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「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました!  作者: 大鏡路地
「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました!
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トルコ海峡は燃えているか?

※このお話はガバガバ設定のフィクションです(令和四年六月二日修正)。

 遣欧統合任務部隊・マリウポリ支隊がウクライナ東部の要衝マリウポリを解放したのは、攻防戦が始まってから約一月後の六月六日のことだった。

 マリウポリ解放によってウクライナ南部を攻めていたロシア軍は東部と分断されることになり、包囲撃滅の危機に晒されることになった。

 逆にマリウポリ支隊も、先に述べたように損耗率四〇パーセントという純軍事的には全滅判定の被害を蒙っており、南部ロシア軍と東部ロシア軍による包囲撃滅の危険性が生じていた。

 しかしマリウポリ支隊にあって南部ロシア軍に無いものがあった。

 退路である。

 初撃で黒海に展開するロシア軍艦艇を捕捉撃滅した日本国自衛隊(ウクライナ国家親衛隊)の所為で、南部ロシア軍はマリウポリ支隊を突破して東部ロシア軍と合流する以外に、生き残る途はなくなってしまったのである。

 そして、南部ロシア軍と相対する遣欧統合任務部隊・オデーサ支隊は、それを許すほど弱体ではなかったが、真正面から窮鼠に手を出すほど馬鹿でも無かった。

 古の武将に習って曰く、


「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」


 であり、マリウポリの戦いの間、ジリジリと戦線を押し上げるに留めておいたオデーサ支隊は、マリウポリが奪還され、ウクライナ南部のロシア軍を包囲する形になると、連日のように宣伝ビラをロシア兵の頭上に投下し、全域で宣伝放送を行った。


「勇敢なるロシア兵諸君。我々ウクライナ軍は諸君らに対し、名誉ある降伏を勧告する。

 諸君は勇猛果敢に今日まで良く戦ったが、既に諸君らも知る通り、諸君らの部隊は我々ウクライナ軍に包囲されている。逃げ道はなく、諸君らの解囲の見込みもない。

 我々は諸君らがクレムリンの命令に拠って戦ったのであり、憎悪や欲望に拠って我々を襲ったのではないことを知っている。

 我々は諸君らに人道にもとる扱いをしないことを約束する。

 よろしく検討されたい」


 というような内容だったのだが、その効果は絶大だった。

 元より劣悪な補給、遅々として進まない侵攻、頑強な抵抗に遭っていた南部ロシア軍は、末端の兵士から順に次々と降伏を始め、瓦解していった。

 宣伝では「但し、国際法やウクライナ国内の法に基づいた裁判をしないとは言っていない」のだが、それに気付いていた者は少なかった。気付いていても、言及することはなかった。

 少なくとも、ロシアで敵前逃亡罪で裁かれるよりは、マシな結果が待っているはずだったからだ。

 マリウポリに遅れること半月、オデーサ近辺に残存していた最後のロシア軍部隊が降伏し、オデーサの戦いは終結した。

 最後まで戦ったロシア軍部隊の降伏の決め手は、現在にまで伝わる消息筋の情報によれば、降伏の許可をクレムリンに求めたロシア軍部隊指揮官に対する回答だったという。

 正確な内容は不明だが、最後まで救援を信じて粘り強く戦った指揮官の心を折るようなものだったことは、想像に難くない。今後の情報公開が待たれるところである。


 さて、ウクライナに於ける戦争の焦点は、キーウ正面とハルキウの解囲に移った。

 遣欧統合任務部隊はマリウポリとオデーサの戦いが一段落つくと、キーウ正面から慎重にベラルーシ方面へ避退しつつあるロシア軍はさて置き、ハルキウのロシア軍に対し空爆を繰り返した。

 報道官は連日、淡々と確定戦果だけを報道陣に述べ、しかしそれによってどう戦線が推移しているかについては述べなかった。

 けれども軍事や政治に詳しいその筋の人間には、それが攻勢の予兆を隠匿するものだと、容易に想像が出来た。


 古来より、「敵を騙すには味方から」であり、実際、そうなった。


 玲和四年七月七日、「タナバタ攻勢」と呼ばれるそれが始まった。

 嚆矢となったのは、制止するトルコ軍を(形式上)蹴散らしてトルコ海峡を突破した、海上自衛隊の一個護衛隊群に護衛されたロールオン(Ro)(-)ロールオフ(Ro)船の群れ(遣欧統合任務部隊・海上支隊)だった。

 その明白な日本国によるトルコ主権の侵害行為は、夜間ではなく白昼堂々と行われ、ボスポラス海峡に跨って存在するイスタンブール市の市民は元より、全世界にテレビや動画サイト上で生中継されたため、ロシア軍もすぐに知るところとなった。

 元々、遣欧統合任務部隊・海上支隊の存在は公にされており、ロシアの消極的支持国である中華人民共和国やインド、中東諸国などによる情報共有で、スエズ運河を越えたことは把握されていたが、今次戦争に於けるトルコ政府の、


「どの国の戦闘艦艇も通過を許さない」


 という宣言を突破して、黒海にまでやってくることはないと考えられていた。

 精々、地中海のどこかに寄港して揚陸し、陸路ウクライナ入りするものと見られており、それは「西側」諸国の兵站線に甚大な負荷をかけるため、いずれ破綻するものと思われていた。


「一応」建前として諸々の法制を尊重(遵守しているとは言ってない)する日本国の姿勢を、信用していた、と言っても良いかもしれない。


 実際には白昼堂々とトルコ海峡を突破してきたため、慌ててロシア軍はTuー22M爆撃機などを緊急発進させ、攻撃を試みた。

 しかし冷戦華やかなりし頃のソ連が準備に準備を重ねて実施したそれ(オケアン演習)なら兎も角、緊急発進レベルでは精々が五月雨式の攻撃になり、同じく緊急発進した航空自衛隊機に横撃されるか、海上自衛隊のイージス艦二隻に余裕を持ってスタンダードミサイルに撃墜されるかの二択を強要された。

 勿論、主権を侵害されたトルコ政府は、日本国政府に最も強い言葉で厳重に抗議し、宣戦布告も辞さない姿勢を見せたが、吉田総理は、


「今回のトルコ海峡突破は、ウクライナでの人道危機に対する緊急避難が適用されるものと考えており、トルコ政府との見解の相違が生じたことは誠に残念であります」


 などと記者団の前で述べ、全く悪びれなかった。

 どうもこの頃の日本政府は、ウクライナ(我が国)救済のためなら何でも許される(超法規的措置)と考えていた節がある。


 話をトルコ海峡に戻すと、海峡を突破した遣欧統合任務部隊・海上支隊は、速やかにオデーサ港周辺を掃海して入港すると、大量の支援物資の他に、一〇式戦車一個連隊(七十五輌)と五会戦分に相当する弾薬、並びに整備部隊、輸送部隊一式を揚陸した。

 これは当時生産されていた一〇式戦車の内、中華人民共和国に備えた一隊を残したほぼ全数であり、日本国が如何に本気でウクライナ救援を考えていたかが伺える。

 揚陸が完了したその時点を以て、揚陸された遣欧独立戦車連隊と遣欧統合任務部隊・マリウポリ支隊は統合され、遣欧統合任務部隊・臨時第一機甲軍に改編された。

 損耗激しかった欧州諸国由来の戦車隊も補充・再編され、ここに殆ど「西側」な戦車隊で構成された、ドリームチームが誕生したのである。


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