譲位表明
次代皇帝御一家の国内の慰霊訪問は、色々な意味で社会全体に影響を与えた。
中でも宇和島訪問時に於ける、第四代皇帝ナディーヤ・ワカコ陛下の戦災被災者を慰め労わる御心は、第四次世界大戦以来頑なに米中の二大陸との和平を拒み、それら二地域の内戦状態を煽ってきた自覚のあるムリーヤ国の人々に対し、強烈な反省を促した。
何故なら、約一〇〇〇〇年前の皇帝陛下が、斯様に真心からの労りの心を持っているのに、その皇帝陛下の心の在り方に、過去から現在に至るまでの自分達は叛いてきた事になるからだ。
各地方自治体の議会は政府に対し、第四次世界大戦の法的な最終解決を請願する決議を行い、一週間後にはそれを汲み取ってムリーヤ国最高議会の東西両院が、
「米中両大陸に存在する、アメリカ合衆国と中華人民共和国を継承する各団体との白紙講和の提案」
を賛成多数で決議すると、愈々ムリーヤ国政府の方も拒めなくなった。
その頃になると、世界中の国々が協力し合って、米中両大陸の各団体とコンタクトを取り始め、国際連盟に対し、
「第四次世界大戦の法的な最終解決の為の、平和の為の結集」
が要請された。
開催された国際連盟緊急特別総会は、全会一致でムリーヤ国に対し、
「第四次世界大戦の法的な最終解決」
を希求する決議を行った。
そして一連の流れを見ていたムリーヤ国今上皇帝の、
「皇紀一〇〇〇〇年を迎える前に、第四次世界大戦を正式に終わらせたい。
ついては、彼らの側に「皇帝を退かせた」という面目が必要ならば、その様に取り計らっても良い」
という内意が報じられると、白紙講和を持ち掛けられた側である、内戦状態が続いていた米中両大陸の各諸邦の側も、
「それで自分達の主権が確立されるなら」
と、各地の戦線から部隊を慎重に引き始めた。
過去からやって来た三歳児に、あれだけ真心から労られたら、当時から一万年近く戦争をしている自分達の立つ瀬が無かったから、とも言う。
ともあれ、憎悪の発露そのものである戦争の解決に向けて、一気に物事が動き出したのを、その発端となった親子三人は、
「そんなことって、ある?????」
と困惑していた。
何しろ、一万年近く続いて、拗れに拗れた関係である。
互いに互いを憎み抜いて、或いは己の存立を賭けて、凄惨な戦争状態を続けてきた間柄である。
それを解き解して、和解ムードを醸成するのに、果たして数十年で済むかどうか……という具合に思われていたのが、自分達が広島、長崎、マリウポリ、キーウ、ハルキウ、と移動している間に広まった幼児の一言でこれなのだから、然もありなん。
けれども、そうした国際社会の変節を、ムリーヤ国の人間として、歓迎しない訳にはいかなかった。
一行が野星に着いた頃には、(本人らの了解を得ないまま)立太子式は譲位・即位式にジョブチェンジしており、後世に於いて「野星の和約」と呼ばれることになるそれの締結に向けて、世界中の国々・機関から代表者が集まり始めていたから、その和約の条件の一つに(勝手に)された、
「今上皇帝の譲位と、それに伴う平和の使者たる第四代皇帝ナディーヤ・ワカコ陛下のこの時代に於ける御両親たる、ムリーヤ・ノ・ホシヨリとムリーヤ・ノ・ミユキの即位」
について、当然その当人らもコメントを求められることになった。
野星に向かう政府専用機の上で、そこまで話が進んでいるのを聞かされた一行は、
「率直に申しまして、余りに一挙に事が進んだものですから、驚いております。
しかし、世界絶対平和の実現に向けて、この度の和平交渉が大きく前進したことは、大変喜ばしいことだと思っております。
また一児の親として、我が娘の言葉がその発端となったことは、非常に誇らしい気持ちでおります」
という、絶妙に即位についての思いは暈した公式声明を、宮内省を通じて発表することになった。




