒い短髪の少女自体は複数思い当たる。
死んだ者も含めて、複数名。
この前の一件がある故に死んだと思われている者も憂慮しなければならないが、今の私を探しているとなると必然的にさらに少数に絞られる。
「思い当たる節が多そうですね。」
「長く生きておると色々とあるからのぅ」
ざっくりと誤魔化しながら頭の中を整理する。
可能性の一端としてありそうなのは東国から来た歌曲の魔女、カナデ・オトナカ、そして、水の魔女アリアナ・クローネ・トリアイナ。
イメージチェンジと称して髪の毛を切っているなら玩具の魔女、フィルクス・フォリア・ラッテンバーグや剛腕の魔女ストリア・ジャガーノート。
「長く生きていれば、ですか。
俄には信じ難いですが、本当に100年以上生きていらっしゃるんですよね」
「そうじゃのう、昔話をすると3日あっても足りなくなるわい。」
だが、1番探している可能性があるとすればアリアナか。
もしも彼女なのだとするなら生きていた事は素直に喜ばしい。
「そう言えば、歯がそっくりだったらしいですよ。」
「は? 歯というと口の中のこれのことかのう?」
デニスが頷く。
……間違いない、彼女だ。
私と同じ獣のような牙を持っている魔女。
そうなれば、もうアリアナしかいない。
「そうか、ワシと同じ歯か。」
「絞れましたか?」
わたしは首を横に降った。
嘘ではある、が必要な嘘だ。
アリアナが来るとなるとマズい。
シス君達を一刻も早くこの小屋から遠ざけたいところだ。
「誰が来るにしても、平和な解決は望めそうにないからのぅ。」
思い悩むフリをしながら、デニスを横目で見て、言葉を選ぶ。
「......仕方あるまい、ネルに外泊の許可を出してやるとするか。
デニスも今日は帰るといいわい、魔女の戦いに巻き込んで、また腕なり足なりを失わせるのはしのびないからのう。」
一瞬此方を見て、薄く口を開いたデニス。
その言葉を視線で押さえ込む。
「わかりました。」
一瞬浮かぶ悔恨の表情。
彼は恐らく、恩に報いたかったのだろう。
指を治してもらった、その恩に。
その心遣いは分からなくもない、だが他の魔女なら兎も角この一件に彼等を巻き込むのは違う。
「......本当に必要な時はちゃんと力を借りるわい。」
そう言いながら笑って見せてやる。
彼の目尻が少々下がった。
恐らくは溜飲が下がったのだろう。
「さて、ワシは降りるぞ。
シス君にも頼まんといかんのでな。」
「はい。」
デニスを一階に残したまま工房に続く階段を降り、扉に手をかける。
入る前に耳をそばだてると
「...みの影に腰を下ろして、少しのチーズを食べていたら、大きな蜘蛛が傍に......」
リトル・ミス・マフェットか。
先ほどからマザーグースばかり読んでいるらしい。
デニスの方を向き指を口の前で一本立てる。
彼が頷くのを確認して、ゆっくりと扉を開け中に入った。
「......逃げ出した、小さなマフェット嬢ちゃん。」
「シスおじさん」
「ん?」
「どうしてマフェットは蜘蛛から逃げ出したのかな?」
「怖かったんじゃねぇか?」
「でも何もしてないよね。」
「...毒持ってる奴がいるから怖いイメージが先行するんだろうよ、そうじゃなくても自分の近くにいきなり大きな蜘蛛が降りてきたら俺でもビックリして逃げ出すな。」
「......そっかぁ。」
「シス君、ネル。」
話に区切りがついたようなので声をかける。
「あ?なんだ?」
「どうしたの?」
ほぼほぼ2人同時に似たような言葉が返ってくる。
仲の良いことだ。
「夜も遅くなってきたが、ちょっとシス君に用事があってのう。」
「やだ! まだまだ夜は長いんだよ!?」
ゴネるのは織り込み済みだ。
「シス君の家にお泊まりしていいかどうかの確認なんじゃがなぁ。」
「えっ!」
「あ?」
方や明るく、方や気苦労の表情が浮かぶ。
これも想定通りだ。
「おい」
「という訳で少しだけシス君を借りてくぞ、すぐ戻すから安心せい。」
シス君の襟元を摘んで無理矢理立たせる。
「おい」
「わかった! 準備して待ってる!」
ネルが元気な返事と共に工房の扉から飛び出し、一階へと駆け上がっていった。
子供はこうでないといけない、
「おい!」
「ラケニカもおるし、外で話すぞシス君。」
先ほどから母音でしか言葉を発すことが出来なくなっていたシス君を見る。
「おいぃぃぃぃぃぃ!」
叫びながら私に引きずられるシス君の顔が首輪から抜ける前の犬のようになっている。
笑い出したいのを我慢して、工房の扉の先に連れ出した。