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Prologue end

 車のエンジンをかけながら自分の部屋の現状について思いを馳せる。

今どう言う状況なのか。

朝起きて、デニスを迎えに行くまでの間に朝食を作って食ったが、食器はキッチンシンクに洗わずぶち込んでいたはずだ。

まぁそれは2人が寝てから洗ってしまえばいい。

 次いで思い浮かぶのは、明日の朝飯と昼飯。

冷蔵庫の中には食パンと鶏胸肉、卵とトマトとレタスとチーズ、後はビール缶が数本と牛乳くらいはあったはずだ。

朝はサンドイッチでも用意するとして、昼飯はデリバリーを頼むか買い出しに出ればいいだろう。

最悪晩までいるとしても……いや、そう言えばネルはその小さな身体の何処にそんなに物が入るのか分からないほどの量の食事をとっていた。

ネルもシガレットも、だが。

もしも魔女が大量の飯を食べる存在なのだとすれば、ラケニカも食べるのだろうか。

金は銀行から下ろすとして幾ら位が適切な金額なのだろうか。

流石に貯金を食い潰すほどではないと信じたい。

 寝床としてはベッドとソファが一つずつ、この前の一件が『解決』したと言うことで、業務処理が終わった後の一週間、署長からは休暇を貰っていた。

その間に数ヶ月ぶりに布団を干したのが休暇初日の4日前、俺が寝ていたとはいえ毎晩寝る前にシャワーは浴びている。

臭いはおそらく大丈夫だろうが……。


「また難しい顔をしておるのう。」

シガレットが窓から顔を覗かせて、此方に声をかけてくる。

「男の一人暮らしだからな、女の子に粗相がねぇかどうか気になるもんなんだよ。」

「髪はボサボサなのにのぅ?」

うっせぇ、と返すと魔女が嗤う。

「すまんな、宜しく頼む。」

そう言う魔女の顔は何処か険しく見える。

普段なら見間違えだったのかと思うようなスピードで、すぐにでも戻るであろう表情がしばらく続く。


数瞬経ち、ようやく此方を見て表情を崩した。

「余計な考えは起こさんでいいぞ、シス君。」

「……なにがだ?」

今の表情が戻るまでの間。

確かに俺は

「デニスに任せて俺も残るとか」

…と魔女の言葉通り思っていたわけだが。

「そんな余計な考えは起こさんでいいわい。」

やはり心の中を読まれる。

コイツの前では隠し事は出来ないのではないだろうか。

それとも、読心術の心得でもあるのだろうか。


小さくため息を吐きながら、シガレットが首を振りつつ俺の方を正面から見据える。

「この前は誰に降りかかるか分からんかったからお主の手を借りただけで、今回はわしを直接狙っておるからな。」

珍しく、どこからか取り出したマッチを擦り白い紙巻きタバコに火をつける。


と同時に扉を開く大きな音。

どうやら、車の扉を開く前に「あっ!?」と言って一階の奥の部屋に逆走していったネルが、忘れ物とやらを取ってきたらしい。

…………リュックのサイズが3倍になっている。

おそらく中身は本なのだろうが、一体何冊詰めたんだろうか。


ドタドタと走りながら助手席の扉を開けて、椅子にチョコンと座る。

そして自分の身長の半分以上はあろうかというリュックを膝の上に乗せた。

「ゴー!シスおじさん!」

「まだデニスが乗ってねぇ、つーかトランクに載せても...」

ネルが首を振り拒絶する。

ああ、成程。

手放したくない宝物がそんなにあるということか。

俺には正直羨ましい。


ネルの頭を撫でてやりながら窓の方に目をやると魔女はタバコを吸いながらと車の周りを一回りしていた。

今はちょうど後部座席の扉の前だった。

そんな魔女を目で追っているうちに木の影からデニスが携帯を畳みながら現れた。

「すいません、お待たせしました。」

そう言いながら此方に頭を軽く下げながら、助手席をチラリと見て後部座席を開け……一瞬肩が強張るのが見えた。

が、何も見なかったかのように、座席に涎を垂らしながら眠っていたラケニカを起こさない様に起き上がらせ、ポケットから出したハンカチで座席を拭くと静かに扉を閉めた。


そうこうしているのを見ている間にシガレットが戻ってきた。

「うむ、揃ったようじゃし改めてーーーネルとラケニカを頼んだぞシス君。」

その様子に俺は小さく「おう」とだけ返し、窓を閉め、サイドブレーキを外し、セレクトレバーをドライブに入れゆっくりとアクセルを踏む。

土道をタイヤが踏むジャリジャリという音を、耳に心地良く聴きながらゆっくりと車を走らせる。


 夜も夜、真夜中。

車内の時計は0:08を刺そうとしていた。

騒がしくするだろうと思っていたネルは、うつらうつらと船を漕ぎ、デニスも一言も発さない。

そんな恐ろしいほどの静けさの中で車を走らせる。

シガレットの小屋の周辺は完全に森で、何時、何処から野生の獣が飛び出さないとも限らない。

鹿だの、熊だのならまだまぁいいが、徐行しているとはいえ人が飛び出さないとも限らない。

この前の朝の時は特に何もなかったが、朝だったからか陽光が樹上から降ってきており問題なく前も横も見通せた。

今は完全に車のライト頼りだ。

前方の辛うじて整備された土道と揺れている木々に光が当たりなんとか走れている。


一瞬、人影が見えた。

速度を落としたが、妙に背の高い植物だっただけだった。

そのままそろりと速度を落としながらゆっくりと車を進め、なんとか森地帯を脱出した。

と同時に横目に森の中に侵入していく人影。

1人ではなく、2人。

今度こそ見間違いではないのだろう。

身長的には150cmくらいだろうか。


認識した瞬間、冷や汗が体表から吹き出した。

背筋が冷える、どころではなく。

怖気と戦慄を凍結させたモノを胃袋の中を走り回らせたような。

折角食った晩飯を吐き戻しそうな、悪寒。

確かに、今日はまだ寒いと言っておかしくはないが、それどころではない。

一度、会敵したからこそ、解る。


アクセルを、無性に、踏み込み、逃げ出したい、気持ちを、落ち、着かせて。

一本タバコを咥え火を、つけて。

何事もなかったかの、ように。


喉を鳴らして。

俺はゆっくりと車を走らせる。

遠ざかる森に俺は安堵する。

どちらかなのか、どちらもなのか判らないが、あれは恐らく魔女だ。

いや、片方からは息が詰まるほどの得体の知れなさを感じた。

アレは、魔女なのか、なんなのか。

一瞬チラリと見えたのは動物の骨のように見えた。

フードかケープかローブかパーカーか解らなかったが服の隙間から見えたのは、確かに草食動物の骨のように見えた。

「シガレット……」

気付けば口からそう言葉が漏れていた。

自身の脳内であらゆる符号が合致する。

恐らく、アレがシガレットを狙っている魔女なのだろう。

戻った方が、とか。

どう言ったら、とか。

何をすれば、とか。

意味のない言葉の羅列が俺の頭の中を駆け巡る。

俺にはどうすることも出来ない、仕方がなかったんだ。

仕方なかった、のか?

逃げようとしているだけじゃないのか?

解らない、今からでも戻るべきなのだろうか。

どうすればいい、どうすれば。


「信じて待ちましょう、私たちにはそれしか出来ないんですから。」

ーーデニスの声が耳の奥に響いた。

「私達に出来ることは彼の方を信じて待つことだけです、残念ながらね。」

もう一度、俺の喉がなった。

生唾を飲み込むゴクリという音。

どうして、と一瞬口に出しそうになったがやめる。

恐らく声に出ていたのだろう、あの場に残らなかった悔恨が。

「我々は我々が言われた事を成せばいいんです、今は吉報が届くのをあなたの家で待ちましょう。」

デニスのその一言が後押しとなって、俺の頭の中はようやく落ち着いた。


「あぁ」

とだけ、なんとか喉奥から搾り出し、俺は徐行のスピードまで落ちていたアクセルを踏み直した。


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