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「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました!  作者: 大鏡路地
「玲和」四年、日本国はウクライナにジョブチェンジしました!
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ウクライナの夜明け

※このお話はフィクションです(令和四年六月二日修正)。

 玲和四年(西暦二〇二二年)五月二日のウクライナの朝は、首都キーウ前面の戦線に対する、激しい空爆から始まった。

 空爆を行ったのはポーランドに展開した、左翼にウクライナ、右翼に日本の国籍表示をした、航空自衛隊のFー15J改とFー2A、そして退役直後で廃棄されかけていたところを引っ張り出された、Fー4EJ改の戦爆連合、延べ六〇機余りだった。

 彼らは最初に、キーウから半径六〇〇キロメートル圏内の制空権を確保すると、湾岸戦争も斯くやと言わんばかりの波状攻撃を繰り返した。

 ロシア軍(とベラルーシ軍)は果敢に反撃を試みたが、当初からの低い士気に加えて、ポーランドやルーマニアの上空から悠然と電子作戦を仕掛けてくるNATO(アメリカ)軍機に阻まれ、次々と()()()()撃滅された。

 正午ごろになると、これまた航空自衛隊同様の国籍表示をしたCー130とEFー2000の群れが飛来し、敵前強襲空挺降下を敢行した。

 降下したのは日本国陸上自衛隊国際空挺旅団を称しており、ウクライナと日本の両方の国籍標章を着けていたが、日本人の軍隊にしてはやけに人種が多様だった。

 やや時間を遡ることになるが、順を追って説明したい。


 ウクライナにジョブチェンジした日本国は、当初多種多様な戦術戦闘爆撃機や各種支援戦闘車両の類の提供を、割と厚かましくアメリカに要求して、特に航空機については大幅に要求を縮小する様に断られ、各種輸送人員についても自分で用意するように言われたのだが、


「なら、民間から調達すればイイよねっ」


 と開き直った日本国は、現金一括で、イラク戦争で悪名を馳せた民間軍事会社を多数、買い上げる事にした。

 その社員として、何故か買収直前に、職業選択の自由を行使して除隊した、世界中の「西側」元空挺部隊員が多数、民間軍事会社に雇用されていたが、()()()()()()()()()()

 コロナ(COVID-19)禍で国境を超えた移動が制限される中でも、()()()()()()()()()のであったなら、仕方がなかった。

 そうして日本国に雇用され、日本本国から到着した第一空挺団と共に英国レイクンヒース空軍基地に集結したそれら人員を以て、陸上自衛隊国際空挺旅(狂ってる)団が発足した。

 さらにアメリカを国防費三パーセント(札束)で引っ叩いて、新しい「核攻撃機(F-35)」の大幅な前倒し導入に成功したドイツで、あっという間に余剰し廃棄処分となったユーロファイター・タイフーン(EF-2000)やトーネードIDSが、スクラップとして放出されたので、「仕方ないな」とばかりにスクラップ処理を日本国はウクライナとして引き受け、そして何故か翌日には操縦資格を持ったパイロットや整備士が、日本が買い上げた民間軍事会社に就職しており、


「じゃあこの有り余るスクラップの「廃棄処分」のためにも、まだまだ残る機体寿命分使い倒さなきゃ(使命感)」


 という経緯で、日本国自衛隊は突然、人種の数が豊かで、しかも今まで採用してないはずの兵器で溢れ返る事になった。


 げに偶然とは恐ろしいものである。


 そういうわけで他所様の戦争に巻き込まれたがらない姿勢から、一八〇度大転換してヨーロッパへ歩を進めた日本国自衛隊(ウクライナ国家親衛隊)は、事実上の欧州連合義勇軍となって、ウクライナ首都キーウ前面への敵前強襲空挺降下を敢行したのだった。

 勿論、それらを察知したロシア(と、本格参戦したベラルーシ)は抗議したが、日本とウクライナは一顧だにしなかったし、欧州諸国は、


「我が国は自由民主主義の国なので、個人の職業選択の自由までは制限しきれません!

 また、廃棄処分した兵器の再利用については、厳重にウクライナ(日本)に抗議するものであります(棒読み)」


 と一種の開き直りを見せて、ロシア当局者の血圧を振り切れさせた。


 話をキーウ前面に空挺降下した国際空挺旅団に戻すと、各国空挺部隊の猛者であり、優良装備で固められた彼らは、さしたる抵抗を受けることもなく降下に成功し、苦戦しつつも戦線を押し上げつつあったウクライナ軍を側面から援護し、キーウ前面で大渋滞を起こしていたロシア軍をほぼ一方的に撃滅した。

 ロシア軍は朝からの空爆で主に後方の隊列を集中して叩かれ退路を断たれ、前面からのウクライナ軍の圧力と、側面からの陸上自衛隊国際空挺旅団の攻撃に晒され、繰り返しになるが低い士気も相俟って、次々と呆気なく降伏した。

 ロシアの侵攻で甚大な被害を受けたボルィースビリ国際空港、ホストーメリ空港にも空挺部隊が降下し制圧すると、待ち構えていたウクライナ軍と握手するという歴史的な光景が各地で見られた。

 また、日本国自衛隊(ウクライナ国家親衛隊)の攻撃は首都キーウ近辺に止まらなかった。

 ポーランドを拠点として飛来したPー1哨戒機(陸上攻撃機)による、飽和対艦ミサイル攻撃が黒海に展開するロシア軍艦艇に加えられた。

 ロシア軍艦艇は果敢に対空戦闘を行なったが、「()()()()()()()()」を基準に、それを撃滅できるスペックというオーダーで設計されたASMー3は、熾烈な対空砲火を掻い潜って次々とロシア軍艦艇に命中し、これを炎上させた。

 特にロシア海軍黒海艦隊旗艦「モスクワ」は執拗に狙われ、六発のミサイルを被弾して搭載弾薬が誘爆し轟沈した。

 黒海西部の制海権を確保した日本国自衛隊遣欧統合任務部隊(JTFーウクライナ)は、何故かまだ耐用年数が残っているが用途廃棄された優良装備を欧州諸国からスクラップとして譲り受け、何故かこの国際情勢が緊迫する中で職業選択の自由を行使して除隊した、欧州諸国の兵士を雇用し、人種構成豊かなメンツで、陸路でポーランドやルーマニアからウクライナ本土へ雪崩れ込んだ。

 無論、これらの動きはそれなりに秘匿されてはいたものの、途中から大規模過ぎてロシア当局の察知する所となり、反戦団体を煽動しての妨害も試みられてはいた。

 いたのだが、怒り狂える日本国は破壊活動防止法を適用してそれら各種団体を「弾圧」し、自由と平和を愛するはずの欧州諸国も右に倣った。

 結果、ロシア当局のスパイ協力者網が壊滅することとなり、攻勢発起点は兎も角としてその目標や進撃ルートの入手に難儀することとなった。

 自国の地理をよく知り、自国の物流網を掌握しているウクライナの手引きにより、JTFーウクライナ地上部隊は迅速にウクライナ中央に進軍し、三手に分かれた。


 一つは南部オデーサの解放のため。

 一つは東南部マリウポリの解放のため。

 そしてもう一つは東部ハルキウ前面に展開するロシア軍野戦部隊本隊との決戦のためだった。


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