BLACKDOC in HOUSE 1
午前1:50
ロークタウン、ウェストサイド。
アパート『ウェストサイド4番館』駐車場。
車の扉を開け、眠ってしまっていたネルを担ぎ出そうとした所でネルが外気に触れて目を覚ました。
小さな口を大きく開けて、寝ぼけ眼で此方を見ると両手を広げて抱きついてくる。
慌てて脇の下に手を入れ肩で頭を支えるとすぐ耳の横でスースーと改めて小さな寝息を立て始めた。
抱っこをする形になってしまったが、このまま起きずに寝たままで居てくれれば俺もゆっくり休めるだろう。
そう思いながら車の中から担ぎ出し、白い息を吐き出した。
あまり揺れが起きないように、ゆっくりと運んでいく。
後で本も持ち出さなければならない事と、ラケニカを運び出さなければならないことに若干の面倒臭さを感じながらもどこか楽しんでいる自分に気づいた。
魔女の存在が自分の事を楽しませている。
そのことに若干の拒否感を覚えるが、今更ネル、シガレット、ラケニカの三人に手を出すつもりはない。
いや、シガレットに関してはあいつの願いを叶える為に何時か手をかけることになるのだろう。
魔女と言えば、結局あの工場で俺に話しかけてきた存在はなんだったのだろうか。
この間は聞きそびれてしまった。
そして、何とは無しにそう簡単に話題に触れていい存在ではないのかも知れないと勘繰らざるを得なくなる。
あれが俺の妄想の産物であるのなら、問題はあるがないと言えばない。
シガレットにはただ馬鹿にされるだけで終わるだろう。
だが、見覚えも聞き覚えもない鮮烈な映像。
脳内で俺を責め立てる孤児院の子供達。
そして、顔も声も知らない少年。
あの後何度記憶を浚っても思い出すことはできなかった。
今更だが、あれは本当に少年だったのだろうか、ズボンを履いているからと言う理由だけで少年と断定してしまっていたが、あの時の孤児院では少女でもスカートを履いている子の方が少なかった気がする。
少女に絞り記憶を探る間に自分の家の扉前に着いた。
先にデニスを行かせた為に薄らと扉が開き光が漏れている。
中からは水が流れる音。
キッチンの方向からである事を察するに、俺の洗っていなかった食器を洗っているのだろう
まぁあの邸の中に住んでいるのなら俺の家はゴミだめもいい所だろう、有り難くはある。
両手が塞がっている為に靴を捻じ込みゆっくりと開ける。
なぜか多少フルーティな香りが鼻腔をくすぐった。
1DKの男鰥の一人部屋とは無縁のその香りに違和感を覚えつつ、玄関の先の廊下と繋がった部屋の奥を見ると綺麗になっている部屋が目に入った。
俺がネルを抱えて上がるまでの短い時間の間に何が起こったのだろうか。
いや、本当に何が起こったのだろうか。
ここにネルを連れてくるまでにかかった時間は僅か二分程。
如何して此処まで部屋が綺麗になる...?
「あっ!お帰りなさい!」
聞き覚えのある声。
この声は確か。
「お邪魔してる代わりに掃除しといーーーネル様ァ!?」
俺の部屋の中に私服のチェルシーと鼻血を垂らしたベリーがいた。
「しーっ!静かにして下さいよ、寝てるんですよ!?」
口を慌てて閉じるベリー。
感想を漏らすのならば両方うるさい。
が、ネルはよほど深く眠りなおしたのだろう、俺の耳元ではスースーと小さな吐息が聞こえる。
で、「なんでお前らがここにいるんだ?」と言いながら2人の方を見た。
そもそもこの2人に俺の住所を教えた覚えはない。
デニスも今朝は迎えに行ったから住所を知ったのはついさっき、俺の住所を教えたにしても来るには早すぎる。
いや、予測が立つ相手は1人だけいる、まさかとは思うがーー。
「いやー、実は怪我しちゃって。
隊長に聞いたら近くのセーフハウス代わりに使えそうなのは此処だって教えてもらったんです。」
悪びれずにチェルシーがそう言ってきた。
やはり全て署長の仕業か。
部下の個人情報を知り合いに流すのはどう言った了見なんだ?
そもそも俺ん家はセーフハウスじゃない、ただのクソ狭い1DKだ。
「勝手に侵入しちゃってごめんね!
鍵は壊してないからご安心を!」
いや、たしかに壊れてはなかったが……。
「後、悪いけど棚の薬品とタオルは適当に使ったわ、3日以内に補充する。」
薬品を使った?
そう言われて気付くのは服の上からタオルを当てられ包帯の巻かれたチェルシーの身体だった。
ネルをベッドの上に下ろし、棚の中に綺麗に整えられた薬瓶の中で、痛み止めと包帯と湿布が綺麗になくなっている。
「肋骨折れてんのか?」
その割には元気そうだが……「何があったんだ?」
この状況だ、何かがあったのは分かる。
恐らくシガレットを狙っている魔女とやらとも関係あるのだろう。
「アレ?デニスから聞いてないんですか?」
詳しくはデニスに聞けと言われていたがそういえば聞いていなかった。
結局何も聞いていないので素直に頷く。
「後で愚弟にお仕置きね。」
愚弟ねぇ、悪いが俺にとってはアンタよりはよっぽどーーー
「弟ォ!?」
チェルシーが苦笑いを返してくる。
「そうですよ!デニス君はベリーさんの弟です。」
姉より弟の方が落ち着いてるもんなんだなぁ。
俺には本当の兄弟姉妹が居ないからいまいちわからないが。
「何か言いたそうな顔ね。」
メイドの時よりもなお此方に敵意をむき出すかのような話し方、取り繕う気もなさそうだが、恐らくこっちがベリーの素の顔なのだろう。
「すいません、シスさん、あの車の中の雰囲気では話す事も難しかったので。」
そう言いながらキッチンから手を拭きながらデニスが出てくる。
「談笑は構いませんが……ラケニカ様は?」
そう言えば後ろに乗っていたな、異常事態に頭がついていかなかった所為で完全に失念していた。
「は?このクソ狭い部屋にもう1人増えるの?」
そう言うならお前が出ていけ、と叫びたい所だがこの状況で放り出す選択をする程俺は鬼では無い。
「すまん、連れてくる。」
取り敢えず無視してそうデニスに返して見せる。
「来なくて良いわよ。」
お前が決めるな、暴君か。
溜息を吐きながら自分の家の扉を閉めて、再度階段を駆け降りていく。
そう言えば車の鍵も開けっ放しだった、僅か数分の事とはいえ、何かあってからでは遅い。
通りがかりが連れ去らないとも限らないし、シガレットが大丈夫だと言い切っていたが、何かのきっかけで森の中のアレが再発するとヤバいでは済まない。
そもそも、よく俺もラケニカを連れてきたものだ。
以前なら100%断っていただろう。
そう思ってはたと思い当たる。
危機管理の欠如、最近このきらいがある気がする。
気合いなりなんなり、そろそろ入れ直さなければ...。
自身の頬を叩くと同時に車に到着して、後部座席を覗き込むと相変わらず涎を垂らして眠りこけるラケニカの姿が見えた。
涎をタオルで拭って抱えてやり、足で扉を閉める。
流石に子供を抱えて2往復する羽目になると重労働だ。
鍵は運んでからかければ良いだろう。
「ぐぃっ...か、かかか、褐色ぅ……んぎゃわっ……ぎゃわわっ……」
ようやく辿り着き、玄関にカバンを置いて自室に入った瞬間に訳のわからない事を言ってぶっ倒れるベリーを見て改めて得心がいく。
「そういう」趣味程度では無い、こいつは筋金入りの少女趣味なのだと。
いや、重度か?
チェルシーが頰を掻きながらこちらに苦笑いを返し、デニスも溜息をついているのを見ながらラケニカをネルの寝ているベッドの横に下ろす。
それから地面に倒れ伏し、幸せそうな顔で鼻血を垂らしながら気絶しているベリーを見る。
流石に襲う事はないだろうが、まだ隙間があるとはいえネル達と同じベッドに寝かせるのは流石に憚られる。
ソファーにでも寝かせれば良いとして……も、俺達は床で寝るのか。
まぁ、ベリーの処遇は後で決めるとして。
「で、なんで此処に居るんだ?」
デニスが口を開こうとするが、その前にチェルシーが手をビシッと挙げ、
「当事者の私から説明します!」
とまで言うと咳き込んだ、肋骨折れてるのにはしゃぎすぎだろう。
実はアホなのだろうか。
「いたた、肋骨折れてるの忘れてはしゃぎすぎました。」
アホだったらしい。
「…シスさん、今私のことアホだと思いましたね?」
その割に感は鋭いらしい。
いや、顔に出ていたのか…?
「まぁいいです。
実際今回私は敵の力量を見誤って醜態を晒してしまったわけですからね!」
咳払いを一つして、チェルシーがどこか得意げにそう言う。
豪放磊落な性格というか、悩みのなさそうな性格をしているのは羨ましい。
恐怖とかそういう感情が欠落してるんじゃなかろうか。
「また、失礼なこと考えてますね!?」
実際その通りだから返答に詰まる。
「チェルシー、貴女が話さないならば……私が話しましょうか?」
首をブンブンと振り、肋を押さえるチェルシー。
いいから早く話してもらいたいものだ。




