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Hookah and cigarettes 7

水球の中にいる彼女の声が、アリアナに届いたという保証はない。

だが、動かした口の形と、その瞳、そして首を横に振るという決定的な行動がアリアナにその言葉を間違いなく届けていた。


「ーーーそう。」

先ほどまで懇願するように熱を帯びていたアリアナの瞳が冷たい色を湛える。

「…バイバイ。」

水球の中が動き出す。

さまざまな方向から渦を巻き、さまざまな方向から中が攪拌される。

シガレットの身を引き裂き砕くために。


引き絞られた肉がゆっくりと裂け、透明な水の中に赤の色が混ざり始める。

苦痛を感じるように時折目を閉じながら、それでもシガレットの笑みは崩れない。

「…余裕なの?」

身を引き裂く為だけに動き続ける水球の中身。

常人であれ、魔女であれ肉体の苦痛は感じる。

アリアナはそう信じていた。

何故なら自分がそうだから。

何度自身に対する悪意を受けても、自分は痛みになれなかった。

石をぶつけられて、槍で突かれて、銃で撃たれて、殴られて、蹴られて。

どの痛みも、治るまでの間激痛には変わりなかった。

手首を切った時も、首を絞めさせた時も、頚椎を折らせた時も、心臓を壊した時も、全身を潰した時も。

飛び降りた時も、自分で自分の服に火をつけた時も。

工業廃水を飲んだ時も、銃で頭を撃った時も、他の場所を撃った時も。

地雷を踏んで四肢がバラバラになった時も、熊とか狼に臓物を食い荒らされた時も、水銀を飲んだ時も、フグを丸々一匹食べた時も、毒蛇や蠍や蜂にわざわざ刺されに行った時も。

その全てが激痛で、二度とやりたくない、そう思える程の痛みだったのに。


どうして、姉は笑っていられるのだろう。



「くっ、たっ、ばれぇぇっっ!!」



その答えは、突如、男の怒声と言う形で現れた。

振り向くと同時にオーバースローで投げつけられたソレは指から離れると同時に刀身に変わり横に回りながら高速で飛んだ。

「ーー!? ジャヴァウォッキーッ!」

柱の上部から飛び降りてきた巨大な異形が投げ放たれた刀と水の魔女の間に立った。

「『水壁パレー』!」

そして異形を囲むように分厚い水の壁が出来上がる。

異形がその成人男性の胴体サイズの両腕を身を守る様に前に構える。


水の壁に投げつけられた刀が触れ、壁が弾け飛ぶ。

見開かれる水の魔女の瞳。

想定外、予想外、あの男の事なんて失念していた。

そして、背筋を電撃の様に奔った感覚。

全力で守っても、差し迫る死の感覚。

なんだ、アレは。


ブツリ、と音が鳴り刃物が皮膚を破る。

パキンと枯れ木が折れる様な音と共に骨が切断される。

だが、ソレでも摩擦係数を無視しているかの様に速度が落ちない。

水の魔女は知る由もない、それが、かの剣聖から授けられた毛髪であったことを。

だが、彼女の身体はその状況でも辛うじて最善の策をとった。


僅か数秒で、彼女の水の壁は破壊され、異形の巨体は切断され、彼女の喉元に刃が飛来するーーーはずだった。

異形の後ろに彼女が居ない。

否、正確にはしゃがんで、しゃがみ始めていた。


浮力に逆らえなかった髪を切断され、背中をかすめ、水壁を粉砕しそのさらに後ろにあった柱に亀裂を入れて刀が漸く止まる。


破裂した水が、雨の様に辺りに数秒降り注ぎ、止まる。

「…あんた、何者? 何かの魔女なの?」

「悪りぃが違うな、テメェらと同じ扱いなんて吐き気じゃすまねぇよ。」

シス警部の頰に一筋汗が垂れる。

それを訝しげな表情で覗き込むアリアナ。

「…ただの、人間……?

 …まぁいいわ、乱発しないってことは、あれが切り札だったって事でしょ?

 よくも邪魔をしてくれたわね。」

指を弾き、円錐型の水が螺旋を帯びて現れる。


「殺すつもりはなかったけど、ここまでされたからには死んでもらーー」

男が、指を刺す。

「何か、忘れてるんじゃねえか?」

アリアナの脳内の時間が一瞬止まる。

指を刺す方向に有ったモノはーー。


「助かった、シス君。」

その言葉と共に、煌めく白銀の一閃。

上から下に、屋内照明の光を浴びて盾に振り下ろされたそれは、避けるアリアナの腕を肩口から両断した。

痛みに耐えかねてか、円錐型の水が解けて落ちる。

「ーーァッ……ギゥッ!」

小さく声を漏らした後に、歯を思い切り食いしばり、アリアナがシス警部とシガレットから距離をとる。


「姉さん…ようやく私を殺してくれる気になったの?

 ちゃんと姉さん自身の手で?」

片腕からバタバタと下に落ちる血がゆっくりと止まり、肉が内側から盛り上がっていく。

白い骨、ピンクの肉、黄色い脂肪、赤い肉、灰色の血管。

それが、のたうちながら、ゆっくりと、腕を、形成していく。

「やっぱり、姉さんなんだ。

 私の願いを叶えてくれる、私の想いを叶えてくれる。

 やっぱり、やっぱり姉さんなんだ。」

盛り上がる断面を愛おしそうに撫でながらアリアナが恍惚の表情で笑う。

「ごめんね、殺そうとして。

 でも、姉さんが、姉さんって認めないから悪いんだよ?

 でも、もう認めてくれるよね。」

言っていることが無茶苦茶なのは変わらない。

だが、その姿相対するシガレットとシス警部すら何処か悲壮感と焦燥感を感じるのは、恐らくは自身の心の中の二律背反に苦しんでいるからだろう。


姉を『見つけたい』という最初の願い。

姉に会えないなら『死にたい』という最後の願い。

この二つが合わさり手に入ってしまった曲解である、『姉に殺してもらいたい』という歪んだ願い。

彼女の心は既に限界だった。

最初の願いと最後の願いは対極に位置し歪んだ願いが表層に現れたせいで深くに仕舞い込まれてしまった。

もし本当の姉なら、死ぬ必要は無い。

そう頭の中では理解していても、表層に浮かんだ歪んだ願いが邪魔し続ける。


精神が崩壊の一途を辿る彼女は、シガレットに自分の願いを請いながら自分の腕を模る水を鋭く研ぎ上がらせ、シガレットに突っ込む。

最早、外聞も何もないのだろう。

半分笑いながら、半分泣きながら、助けを求めてその腕の凶器をブンブンと振り回す。

その様子のアリアナからシス警部を遠ざけるシガレット。

形成されていた刀であしらいながら、シス警部をゆっくりと追いやっていく。


そしてその様子が昔の自分に重なることにアリアナが気付いた。

記憶の奥底、顔も分からない誰かが、自分を連れて燃え盛る村から守るように歩いてくれる。

火の粉から身を守る様に、自分の身体を壁にして。

フラッシュバックしたその記憶は、一瞬アリアナの記憶を戻し、別の感情を呼び覚ました。


「もういい!」


足を止め、唐突に叫ぶアリアナ。


「姉さんは私のことが好きじゃないんだ!

 私の事が大切じゃないんだ!」


頭を振り、水の凶器を解き、治った両腕で掻きむしりながら叫ぶ。

同時に降りて来る四体の異形。

腹を恐ろしく膨らませた、風船の様にした異形が着地と同時に大量の水を吐き出した。


「全部、全部ぶち壊してやる!」

その怒声とともに、足元の大量の水がアリアナの頭の上に逆巻に登っていく。

急速に周囲の水を集め上げ形成されたのは直径12m程の水球。

「ーーシガレッ」

「邪魔するなぁっ!!」

シス警部の言葉が終わる前に声と水球から分たれたバスケットボール大の水塊が襲いかかった。

高速で飛来するソレを避ける事ができず、シス警部は腹部に衝撃を直接受け、上に吹き飛びそのまま出口に叩き込まれた。

「シス君!」

「手応え有ったから死んでるかもね!

 ざまあみろ! 私の立ち位置にいるからそうなるのよ!」

アリアナが笑う。

シス警部を馬鹿にしながら、ゲラゲラゲラゲラと。

涙を流しながら、何処か苦しそうに。


「アリアナ……!」

「今更名前を呼んだって遅いよ!

 全部姉さんが悪いんだから!

 ……ぇ?」

そこまで叫んで、はたとアリアナの勢いが止まる。

「今、名前ーー」

シガレットの口から出てきた、自身の名前。

頑なに呼ばれていなかったはずのその名が紡がれ、アリアナの目に光が戻る。

「……お仕置きが、必要じゃな。」

その目を怒る魔女の赤から紅に変わった両眼が貫いた。

魔女が抜く手を見せず水球の方に何かを投げつける。

長く細い何かが夜空をかける彗星の鋭さで奔った。


「何、それ。」

自身が出した巨大な水球に突き刺さった鉄の吸口の付いた黒色のホース。

そして、足元に撒かれた赤色のハーブとココナッツの炭。

「答える必要があるかのう、お主はワシの逆鱗をヤスリで削ったわけじゃが。」

余裕を今まで見せていた魔女の赤い瞳が灼熱を思わせる紅で燃えている。

そう錯覚させるのに十分過ぎる程の熱量を魔女は孕んでいた。

「何? 私の水を全て飲み込むつもり?

 いくら姉さんでも自分の体積以上の水を吸い込めるはずがーーー。」

プール一杯分では済まない程の水、当然飲み干すに足りるはずがない。

幾らタバコの魔女の肺活量が常人の数十倍であろうと、肉体も内臓も一般人のそれと大差ない。

アリアナの言っていることは何一つ間違ってはいない。


「悪いが違うのぅ…するのは、そう、定義じゃ。」

紅い瞳を紅蓮に燃やしながら、魔女がそう口にした。

「…定義?」

アリアナの怪訝そうな顔。

「正確には定義を破壊し、定義し直す。

 まぁ、見せた方が早いのう、最弱の四元素の魔女よ。

 お主が未だ、その場にある水しか操作出来ないのであれば、最早ワシに土一つつけることは出来ん。」

「…なら、見せてよ姉さん。

 私を小馬鹿にしたその口で、姉さんの糧になる煙草も煙も失った状態で!

 たかがホースを刺しただけで何ができるのか!」

侮ってはいない、それでも勝利を確信した。

そんな表情でアリアナが魔女の紅い瞳をその青い瞳で睨み返す。


「いいじゃろう。

 お主にも分かり易く、言葉に出しながら教育してやるとしよう。

 ーーー『定義』、『これは水タバコである。』」

そう言いながら、タバコの魔女が足元のココナッツ炭に靴先から出た火をつける。

「は?」

「『水タバコを吸った結果を遺す、故にここにある水球は全て煙である。』」

瞬間、水が煙と化し霧散した。

突如溢れた白煙に咳き込む水の魔女。

「ーーーっぇホッ!ゲェッッホ!

 …なっ、ゴホッ…。」

「『定義』、『タバコの煙は中にタールが存在する、故にこの煙はタールであり、タールの一種であるコールタールである。』」

煙が、黒い液体に、変わる。

「何よこれーー。」

「さて、もう頭を冷やせとは言わん。

 冷やしたくなるようにしてやろう、そこの化け物達と一緒にな。」

「何をするつもーーー」

魔女の手には何時からか握られていたマッチ。

マッチからは通常の赤の火ではなく黄色と若干白色の混ざった高温の火がついていた。

その火に照らされてか、魔女の瞳すら黄色く燃えているように見えてくる。

「ーーー待っ」

「待たん。」

自分も全身タールまみれになりながら、煙草の魔女はタールの海に火をつけた。

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