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「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました!  作者: 大鏡路地
「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました!
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第七次ハルキウの戦い(2)

※令和四年六月二日に「蛇足」の内容を元に割り込んでいます。

 八月六日時点でハルキウ近郊(半径五〇キロ圏内)に展開していた双方の前線戦力は、概ね次の通りになる(全て西側に位置していた主な戦闘単位から列挙)。


・遣欧統合任務部隊(西軍)

 ・臨時第一機甲軍

  ・臨時第一機甲師団

   ・第一独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

   ・第十二独立戦車大隊(ウクライナ陸軍)

  ・臨時第二機甲師団

   ・第十七独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

   ・第三独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

  ・臨時第三機甲師団

   ・遣欧第一独立戦車連隊(日本国陸上自衛隊)

   ・第十四独立戦車旅団(ウクライナ陸軍)

  ・臨時第四機甲師団

   ・遣欧第二独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元イタリア軍)

   ・遣欧第三独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元フランス軍)

   ・遣欧第四独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元イギリス軍)

   ・遣欧第五独立戦車中隊(日本国陸上自衛隊・元ドイツ軍)


・ロシア軍(東軍)

 ・臨時第一機甲軍集団

  ・第五諸兵科連合軍

   ・第百二十七自動車化狙撃旅団

   ・第五十七独立親衛自動車化狙撃旅団

  ・第四十諸兵科連合軍

   ・第三十五独立親衛自動車化狙撃旅団

   ・第七十四独立親衛自動車化狙撃旅団

   ・第九〇親衛戦車師団

   ・第五十五独立自動車化狙撃旅団

  ・第一親衛戦車軍

   ・第二親衛自動車化狙撃師団

   ・第四親衛戦車師団

   ・第四十七親衛戦車師団

   ・第二十七独立親衛自動車化狙撃旅団

  ・第二諸兵科連合軍

   ・第十五独立親衛自動車化狙撃旅団

   ・第二十一独立親衛自動車化狙撃旅団

   ・第三〇独立自動車化狙撃旅団

  ・臨時第二百二十九諸兵科連合軍

   ・第三十六独立親衛自動車化狙撃旅団

   ・第二〇〇砲兵旅団

  ・第三十五諸兵科連合軍

   ・第六十四独立自動車化狙撃旅団

   ・第三十八独立親衛自動車化狙撃旅団

  ・第六諸兵科連合軍

   ・第百三十八独立親衛自動車化狙撃旅団

   ・第二十五独立親衛自動車化狙撃旅団


 ここで双方の最大戦闘単位について述べておくと、単位としての「軍」と「軍集団」では「軍集団」の方が大きい。

 実際の車輌数で比べても、概ね一対二以上の開きがあった。

 ランチェスターの法則(攻者三倍の原則)に従えば、ハルキウを守備するロシア軍一に対し、攻者の遣欧統合任務部隊は三倍以上の兵力が必要だったが、実際にはロシア軍二に対し遣欧統合任務部隊一しか無かった。

 しかし、今この時点で無いものは無いし、この機会を逃せば、依然として包囲下にあるハルキウは、何れ降伏または全滅(文字通り)を選択せざるを得なくなる。

 従って、本格的な国家総動員体制が整えば、戦力で勝ることが確定している筈の遣欧統合任務部隊は、数的劣位を承知で嫌でも早期の決戦に及び、ロシア野戦軍の撃滅を図らねばならなかった。


 そのロシア野戦軍は、ハルキウ郊外に野戦陣地を構築して鶴翼の陣を敷き、後方にはロシア伝統の野戦砲部隊が手厚い饗応の準備を整えており、絶対数でも勝っているなど、開戦以来陸軍大国とは思えない程の弱体を晒してはいたものの、勝ち目が無いわけではなかった。

 寧ろ、八月六日の大航空戦の下でハルキウ近郊に進出したばかりであり、歪な横陣(左翼のウクライナ軍が前に出ていたので斜行陣とも言える)で対峙していた遣欧統合任務部隊の方が、よっぽど負ける要素は多かったと言える。

 その彼我の絶対数は言うに及ばず、野戦砲部隊の進出も遅れており、何なら前進したばかりの彼らには燃料がこの会戦分しか無く、更にはこのような大規模会戦の経験も無ければ、規模・練度・兵器の性能も異なり、母語も異なる集団の統一指揮の経験など(三十一年前の湾岸戦争を戦ったアメリカ軍を除けば)ある筈も無く、一度戦線の何処かが綻べば、総崩れになる恐れを孕んでいた。

 勝っている点と言えば、士気と情報通信能力ぐらいのもので、遣欧統合任務部隊司令部に詰めていた某日本人参謀が端的に、


「この戦い、湊川だな」


 と表現して遺書を認めたという逸話がある。

 遺書が任を全うすることは無かったのだが、当事者はそれ程の危機感があった。


 その劣勢を覆すことを期して、前述の八月六日の大航空戦が戦われ、そしてロシア野戦軍への空爆がほぼ未達に終わったことで、遣欧統合任務部隊はいよいよ追い詰められることになった。

 そして八月九日、第七次ハルキウの戦いの第二ラウンドにして最高潮(ハイライト)である、ハルキウ大戦車戦が勃発することになった。


 戦闘は、夜明けと共に期せずして、両者ほぼ同時に始めた前線への長距離重砲砲撃を嚆矢として、双方の対砲兵(カウンター・)射撃(バッテリー)が行われ、その投射量と精密性の差から、正午を回る頃には両者とも野戦砲部隊が壊滅した(純軍事的には「全滅」と表現される)。

 中でも、事前の通信内容から指揮系統に問題を抱えていると分析されていたロシア軍の前線司令部は、二度も重砲射撃の直撃を受けながらも、前線を崩壊させること無く東西に陣地を転換して戦闘を継続し、遣欧統合任務部隊司令部や前線将兵の心胆を寒からしめた。

 ロシア軍の奮闘は、臨時第一機甲軍司令部に、絶対数で不利な機甲部隊の突撃を決断させることになった。


 時に、西暦二〇二二年八月九日十四時十七分。


 臨時第一機甲軍は、右翼に向けてやや退いた形になっていた陣形から、最も防御力が優れていた一〇式戦車七十輌余りを有する遣欧第一独立戦車連隊を擁した、臨時第三機甲師団を前面に押し出して、蜂矢の陣でロシア軍中央を突破・分断しての各個撃破を狙っての突撃(チャージ)を開始した。

 これに対し受けて立つロシア軍も、梯団の包囲撃滅を図って鶴翼を狭め、十五時頃には前線で双方入り乱れての、戦車同士の凄絶な殴り合いに発展した。

 どちらが勝ったとも言えない状況の中、最終的に戦場を制したのは、粘り強く通信の傍受に努め、三度ロシア軍の前線司令部の位置を特定した、遣欧統合任務部隊・臨時第一機甲軍の司令部通信隊だった。

 陽が傾き始め、ハルキウ大戦車戦にドローの公算が高くなり始めた頃、臨時第一機甲軍全部隊に対し、


(突撃準備隊形作)レ・敵司令部位置」


 の通信が行われるや、臨時第一機甲軍残存部隊は正面の敵は無視して、遮二無二ロシア軍前線司令部への統制突撃を敢行した。

 水際立って行われたその突撃に対し、指揮系統と通信能力の問題から、ロシア軍の対応は一瞬鈍り、それが勝負の分かれ目となった。

 今日では飽和攻撃の一種として理解されるそれに、ロシア軍前線司令部は果敢に反撃を指揮し、大損害を与えた。

 しかし、最終的には弾薬を撃ち尽くして燃料切れも間近に迫った、何れかの臨時第一機甲軍の戦車部隊(部隊名は今日に至るまで明らかにされていない)に、文字通り踏み潰されて潰滅した。


 そして前線を支えた立役者だった前線司令部が潰滅すると、ロシア軍は指揮統制が取れなくなり、部隊毎に独自の判断で退却を始めた所を衝かれ、各個撃破の憂き目に遭った。

 日が暮れた頃、ウクライナ陸軍が温存してきたOTRー21戦術任務ミサイル複合体「トーチカ」の一斉射撃で、前線司令部に代わって退却の指揮を試みていたロシア臨時第一機甲軍集団司令部が爆砕されると、以後、ロシア軍は総崩れとなって、従来の国境線の向こうへと這々の体で撤退することになった。

 対する遣欧統合任務部隊・臨時第一機甲軍も、純軍事的表現では「全滅」に等しい(満身創痍)損害を蒙り、後方で活動していた機械化歩兵部隊にハルキウ入城の先頭を譲ることになった。


 遣欧統合任務部隊司令部がハルキウの奪還を宣言したのは、それから六日後の、八月十五日のことだった。


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