Hookah and cigarettes 5
斯くして、その戦いは爆発的に始まった。
何の合図もなく、示し合わせもなく。
否、示し合わせはあったのだろう。
お互いが武器(蛸)と武器(水)を見せた瞬間から、いつ切られてもおかしくない火蓋が其処には存在していた。
最早、アリアナの瞳にシス・セーロスは映っていない。
自らを殺してくれる、自分の姉と思い込んでいる煙草の魔女と満を持して出したと思っている巨蛸の姿のみに焦点が合っているだけである。
蛸の八足のうち三足が唸りを上げ、捻りを加えながらコンクリートの床を砕き迫る。
同時にアリアナの水が螺旋を描きながら蛸足に衝突した。
火花が、散る。
橙と黄の煌めきが異音を放ちながら目の前に散っていく。
その中で、二人が二人とも次策を動かしていた。
アリアナは水を自身の背後に球体にし数個持ち上げ、シガレットは紫色の煙草に口をつけ思い切り吸い上げ灰にする。
それも、また同時に放たれた。
散る火花の最中、アリアナの水が30cm程の螺旋を描いた紡錘形に、シガレットの口腔から吐き出された紫色の煙が固形化されつつ放たれ高速で飛来し会う。
破裂音がアリアナとシガレットのちょうど中間で鳴り響く。
弾け飛ぶ水と紫色の煙が霧散し一瞬煙幕の様にお互いの目線を塞いだ。
一瞬の静寂ののち、ボッという音と共にその中から抜け出してきた紡錘形の水がシガレットに飛来するーーが、当たる直前に鋼鉄の蛸足がその一撃を止めてみせる。
長方形の眸子が何処か嬉しそうに歪み、シガレットを守った足がそのままアリアナにしなりながら高速で襲いかかった。
瞬間、立ち上がった巨体がその全身で蛸足を掴んだ。
「…ふむ。」
シガレットの口から嘆息の言葉が漏れる。
今彼女の頭の中に渦巻いた言葉は、昨晩犬で薙ぎ倒した遺骸よりもこちらの方が強い。
このクラスがあと数体は間違いなくいるのであれば、長期戦程不利になる。
此方はストックを出し切れば、タバコを吸って何とかするしかなくなる。
ならばこそ、足を2本使う。
結論から行動まで僅か1秒足らずで、押さえ込んでいた遺骸を2本目の足を使い蛸は巧みに吹き飛ばした。
弾ける火花の向こう側で、壁にぶつかり、一瞬動きが止まった巨体の脚が膨張するのを、魔女は確かにその双眸に捉えた。
嗄れた声で叫びながら、その巨体が大砲の球のように蛸の頭部に着弾する。
が、滑るその身を滑って、逆側に巨体は落下し、その上から間髪入れず蛸の触腕が打ち下ろされた。
轟音と共にめり込みつぶれた虫の様になり痙攣する巨体、それを見下ろす煙草の魔女。
その頭頂に、冷たい雫が落ちる。
煙草の魔女が反射的に上を向くと、其処にはサイズこそ拳程度のサイズたが、先程と同じ形の螺旋を描いた紡錘型の水が一辺150mはある天井に等間隔に所狭しと並んでいた。
もう一滴、雫が落ちる。
一瞬、時が止まる。
否、煙草の魔女の思考が圧縮されていく。
対応、対策、シス君の位置の確認、次善策、次々善策。
水がどう動くのか、アリアナがシス君に気付いているのか、紫の放射でどこまで守れるのか、何が正解で何が外れなのか。
ーーー失敗は許されない。
だからこそ、彼女は煙を噴出した。
薄く白い煙幕が一辺150mのその広大な空間に蔓延する。
それは階段を登っている最中のシス警部の目の前すらも覆う。
「『螺旋降雨』。」
67万5000㎥の全体を覆ったその煙を捻れた水の塊が穿っていく。
煙の魔女の予想とは違いただ単に上空から降ってくるだけのそれを、煙の魔女は吐き出した煙で感知し、上から下へ落着する間に蛸の真下に隠れた。
コンクリートに無理矢理裂け目を作りながら、形そのままに地面に突き刺さるその巻貝の貝殻にも似た水の塊。
コンクリートよりも尚硬い鉄の身を持つ巨蛸の表面に僅かながら傷をつけて見せていた。
口角を上げて、水の魔女が言葉を紡ぐ。
「これで、傷が付くんだ。」
相変わらず、水で穴が空いたとはいえすぐさま修復するように戻った薄く貼られた煙の中、3本の蛸足が螺旋状の水と鎬を削る。
シガレットが見据える靄の先にはフルフルと動く巨大な影。
蠢き形を変えるソレに最大限の警戒を持ったままシガレットは帽子から下がった紐に括り付けられた少し薄黄色タバコを咥えていた。
現状、シガレットは一手遅れ続けている。
その理由は複数存在している、蛸足をわざわざ5本フリーにしているのもあらゆる状況に対応するため。
当然、最早アリアナの脳内からすっかり忘れられているシス警部をこっそりと逃す事にも意識を割かれ、自身の身は当然のことながら、あと何体残っているかわからないジャヴァウォッキーの奇襲とアリアナ本人からの攻撃を後出しで凌ぎ続けなければならない。
煙で自身を増やすことも考えたが、ソレも実行に移す前に感知範囲を広げるためにばら撒いた煙で消されてしまった。
シス警部を守る為にも張っている為、気軽にコレを回収するわけにもいかない。
シガレット本人に残っている煙自体はかなりの量を今の一瞬で使わされてしまっている。
補給、もしくは回収しない限りは後鉄の壁を数枚貼れる程度と動物数体を作れる程度。
巨蛸に関しても解除してしのぎ切れるかどうかが不明な為戻すことができない。
そこで魔女は独り言ちる。
誰にも聞こえないような小さな声で。
「チェックがかかっておるのぅ」と。
ここから先はひとつ間違えればあっという間に首が閉まる。
そもそも死にたいはずのアリアナがなぜ自分に牙を剥いてきているのか。
そういうことを思考を分割しながら考えている。
そして、また一瞬、煙草の魔女の判断は遅れた。
巨大なーー長さ4mはある螺旋を描いた紡錘型の水がアリアナの頭上に現れていた。
シス警部は見つかっていないらしい、という淡い期待と、アレが直撃すればタコが一溜りもないであろうという事実。
その二つが彼女の行動を決定づけた。
鋼鉄の蛸足を各水流に対して一本ずつ増やし、螺旋の水を砕かせる。
と同時に頭上の水が解き放たれ、蛸は鋼鉄の八本脚を槍の様に擡げ、巨大な紡錘型の水を迎え撃つ。
広い空間に凄まじい衝撃音が響く。
弾け飛ぶ水と火の粉。
結果は、水の方が弾け飛び消える事になった。
但し、蛸の足一本と引き換えに、である。
この場にいる限り、飛び散ろうがなんだろうが、再度回収出来る水は無限。
だが煙草の魔女から捻り出すことの出来る煙は有限。
蛸の必至の敗北がここに決定した。
決定したからこそ煙草の魔女は一つの命令をタコに下す。
『自衛しろ。』と。
蛸の自衛手段というのは昔から決まっている。
要するにーー墨。
だが、8本足の付け根の漏斗より噴出されたそれは、ただの蛸墨では無く魔女の操る黒煙と相違無い物だった。
その煙はアリアナごと床の高さから1メートル程度を埋め尽くした。
蛸の色が金属光沢から白色に戻っていく。
そしてそのまま、煙草の魔女の服の中に収納され、煙草の魔女は指を弾く。
と同時に床の上に漂い、アリアナにも絡んでいた黒煙が鉄の塊へと変貌した。
「ーーーな」
鈍色の塊はアリアナの肩から下をしっかりと捉えていた。
気付かれないようにシガレットは安堵の息をついていた。
力を込め、数トンはあるであろう鉄の塊から抜け出そうとするアリアナを文字通り見下ろしながら咥えタバコのまま鉄の上に立つシガレットが前に立つ。
ほとんど首だけのようになったアリアナが悪戯をしたにも関わらず悪びれない子供のようにシガレットを睨みつけた。




